番外編(エドワード編)②完結
何故、何もかもがうまくいかない?
マリー・ステラは僕の求婚を断り、学校では彼女へのいじめが起こり、それを庇ったのはなんとノクスの妹だった。
話によれば、その時ノクスや彼の弟もその場にいたという。
公爵家と彼がこの件に介入してくる可能性を想像すると、僕は頭痛がした。だが一つ、収穫があったとも言えた。
「でも、これで彼女の想い人がわかったな」
『私は、殿下とは結婚できません。私には、愛する方がいるんです。その方が笑ってくださるだけで、私は世界で一番幸福な人間だと思えるんです。だから私は、その方を泣かせるようなことだけは――殿下を選ぶことだけは、絶対にできません』
彼女が口にした『愛する方』はきっと、ノクスの妹に違いない。
■
「君に、一つ質問がある。『マリー・ステラの想い人は、イザベラ・ヴァーミリオンである』――僕の予想は、正しいかな?」
「その質問には、お答えはできません」
レイ・シルフィードは、彼と同じように、僕に従うことはなかった。
「どうして?」
「もしそうだとして、殿下はマリーさんとイザベラ様を、どうするおつもりですか?」
「レイ・シルフィード。質問に、質問で返してはいけないよ」
本当に、失礼な男だ。
王族を、僕をなんだと思っている?
強がることしかできない小物のように震えているくせに、どうしてこの男は、僕に立ち向かおうとするのか。
「では、伝え方を変えましょう。貴方がいま好意を向けられているマリーさんは、自分の大切な人を傷つける人間を、許す人ではありません」
そんなことは分かっている。
「もし貴方がイザベラ様に手を出すなら、僕と同じように、貴方が嫌われて終わるだけです」
嫌われようと、もう失うのは嫌なのだ。
「妹想いのノクス先輩も、きっと貴方の元から離れようとするでしょう」
「……」
ノクスの名前を出されて、僕は少し胸が痛んだ。
彼が僕のもとを去ってから、ノクスは唯一、僕のそばにいてくれた人間だった。
「貴方は、彼女に婚約を申し込んだ。どうかそれを、今からでも撤回してくださいませんか?」
「僕に諦めろというのか?」
「そうです。そのとおりです」
「この国の、王子であるこの僕が?」
でも、求婚した相手に振られて取り下げるなど、僕の自尊心が許さない。
「殿下。こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、僕は本当は貴方にも、笑っていて欲しいと思っています。貴方は僕の兄の友人で、ノクス様とも親しいと聞いています。そんな方と、僕は敵対したくない」
この場面での言葉なのだ。これは、この男の本心なのだろう。
「これは、僕の持論ですが」
男は、何故か僕の背後にある空の鳥籠を見て言った。
「もしかしたら。手を離すことが、想いの証になることもあるかもしれない」
「……手を離すことが?」
「傷付かないように、傷付けないように。相手を思えばこそ、それが必要なこともあると僕は思います」
「……」
僕はかつてエルを、僕のために捕らえられた鳥を、自ら放した。
この男は――それを、肯定しようというのか?
「僕は、誰かが誰かを傷付けるのを見たくない。貴方が今欲しいと願うもの。その願いを叶えようとすることは、貴方や貴方が愛しく思う人を傷つける。だから、どうか。その手を離してください。――それに今の貴方は、とてもお辛そうに見えるから」
この男は、私の過去も思いも、何一つ知らないだろう。
でもその瞳には、確かに僕の姿が映っていた。
彼と同じ夜明けの瞳。
でも、彼と違って――この男は真っ直ぐに、僕の心に向き合おうとしているように見えた。
「僕、は――……」
男はそう言うと、僕の手を取った。
「……そうだね」
小さくて温かな手だ。
ある意味それは、僕が守ったものでもあると言えた。
あの日僕が母を止めなければ、あの日僕がエルを見送らなければ、この男は、今ここにいなかったかもしれない。
そう思うと、僕はその手を振り払えなかった。
壊してばかりの僕が、唯一守れたかもしれないもの。
それこそが――エルを見送った僕の『想いの証』そのものだった。
僕は、空っぽの鳥籠を見て目を細めた。
「きっと――そう、だったんだね」
僕は、男の手をもう片方の手で包んだ。
「話を聞いてくれてありがとう。レイ・シルフィード」
■
とはいえ、僕という人間がこの件で軽んじられることは避けねばならない。
僕は全校生徒を集め、この件について演説を行うことにした。今後のいじめを防ぐためではあったけれど――同時に、彼女たちや僕に対する誹謗中傷を防ぐためでもあった。
演説の終わりに、レイ・シルフィードの姿を見つけた。
僕は、彼をあの植物園に再び呼び出した。
「一目で人を好きになったのは、彼女が初めてだったんだ」
それは半分本当で、半分嘘だ。
僕のマリー・ステラに対する感情は、期待と執着に近かったのだから。
「マリーさんは可愛いですからね」
紅茶片手にお菓子を食べながら、彼は呑気に言った。
「ただ今回のことで、僕は一つ学びがあった。僕は案外、君に怒られることが嫌いではないみたいだ」
「それは……えっと?」
彼は反応に困っていた。
そういう僕のひと言で表情を変えるところが、やはり彼の兄とは違って――僕には好ましく思えた。
「君の叱責に、僕は本当の優しさというものを感じた」
それは、僕の心からの言葉だった。
レイ・シルフィードほど、僕に真っ直ぐに向き合ってきたのは、ノクス以来初めてだった。……まあ、僕の『魅了』の力で、誰もしたくてもできなかったのかもしれないけれど。
「君にお願いがあるんだ。卒業したら、僕のそばで働いてくれないかな?」
「えっ?」
「君は今、ノクスから指導を受けていると聞いている。でも、僕だって教えられる。望むなら、優秀な人材を君に紹介することもできる。そうすれば、兄上が跡を継いだとしても、君も王宮魔法使いになれるだろう?」
僕は、彼の手を取った。
「僕はいつか、この国の王となる。でも僕の異能に耐えられる人材は、この国には少ないからね。だから君はこれからも、僕が間違っていると思ったら間違えていると言ってほしい」
困ったように笑ってみる。
「ノクスも意外と、僕に本音を話さないからね」
「……あ」
少しでも、彼の同情がひければいいという打算もあって――だがそれは、その僕の『王子としての仮面』は、思いがけない彼のひと言ではがされてしまった。
「そうか。そうだったんだ……」
「どうしたのかな? 突然、下を向いて――」
「貴方も」
「うん?」
「貴方も――寂しかったんですね」
夜明けの瞳が僕を見つめる。
「あの日やっと、見つけたと思ったんですね」
何度も焦がれたあの人に似た瞳。ただ一つ大きく違うのは、あの人とは違い、彼は確かに『一人の人間』として僕を理解しようとしたうえで、僕の弱さに寄り添おうという意思の有無だった。
「だから彼女を、欲しいと願ってしまったんですね」
僕だけの心の傷を、まるで自らの傷としてその心の内に抱えるように、切実な表情で、彼は僕を見つめていた。
「……君は」
――どうしてお前が、その言葉を口にする?
誰も言ってくれなかった。誰も、そんな目で私を見てはくれなかった。
彼と同じ夜明けの瞳で、暗い夜空に太陽が昇るようなそんな宝石のような瞳で。
どうしてあの人の弟で、僕からあの人を奪ったお前が、僕の何もかもを分かったような目で見つめるのか。
「ああ。なんてことだ。それなら、君が。君が、僕の…………」
そして、どうして――……。
僕はどうしてその瞳に、今、強く心惹かれ、魅せられているというのか。
命を賭けるに値する。一生をかけても後悔はしない。あの日、あの人はそう言って僕の元を去った。
そうして、こうも続けた。
『弟が目を覚ましたら、弟はきっと、殿下の良い友達になりますよ。なんと言っても、私の、自慢の弟ですから』
あの人の全てはまやかしの夢だ。
妖精が人を惑わすというように、あの人は言葉と姿で人を惑わせる。
『それに私なんかより――もしかしたら貴方にとっても、一番大切な人になるかもしれない』
あの人の世界は、家族のためにあるのだから。
『私の弟は、とびきり人に愛される人間なので』
それはただ弟至上主義の、あの人の戯言だと思っていた。
『そういう星に生まれた子なのです。だから――だから、あの日も、私のために……』
愛されるために生まれた、美しい姿をした優しい心を持つ少年。
そんな人間を自分のそばに行くには、どうするのが正解なのか。
僕は、彼に手を伸ばし――その手をノクスに制された。
「何をしているんですか」
「いや……やっぱり、『欲しい』と思って」
「はい?」
「あの人に似ていたから……その弟だと思って遠慮していたけれど、でも、こんな……。あんなこと、この顔で言われたら――」
僕のことを誰よりも、「理解しよう」としているような表情で言われたら。
「レイ」
「はい」
「私がいない間、一体殿下に何を言ったんだ?」
「いえ? 俺は特に何も……?」
「………………ああそうか。お前はそういう人間だったな」
「とりあえず、殿下はレイから離れてください。レイに用があるなら、この私を通してください」
「なぜ? 何故僕が、彼と話すのにお前を通さねばならない?」
ノクスが僕の邪魔をするなんて、これまではなかったことだ。
「殿下。この男は、どうしようもない男なのです」
「?」
「はい?」
「概要は省きますが、実は貴方の失恋の原因のほぼ10割は、この男が原因です」
……うん? それは、どういうことなんだ???
「の、ノクスせんぱい!?」
「この男は、マリー・ステラ嬢とその思い人の、恋の橋渡しをした男です。つまり、自作自演です。貴方の恋路を邪魔しておきながら、貴方を慰める役目をかってでた。これを詐欺師と言わずしてなんといいましょう?」
つまり――ノクスの妹とマリー・ステラの恋の橋渡しをしたのが、彼だとでも言うのか?
……なんの利益があってそんなことをしたのか、僕には皆目見当がつかなかった。
「ちょっと!なんてこと言うんですか! そんな! 俺はただ、マリーさんに幸せになって欲しくて! ……でも、そうしたら……殿下の………の………その、あの」
だが彼の慌てぶりを見るに、ノクスの言葉は事実なのだろう。
「ごめんなさい。ゆるしてください」
それは僕にとって、唯一の『つけ込む隙』だった。
「……なるほど。つまり王子であるこの僕が、すっかり君に騙されたということかな?」
「ですから、こういう口八丁な輩は殿下には相応しく――」
「なら、責任を取ってくれ」
「私の心を弄んだんだ。それくらい、お安いものだろう?」
「も、もてあそんだなんてそんな……! そんなつもりなんて……俺……!」
慌てる様子も、僕に下手に出て媚びる様子も、不思議と彼なら――レイなら気にならない。
「すいません。謝るので許して貰えませんか?」
優しいようで身勝手で、自由な鳥のようであったあの人とは違う。
その手を僕が掴んで悲しんでみせれば、同情して傍にずっといてくれそうな――レイには、そんな優しさがあるような気がした。
「さて、どうしようかな?」
「僕が傷ついたのは事実だし、誠意は見せて欲しいかな」
「……誠意、とは?」
「そうだな。王宮魔法使いの資格を得たら、ずっと私の元にいて――国王専属となってほしい。給与も弾もう。君のご両親や兄上も、今より良い暮らしができるよう支援することを約束するよ」
そばにいてほしい。
繋ぎ止められるなら、同情だって憐憫だって、なんだって利用してやる。
ここまで誰かを『欲しい』と思ったのは、僕は生まれて初めてだった。
「君が望むものを、全て与える。僕にその力があることを、君は知っているだろう?」
僕は未来の王だ。
その僕が、今、唯一望むものは――。
「だから……。ねえ、レイ。僕を、選んでくれるよね?」
「俺、は――」
僕の言葉に、彼が返事をしてくれようとしたところで、ノクスが彼の口をふさいだ。
「むがっ。むががががっ!!むがががががががが」
「――お前は、もう喋るな」
珍しいこともあるものだ。ノクスが僕に歯向かうなんて。
「殿下。殿下が仰ったことは、彼の今後の人生に関わることです。眠りから目覚めたばかりの彼に、判断を急かすのはいかがなものかと思われます」
ノクスの言い分は、レイ・シルフィードのこれまでを思えば庇護者として当然だった。
「……そうだね。今日は、見逃してあげよう」
僕はそう言うと、ニコリと彼に微笑んだ。
「レイ。また二人で――そう、二人っきりで。今度また、ノクスもいない時に話をしよう」
「……?」
自分自身に僕の関心が移っていることなど欠片も理解していないレイは、僕の言葉に不思議そうな顔をしていた。
天然そうな、とぼけた表情だ。
まるで幼い子供のような警戒心のなさが、おそらく妹のいるノクスには、庇護すべき対象のように見えるのかもしれない。
「君とは、これから仲良くなりたいな。うん。今よりもっと、ね?」
レイが女性なら、簡単に理由をつけて自分のものにできるのに、男であるせいで首輪をつけるのは、少し骨を折ることになりそうだ。
「では、私たちはこれで」
「むか! がかがっ!(ちょっ! 待って!)」
「いいから、もう行くぞ」
腐れ縁のような付き合いだが長い付き合いだ。
ノクスには、僕の考えが筒抜けなのだろう。
子供のような僕の執着は、あの日あの人に梯子を外されてから――ずっと、それを埋めてくれる誰かを求めていた。
そして、僕はやっと『見つけた』。
本当の意味で心から、僕という人間に向き合ってくれる人間を。
■
その後、僕は『レイ・シルフィード』について、詳しいことを調べることにした。
彼の過去、彼が眠りにつく前、幼かったときにあった出来事。彼の家系、また彼に似た外見を持つ人間が、かつてこの国で何をなしたのか。
そして僕は、やっと理解した。
何故あの人が、命を賭けてまで戦い、弟の命を守ろうとしたのか。
何故家族の誰もが、眠り続ける彼の目覚めを待ち続けたのか。
その理由を聞いた時、僕は一生、『レイ・シルフィード』には敵わないのだと悟った。
彼は確かに、愛されるために生まれたような存在だった。そして、何より彼自身が――誰よりも、自分よりも、周囲の人間を愛していた。
レイ・シルフィードが眠り続けた理由。
それは彼が、愛する人々を守るための――……。
「『犠牲』が必要だとしても――か。王家の『魅了』と君の異能と、どちらがこの国にとって有益だろう?」
妖精の血を引くという一族の、一〇〇年ぶりの先祖返り。
誰もが目を奪われる姿でありながら、彼は自由で束縛を嫌う人間のようだ。
「――……『レイ・シルフィード』」
嫌われないように。壊さないように。
今度は、きっと、今度こそ――……。
空っぽの鳥籠を見つめて、僕は一人、小さくその名前を囁いた。
了




