「最近お兄様がおかしい」
「最近、お兄様の様子がおかしいの」
俺が彼から公爵家で秘密の訓練を受けた数日後のことだった。
マリーさんに誘われて二人の昼食に混じった俺は、イザベラ様の発言にご飯を喉に詰まらせかけた。
「おかしい、とは?」
「何か妙に生き生きとされているというか……いつも楽しそうな顔をされているの」
イザベラ様は、真剣にお悩みのようだった。
「ところで、貴方――どうして最近、少し疲れた顔をしているの?」
「はは……」
話を振られて、俺は乾いた笑い声を上げた。
言えない。『毎日貴方の兄に個人指導されてるせいで死んでる』なんて言えない。
彼は俺が能力を伸ばし始めたことも嬉しいのか、どこまで俺ができるのか試したいようだった。
「お兄様が、あんな表情をされているところを、久しぶりに見たの」
「そう……なんですか?」
俺の前では、常に俺をいじめて(※指導)楽しそうなのに。
「お兄様は、昔から忙しい方。跡継ぎとして期待されていたというのもあるのだけれど、いつも難しい顔をされていて、私とは話してくださらないし。それに、だから私にも――」
「……イザベラ様?」
イザベラ様の表情が少し曇った。
「いえ、なんでもないわ」
■
「やっぱり、王子様絡みかなあ?」
跡継ぎの話の後の発言ということもあり、イザベラ様が言わなかった言葉の続きを、俺は『だからお兄様は私を殿下の婚約者にしたがった』だったと予測した。
「マリーさんのことは大好きなんだろうけど、あの話しぶりだとお兄様も大好きそうだもんな」
愛する恋人をとるか、愛する兄の期待をとるか――イザベラ様は、その板挟みにあるんだろう。
イザベラ・ヴァーミリオンは、この世界でもちゃんとブラコンらしい。
「だからこそ、彼女は『悪役令嬢』になった」
呟いて、俺は足を止めてぶんぶん顔を横に振った。
「駄目だ。そんな未来、絶対俺が阻止してみせる!」
「何を阻止するって?」
「ゔぁ、ヴァーミリオン先輩!」
いつの間にかつい癖で、俺は図書館に来てしまっていたらしい。
「今日は妹たちと仲良く昼食をとっていたな」
「また見ていたんですか」
「見えたんだ」
詭弁だ。
「……そんなに気になるなら、話しかけてくればいいのに」
ポツリ呟けば、彼は俺に尋ねた。
「いいのか? 私のせいで、お前の好きな百合とやらが壊れても」
「自分の顔面に自信があるからって、マリーさんが貴方に一目惚れするとでも思っているのなら、一回滝に打たれてきたほうがいいですよ。一度花開いた愛は、そんなものでは揺るぎません」
「そうか?」
彼は、以前のように俺の言葉を否定しなかった。
ただ、それ以上話をするつもりはないのか、さらっと流されてしまう。
「ところで、今日返ってくると言っていた個別試験の結果はどうだった?」
「これです」
俺は、解答用紙を差し出した。
一部不正解はあるものの、明らかに丸が増えている。
「よくやった。少しはマシになったじゃないか」
「最後の言葉は余計です」
俺は、彼から解答用紙を奪い返した。
「仕方ないので、もう少しだけ勉強を教わってあげます!」
「何故お前が偉そうなんだ」
彼は呆れた様子で息を吐いた。
「悪いが、今日は仕事があるから、勉強は見てやれない。それを伝えるためにここに来たんだ」
「……仕事って、なんですか?」
自分の声が少し拗ねたように聞こえた気がして、俺は少し恥ずかしくなった。
「生徒会だ」
そういえばこの人、この学校の生徒会副会長だった。
いつも勉強を見てくれるから、彼が忙しい人であることを忘れていた。
「試験の予想問題を用意した。今日は、これを解いていなさい」
彼は紙の束を置くと、図書館を後にした。
「忙しいのに、俺のためにこんなプリントまで作っちゃって……」
一人残された俺は、彼の作った模擬試験を全て解いてから、この世界で目を覚ましてから書いてきたノートを開いた。
そこには、日記や、俺の百合の妄想のの記録などが記されている。
『○/○
二人は今日も幸せそうに話をしていた。イザベラ様曰く、マリーさんの成績は順調に上がっているそうだ。このままいけば、彼女は無事能力を認められ、王宮魔法使いとして認められるに違いない。』
最初の方の日記に、彼の名前は出てこない。
『○/○
イザベラ様のお兄さんは、二人の関係が気に入らないらしい。そっちがその気なら、俺が受けて立ってやる。絶対に二人の関係は壊させない。』
出会ったばかりの頃の俺は、彼に強い反感を持っていた。
『○/○
お兄さんとデートを尾行した。イザベラ様は、やはり素晴らしい女性だ。彼女は、誰かのために自分を変えることが出来る人だ。でも、あんなに素晴らしいデートを見せてもらったというのに、お兄さんはまだ二人の関係が不満らしい。兄として心配なのかもしれないが、俺には二人の幸せの方が大事だ。』
『○/○
テストの点数が悪く怒られてしまった。どうしよう。これでは、両親が悲しむかもしれない。俺は、俺のせいで誰かが悲しむ顔を見たくない。俺は、俺のそばにいてくれる人に、ずっと笑っていてほしい。』
彼に勉強を教わるまで、俺はずっと魔法で悩んでいた。
『○/○
お兄さんに俺の成績が悪いことがバレた。最悪だ。』
『○/○
お兄さんに勉強を見てもらうことになった。なんでそうなったんだ? まあ二人を邪魔する時間はこれでなくなるわけだし、とりあえず頑張る。』
『○/○
この人は教えるのが上手い。本も分かりやすい。それだけ彼もこれまで努力してきたんだろう。もしかしたら、一人悩んでいた俺よりもずっと。悔しいけれど、この人はやっぱりイザベラ様の兄なのだ。』
『○/○
魔力の使い方がやっとわかった気がする。あの人のおかげ……なんだろう。少しずつ、少しずつでもいい。俺は、俺を愛してくれる人たちに、少しでも自分を誇れるようになりたい。その為に、もっと魔法が使えるようになりたい。』
『○/○
成績が上がったのを褒められて、思わず喜んでしまった。悔しい。普段自分にも人にも厳しい人だからこそ、評価されることが嬉しいのかもしれない。マリーさんがイザベラ様に褒められると嬉しそうにしている理由が分かった気がする。』
「○/○、と――」
俺は、静かにペンを取って今日の日付を書いた。
いつからだろう。彼の名前を日記に書くことに、抵抗がなくなったのは。
俺にとって彼は、ただのイザベラ様の兄でしかなかった筈なのに。
「『ヴァーミリオン先輩はイザベラ様と似て、不器用な人なのかもしれない。だったら俺は、二人がすれ違わない未来が見たい。HAPPYENDは、複数存在していいはずだ。』」
彼はまだ、完全には二人の関係を認めてはいないことは理解している。
たとえ、そうであったとしても。
「『案外――』」
彼がイザベラ様を想い、イザベラ様が彼を想っていることを、今の俺は知っている。
「『今の俺は、ヴァーミリオン先輩のことが嫌いじゃないのかもしれない。』」
だから今はそう――大切な友人のように思っている。
俺は、図書館の壁にかけられた時計に視線を落とした。
テストも日記も書き終えたけれど、彼はまだ戻ってきていないようだ。
「いつ、戻ってくるかな……?」
俺はそう呟いてから。
「……ねむ」
欠伸をして、腕を枕に眠りについた。
「……おい。おい、起きろ」
どのくらい時間が経ったのだろう?
彼の声がして、俺はゆるゆる意識を浮上させた。
「閉館時間だ」
「ヴァーミリオン……せんぱい……?」
寝ぼけながら呼ぶと、少し苛立ちの籠もった声で俺を呼んでいた彼が、ビクッと動きをとめたのがわかった。
「……お帰りなさい」
ああ、やっと帰ってきたのか。そう思うと嬉しくて、俺は思わず口角を上げた。
「――……」
すやあ……。
そして安堵した俺は、そのまま二度寝した。
「お・き・ろ」
「うわっ!」
俺は、彼の声によって叩き起こされた。
「いきなりなんなんですか! 耳元で叫ばなくて良いじゃないですか!」
跳ね起きて彼を睨みつける。
「あらあら。二人は仲良しなのね」
施錠のためか鍵を手にしていた司書の先生は、俺たちを見てほのぼのとされていた。
「ち、違いますよ! 僕たちは、全然仲良くなんてないです!」
なんだか気恥ずかしくて、つい、俺はそう叫んでいた。




