秘密のノートが見つからない!
「な……ない!」
翌日の放課後、俺は自分のノートがなくなっていることに気がついてパニックになっていた。
『レイ・シルフィード』として目覚めてから書いているノート――そこには、俺の日記に加え、二人の赤い薔薇園での俺の妄想エピや、二人のデートについても記録している。
「やばい。誰かに読まれたらまずい!」
こんなことなら、学校に持ってくるべきじゃなかった。だが、妄想や観察は鮮度が命。リアルタイムで執筆したかったばっかりになんてことだ!
放課後は勉強の約束がある。
「とりあえず、あの人に今日は用事があるって伝えに行かないと!」
俺は、鞄に荷物を詰めて図書館へと急いだ。
■
「すいません。今日は急用があって――」
図書館に着いた俺は、謝罪を述べようとして、彼が手にしていたノートに気づいて駆け寄った。
「よ……読んじゃ駄目!」
だがそのせいで躓いた俺は、転びそうになったところを、彼に支えてもらうことになってしまった。
「慌てすぎだ。全く、図書館で走るな」
「す、すいません……」
俺は謝罪を述べた後、すぐさま彼からノートを奪い返した。
「それより、それを返してください! 僕のなんですからっ!」
「やはり、お前の私物だったか」
彼は、動揺を隠せない俺をじっと見つめていた。
「……お前は、よく人を見ているんだな。小説? のようなものも書いていたようだったが」
「人間観察は、文章を書くうえで大事なので……」
心臓がバクバク音を立てる。
彼に俺の妄想(百合小説もどきなど)を読まれてしまい心が落ち着かない。
「お前は、書き物が好きのか?」
「はい?」
「日記以外にも、いろいろ書いていたようだったから」
俺は、長い沈黙のあとに、なんとか心を落ち着かせて答えた。
「……言葉にすることで、新しく見えることがあると思うんです」
このノートは妄想で終わっているが、実は俺は別に、小説も書いている。
「物語を書く中で――誰かの気持ちになって考えることで、誰かの人生を辿ることで、そうやって見えた世界が、もしかしたら誰かを変えることができるかもしれない」
そう。それはたとえば――俺が前世で読んだ『一〇〇本の薔薇を君に』が、俺の人生を変えたように。
男である俺から見た異性の感情が、正確にはリアルを描写できていないとしても、この世界にそういう創作物が『ある』ことが、もしかしたら、誰かにとって救いになることがあるかもしれない。
性別や立場なんて関係なく、人が人を想うことを、肯定する居場所ができるかもしれない。
社会の仕組みは、『大多数』の生きる世界を円滑に回すために存在している。だから、その枠から――レールから出てしまった場合、『普通の人』が歩む道とは少し異なる道となりやすい。
そんな時、鬱蒼と茂る森を、道なき道を進む誰かがいるとしたなら。ふと、道に迷って下を向いた時、足元に転がる光る石みたいに、俺は自分が、誰かにとっての標になりたかった。
俺の言葉や物語。誰かにとってはただの踏まれるような路傍の石であっても、もしかしたらそれは――心に温かな火を灯す、救いの光になるかもしれない。
「いつか俺が、俺の言葉が、誰かにとっての居場所になりたい」
俺には、『本物のレイ・シルフィード』の記憶がない。
心優しい両親は、いつか俺が思い出せると言ってくれているけれど、前世の知識を持つ俺は、一生このままな気もしている。
最愛の息子が目覚めたことを喜ぶ両親に温かな笑みを向けられて抱きしめられるたび、俺は、その愛情が嬉しいのに寂しくなった。
八歳以前の『レイ・シルフィード』は、家族に愛される人だったらしい。
父や母や兄だけじゃない。彼は、出会った人間すべてに愛される子どもだったという。
『レイ・シルフィード』が生きている。
それを喜ぶ言葉の全ては、本物の彼に与えられるべき言葉だ。
『貴方がいてくれてよかった』『貴方が好き』
その言葉は、きっと標となる。
心の中で星のように輝いて――いつか人生に迷った時に、標のように照らしてくれる。
でも俺は、記憶のない今の俺には、その資格があるか分からなかった。
なら今の俺はせめて、誰かの幸せを願える俺でありたいと願った。かつての『レイ・シルフィード』がそうであったように。
そうして、もしいつか――。
俺以外の『本物』が存在して、この体の本当の持ち主が現れたなら、ちょっと前にいた『レイ・シルフィード』も良い人間だったと思ってもらえたらいいなと思った。
俺が『彼』として過ごず間周囲から受け入れてもらえたように、真っ白な魂をした本物の彼自身が、今度は誰かに受け入れてもらえるように。
そう。いつかその時が来て――この世界から『俺』が消えても。
もし言葉が残せたなら、俺はそこにいなくても、生きていた証は残る。
そして、もし。もう少しだけ、願えるならば。
『俺』がこの世界から消えた後、誰かの記憶のなかに残る自分は、馬鹿みたいに笑っていたい。
感傷的になって黙っていたら、ヴァーミリオン様がまじまじと俺を見て、不思議そうな顔をした。
「……『俺』?」
「へ」
「今、『俺』と言ったか?」
やばっ! まさか、言い間違えた!?
本物の『レイ・シルフィード』は、俺なんて言わないはずなのに。
「え? あっ……。は。あはは! たぶん聞き間違いなんじゃないですかねっ?」
本音で話しすぎたせいで、『レイ・シルフィード』の仮面が剥がれてしまった。
逃げたい。この場所から、一刻も早く。
――早く、『レイ・シルフィード』に戻らないと。
「そういえば、私についても書いていたな」
「はい?」
『嫌いじゃないかもしれない』
俺は、昨日ノートに書いたことを思い出して冷や汗をかいた。
まさか、あの文章まで読まれたのか。駄目だ。さっきの動揺もあって、いつものように上手く話せない。
このままではこの人に、本当の、素の俺を晒してしまう。
「あ、あの、僕……!」
「お前は、たぶん良い人間なんだろう。妹の幸せを、純粋に願っている」
彼は俺のノートを見て、ぽつりそう呟いた。
「それは……本当は、貴方もじゃないんですか」
「お前は、そう思うのか?」
「――はい」
俺は、静かに頷いた。彼は――。
「そうか」
何故か胸を押さえて、独り言のように呟いた。
「……今のお前には、そう見えるのか」




