番外編(ノクス編)②
「結局は。……結局はお前も、僕なんて見ていないんだ」
彼がただ優しい人間ならば、弟より王家との繋がりを優先するような人間なら、殿下は彼を繋ぎ止めることが出来たのかもしれない。
そして、もし殿下が――本当に彼を、繋ぎ止めようとしたのなら。
「殿下。鳥が、逃げてしまいました」
「いいんだ」
彼がこの地を去った頃、殿下の鳥籠から、美しい鳥の姿が消えた。
その鳥の名を、殿下は私や彼には教えなかったが、一度だけ、私は殿下が鳥を呼ぶ名を聞いたことがある。
――『エル』。
鳥の名前は、彼が寵愛した彼の名前と同じだった。
「……もう、探さなくていい」
エリオット・シルフィード。
彼はある意味、陛下から殿下に与えられた美しい鳥だった。だが鳥は、鳥籠の中では本当の意味では羽ばたけない。
彼の才能も、彼に本来与えられるべき賛辞も未来も、『王子様のご友人』である限り、それは偏見をもって語られる。
王都を去ってから、名声は日に日に高まっていった。彼は領地を豊かにし、辺境伯の要請もあって魔物討伐などに赴いた。そしてその功で得た利益は、全て弟に捧げられた。
少なくともレイ・シルフィードが目を覚ますその日まで、エリオット・シルフィードは殿下のもとには戻らない。
彼の名が高まるたびに、私は――おそらく、殿下を含めた私たちは、それを理解した。
■
「……殿下は、何をお考えなのだろう」
今のところ、この国で全く殿下の『魅了』の影響を受けない少女は、相変わらずイザベラ一人。一国の王子でありながら、殿下には十七歳になっても、婚約者がいないことが、私の悩みの種でもあった。
彼が殿下の元を去ってから、私は殿下のそばに居続けたが、特に最近は、彼がいつもより彼の機嫌が何眼であることには気付いていた。
最近、ついに彼の弟が目を覚ました。
だが彼がすぐに王都に帰ってくると思ったら、その弟を学校に通わせるためということもあり、彼の王都に戻るまでだいぶ時間が空くという知らせが入った。
それもあり、私は殿下の怒りを買わないよう、最近は少し彼と距離を置いている。
最近、私は暇を見つけては、妹の姿を追うようになった。
妹が私と同じ学校に通うようになり、学年首席で入学、その後も成績を維持している妹は、みんなの憧れの的だ。
『イザベラ様』
『イザベラ様』
誰もが憧れる公爵令嬢。
未来の王妃。
幼い頃、妹はずっと私の後をついて話しかけてくれた。
だが父の教育や、私自身の『お役目』もあり距離が出来た私と妹は、同じ学校に居ても、同じ屋敷で暮しても、言葉を交わすことは殆ど無かった。
「……イザベラ」
私はどこで、何を間違えたのだろう。
もしかしたら最初から、私は間違えていたのかもしれない。
『貴方が素直に、健やかに育ってくれたら、それで十分よ』
亡き母の願いを、私は結局叶えることは出来なかった。
「イザベラと――あの少女は、誰だ?」
そんなある日、妹に新しい友人が出来たことに私は気が付いた。服を見るに、どうやら一般クラスの生徒らしい。
不審に思って跡をつければ、彼女は銀髪の少年と、密談しているようだった。
「あの男は……?」
イザベラと仲のいい少女と、交友があるらしい男。遠目でよく見えないが、私にはどうしても、危険因子にしか思えなかった。
■
それから数日後のことである。
妹がおめかしして誰かを迎える準備をしていることを知った私は、妹には内緒で出かける振りをして屋敷にとどまることにした。
そして私は――妹と友人だと思っていた女生徒が、特別な関係であることを知ってしまった。
「マリー」
「イザベラ様」
「!?!?」
見つめ合って、手を握る。薔薇園で、一目から隠れた恋人達の逢瀬を見た私は、理解が出来ずに思わず声を上げそうになってしまった。
なぜ妹とその友人があんなことに……!?
「私は、何を見てしまったんだ……!?」
急いで、妹たちから離れた場所に移動する。
すると、学校で彼女生徒と密談をしていた男が、あろうことか屋敷に侵入していた。
「二人は無事両思いになったし、これからはいい感じの距離から二人の幸せな日常を眺めさせてもらえたら最高だな!」
両思い? 覗く??
男の言葉の意味がわからない。
「そこの男、止まれ」
私は、剣の切っ先を少年に向けた。
「もしかして貴方は――公爵令息、ノクス・ヴァーミリオン様ですか?」
「その通り。だが、何故それを聞く? 知らなかったわけではないだろう?」
「申し訳ございません。僕は最近、学校にも通えるようになった病み上がり(?)の身でして。少し前まで、静養のために学校を休んでいたのです。ですので、今の今まで貴方様のことは直接は存じ上げませんでした。ただ……本日、イザベラ様にそっくりの美しいお顔を拝見して、僕は全てを理解しました」
無駄に弁の断つ男だ。この男が、妹に何かをそそのかしたのか?
「……仕方ない。その言葉に免じて剣を収めよう」
怒りに任せて剣を抜いてしまったが、妹に悪意がないなら敵対することはよくないだろう。
「ありがとうございます」
男は、にこっと俺に微笑んだ。
この時私は、ようやく男の顔を――いや、その瞳をちゃんと見た。
――綺麗だ。
シルフィード家の夜明けの瞳。
年は、聞いた話が間違っていなければ私が出会った頃の彼と同年代だろうが、線の細さと笑うとどこか子どもっぽい雰囲気が、軽やかさを感じさせる。
『妖精』
まさに、そう呼ぶにふさわしいほどに。
目を奪われる。
だがそれを、顔に出さないよう私はぐっとこらえた。
「その瞳……。なるほど。お前が私を知らなかったというのは、本当らしいな」
「? ありがとうございます」
しかし、なぜ彼の弟がここにいるのか。
それに先ほど、妙なことを口にしていた。妹が女生徒と友人以上の関係になったことに、この男が関与している可能性は高い。
「説明をしろ。私の妹に、一体何を吹き込んだ?」
「あの、俺は別に妹さんと特別仲がいいわけではなく……。どちらかというと妹さんの隣にいる方と関係があるというか……」
いつも冷静な彼とは違い、その弟は、別の意味で人を翻弄する話し方をする人間だった。
「何であろうとどうでもいい。お前は、私の妹の周りをうろついて何をしようしているんだ? 答えないなら、容赦はしない」
「こたえます。こたえますからっ!」
再び剣に手を伸ばせば、少年は慌てたように見えた。
「それで、お前は何がしたいんだ?」
「僕は純粋に、百合を求めています」
「……百合?」
私は首を傾げた。
「百合というのは花のことか?」
「いえ、そうではありません」
彼の弟は静かに、はっきりと、その言葉を口にした。
「女の子同士の恋愛のことです」
本当にわけがわからない。なんなんだこの男は。
本当に、あの『彼』の弟なのか?
そして押し問答のようなやりとりの末、男は、私を指差して宣言した。
「未知の価値観を理解するためには、それに触れることが大切です。と、いうわけで――今日から僕が貴方に、百合の素晴らしさを布教します!」
■
彼の弟でありながら、その男は何もかもが理解不能だった。
年は私が出会った頃の彼と近いのにえらい違いだ。
貴族としての基本的なマナーがなっていなければ、言動行動全てが幼い。だが、髪と瞳は彼と似て――いや彼よりも、くるくる変わる表情や、丸く大きな瞳、兄よりも細身な彼は、そこに存在しているだけで、人の眼を惹きつける魅力に溢れていた。
『殿下もノクス様も、弟に会えば必ず好意を抱くと私は確信しているのですが、それでも駄目でしょうか?』
彼の予言通り、私は、彼の弟を嫌いにはなれなかった。
だが、その人間が私の理解からかけ離れた存在であることもまた事実だった。
妹とその恋人(仮)の恋心から応援する。
そして二人の関係の障壁となる私をデートの尾行に誘い、実況する――何もかもが理解できない。
公爵令息である自分に対し、慇懃無礼な態度を取りながらも憎めないところは、彼とよく似ているように感じた。
いや、寧ろ――『立場』があったからこそ私たちのそばに居た彼よりも、真っ直ぐな自己表現をする男は好ましく思えたし、男に振り回されるのは、私は、案外嫌いではなかった。
何より彼よりもその弟は――真っ直ぐに、私を見てくれているような気がした。
イザベラとマリー・ステラは、デートの際に湖を訪れた。すると、男が思いだしたかのように呟いた。
「ここ、あの日の湖だ」
「『あの日』……?」
「ここ、二人の初デートの場所なんです。マリーさんが、イザベラ様を連れてきて。でもその時、マリーさんはドレスだったので……ヒールも高くて、とても一緒にはボートには乗れなくて」
その声は、まるで心から大切に思う物を、慈しむような声で。
「でも、今日は違う。……二人で、一緒に漕げてよかったですね。イザベラ様」
男はまるでその瞬間、自分が世界で一番幸せな人間になったかのような笑みを浮かべた。
そこには、ただ澄んだ感情だけが存在しているように私には見えた。
「お前は、そんなふうに笑うんだな」
思わず、感情が言葉となってこぼれる。私は、男から視線を逸らした。
「なんですか。人のこと、じろじろ見て」
「なんでもない」
「はい?」
男が挙動不審な私を見て首を傾げる。私は焦って、話を変えることにした。
「だが……やはり私には、お前がわからない。お前は何故、そう他人のために動こうとする? お前の常識や価値観は、私とは違いすぎる。お前はそれを受け入れろというが、本来はお前の方が、この世界では異端だろう?」
私は深く息を吸い、呟くように男に尋ねた。
「女性の……同性同士の恋愛は、そんなにいいものなのか?」
「いいか悪いかというより、そこにある感情を否定することこそ、僕は傲慢だと思います」
男は静かにそう答えた。
「二人は好き同士で、今は幸せそうにしている。なら、それでいいじゃないですか」
「だが、でも、それは――」
「『異端』だと?」
低く響いた男の声に、私は思わず体を跳ねさせてしまった。
ゆっくりと男が私を見つめる。男は、静かに彼を見て目を細めた。
「――じゃあ、『お兄様』。聞きますけど」
その声には確かに、怒りの感情を含んでいた。
「貴方は妹のあの表情を見て、別れろと言えるんですか?」
男のその問いに、私は答えられなかった。
■
「……どうすればよかったんだ」
あの日あの男と別れてから、私はその言葉を頭の中で繰り返していた。
妹の心からの笑顔を、幸せそうな姿を見るのは、母が生きていた頃ぶりだった。
妹の将来を思えば別れさせるべきだろうが、妹が悲しむ表情を想像しては、私は妹の部屋の扉を叩くことをやめた。
ふと、最近あの男の姿が見えないことを不審に思った。
自分がどうすべきなのか、今自分がどう感じているのか――情けないことに、友人の少ない私がこの件について話が出来るのは、今の私にはあの男しか居なかった。
そして、男の姿を探した末に――私は、レイ・シルフィードが、図書館の奥で一人で勉強をしていることを知った。
「こんなところで何をしている」
「?」
私の声に、男が固まる。
「ヴァ……ヴァーミリオン様!?」
「妹の周りにいないと思ったら、こんなところにいたのか?」
「どうしてここに? こんな場所に、貴方はここに用はないはずでしょう?」
「それは――」
私は言葉に詰まり、ぱっと男から視線をそらした。
まさか探していたなんて、言えようはずがない。
「なんだこれは。レイ・シルフィード、点数――」
私は、男の答案用紙を見て驚いた。
……予想以上に、惨憺たる有様だ。
「わああああ! み、見ないでくださいっ!」
「点数が悪すぎるだろう。なんだこの点数は」
「……仕方ない、じゃないですか」
私が呆れた声で言えば、夜明けの瞳が、涙で濡れたように見えた。
「僕は、貴方とは違うんです。子どもの頃から貴方が受けたような教育を、僕は受けていない。それにこれ以上、両親に心配をかけたくないんです。だから、全部自分でどうにかするしかないんです」
「……」
「『顔だけの伯爵令息』――僕をそう呼ぶ人間がいることは、貴方ならご存じでしょう? 僕は次男ですし、優しくしてもメリットなんてないから、頼れる人間もいないんです」
「私の妹は?」
「イザベラ様にとって、マリーさんと過ごす時間が唯一心が休まる時なのに、それを僕が邪魔してどうするんですか」
この男は、心から妹たちの幸せを願っている。その言葉に、やはり嘘はないのだろう。
「なんで僕の前に座るんですか?」
私は、男の前に無言で座った。
「教科書をひらけ」
「えっ」
「私が、今から教えてやる」
「……え、ええっ!?」
男は、ここが図書館だということを忘れて声を上げた。
「な、何考えてるんですか。僕が貴方に教わる理由がないでしょう!」
「百合とやらを教えるときはあんなに生き生きとしているのに、私に勉学を教わる時は随分と弱気な態度なんだな?」
「……はい?」
私の言葉に、男が苛立ちを覚えたのが分かった。
「なんて人だ」
男はプルプル震えた。
「いつものお前の態度を忘れたのか。失礼なお前に、私ほど寛大な貴族もいないだろう?」
「貴方の妹様は少なくとも貴方よりは僕に寛大だと思います」
その声は漸く、普段の彼らしさを取り戻していた。
「相変わらず、無駄によく回る舌だ。……いいだろう」
「?」
「明日、放課後。またここに来い」
私は机の上においていた試験の解答用紙を抱えると、図書館を後にした。
「……ちょっと。僕の試験用紙、勝手に持ち帰らないでください!」
暫くして、私の背に叫ぶ男の声が聞こえた。




