どうか俺が好きな二人が、同じ未来を見つめて共にもう一度歩いていけますように。
「イザベラ!」
イザベラ様を追いかけた彼は、彼女の手を掴んだ。
「離してください!」
イザベラ様は、きっと兄を睨む。よく似た赤い瞳。二つの視線が重なる。
こっそり追いかけてきた草むらから見ていた俺は、彼が兄として、一歩踏み出そうとする姿を見た。
「離さない。私は、絶対にお前の手を離さない」
その声は、いつもの彼とは違い熱を帯びていた。イザベラ様は、いつもとは違う兄に驚いているようだった。彼の手は微かに震える。
「イザベラ。私にとって、人生とは一本の道だった」
妹に、手を振り払われることにすら怯える兄。そこに、『完璧なお兄様』などいなかった。
「ただそれを進むだけが、人生だと思っていた。余所見をせずに歩いていけば、幸せな結末に辿り着けると、そう信じて生きてきた」
その声は、まるで心から後悔しているかのようで。
「お前は、私にとって大切な妹だ。だから私はこれまで、お前の幸せを願って行動しているつもりだった。幼い頃から今までずっと、私は遠くからお前を見ていた。お前に恋人ができた時、私はお前たちの関係を解消させるべきか悩んだ。そんな時、ある男が私に言った。『妹の本当の幸せは何かを考えろ』と。それこそが、本当の兄としての愛情だろうと。妹と同じ年の少年に叱られて、私は本気で悩んだ。私はこれまで、感情より理性を優先して生きてきたのかもしれない。そしてそれを、お前に押し付けてきたのかもしれないと」
俺との関係の真実を、彼はちゃんと言葉にした。
「イザベラ。私はずっと、心の底ではこの世界のことを信じきれなかった。常に周囲に注目され、上辺ばかりの賛辞を受けて。他者の本心というものを信用できなくなった」
ノクス・ヴァーミリオンという人は、本来他者に愛情深く、素直でまっすぐな人なのだ。だから、心を守るためには、仮面が必要だった。
誰にも傷つけられないように――『完璧な公爵令息』としての仮面が。
「お前は私とは違い、昔から優秀で。私が教えずとも、一人で全てを学んでしまった。周囲の人間はお前こそが殿下の婚約者に相応しいと思うようになり、私は兄として、お前があの方の婚約者になれるよう、手伝うことにした。学問、教養――。王妃として必要なものが、全て身につくように。いつかお前がこの家を出て、この国の王妃となった時、心ない誰かの言葉に、お前が傷つかずに済むように。でも、それさえも間違いだったのなら。私の決断が、お前にとっての幸せでなかったのなら――私は私の過ちを認め、お前の願う幸福を、決断を優先することを誓おう」
彼は真っ直ぐに、最愛の妹を見つめて言った。
「イザベラ。お前の幸せが、私にとっての幸せだ。だから私は――お前たちの関係を祝福しよう」
俺に向けられたあの優しい瞳は、今はようやく、妹《本来の相手》に向けられる。
「大切な人が、出来たんだな」
幼い子供を、何よりも大切な宝ものを、慈しんで抱きしめるみたいに――彼の瞳は、甘く優しい。
イザベラ様はもう、彼の手から逃れようとしなかった。
ただ、ポロポロと涙をこぼして、それから今度は泣きながら笑って、大切な家族に告げた。
「……はい。生まれて初めて家族以外に、愛する人ができました」
■
「お父様は、やはり反対なさるでしょうか」
「父上には私から説明する。安心していなさい。もし反対されたとしても、何があっても俺がお前を守る」
「はい。お兄様」
二人が和解したのを見届けてから、俺はマリーさんと二人に合流した。
マリーさんはイザベラ様を追いかけていたけれど、途中広すぎる屋敷の中で迷子になっていたらしい。
ヴァーミリオン先輩により今回の暗躍がバレた俺は、再びイザベラ様の前で正座することになった。
「レイさん、今回も私たちのために影で動かれてたんですね」
マリーさんは。俺の横にやってきて、こそっと俺に微笑んでくれた。優しい。
「はい。百合もいいけど、僕は家族愛モノも好きなんです。別腹です」
俺の言葉に、マリーさんは今日も頭のうえに疑問符を浮かべていた。
「やっぱり、彼は少し変ですわ。お兄様」
「だが、彼のおかげで私はお前と向き合うことができたんだ」
そんな俺を、イザベラ様が呆れたという表情で、ヴァーミリオン先輩は何故か優しい瞳で見ていた。
「レイ・シルフィード」
「はい?」
「……感謝、している」
照れたように彼が言った。
俺はそんな彼を見て、珍しさに目を輝かせた。
「僕、今初めてヴァーミリオン先輩の本物のデレを見ました」
「『でれ』とはなんだ」
ヴァーミリオン先輩は秀才故か、気になった言葉は今日もいちいち聞いてくる。
「デレとは、照れるという言葉に派生するものであり、ツンデレやデレデレなどの使い方をされるもので、デレという一文字で表した場合、一瞬と恥じらいなどにもつかわれることもある言葉です。僕は今、ヴァーミリオン先輩にそのデレを見たと判断しました!」
「……お前は」
興奮気味に言うと、彼は頭を押さえて深く溜め息を吐いた。
「お願いだから、お前は私と話すときは、3割くらい言葉数を減らしてくれ……」
「なんでですか?」
「そばで捲し立てられると疲れるんだ」
「つまりそれは、これからも貴方のそばにいていいっていうことですか?」
「……」
「だって僕に今後近寄ってほしくない場合、今の言葉は出ませんよね?」
俺の問いに彼は無言になった。
「じゃあ、僕公認ですか? お兄様公認ですか? これからも、今のままでいてもいいってことですか?」
「……好きにしろ」
「ありがとうございます! ヴァーミリオン先輩。これでこれからも、二人を見守り続けられます!」
彼はイザベラ様の兄である。今回のことで、もう二人に近付けないかと思っていたけれど、俺は許してもらえたらしい。
「はあ……もういい。私に、お前を従わせるのは不可能のようだ」
彼は諦めの表情だった。それから――彼は、俺の目を見て言った。
「――ノクスだ」
「えっ?」
「私のことは、これからはノクスと呼べ」
「? ノクス……先輩?」
なんでいきなりこの人は、俺にファーストネームで呼ばせようとするんだろう?
「そうだ。代わりに今日から、私はお前を『レイ』と呼ぶ」
「えっ。それは普通にやめてください」
そして、突然俺も名前呼び宣言されて、俺はブンブン手を振った。
「は?」
「だって、ほら。貴方に特別扱いされるのはちょっと……。ノクス先輩、僕以外に仲の良い後輩とか居なさそうだし。俺だけが呼び捨てされることになるじゃないですか」
「成績の悪いお前に、わざわざ勉強を教えてやったのは誰だと思っている? 恩を忘れたのか」
「それについては感謝しています。これからも宜しくお願いします」
本は返してしまったし、この人以上に俺にわかりやすく教えてくれる先生は、たぶんこの世界にはいない。
「普段厳しい所は嫌いですが、本と教え方は上手くてわかりやすいので好きです」
ノクス先輩は俺の言葉を聞いて、何かを堪えているような表情をした。
別に動揺するようなことを言ったつもりはなかったんだけど――もしかして、この人俺に褒められて照れているのか?




