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わかる=嬉しい=楽しい

「これが、今日からの勉強の予定表だ。今後、授業も含めわからないところがあるなら私に言いなさい。理解するまで指導する」


「……はい。宜しくお願いします」


 翌日、俺が重い足取りで放課後第三図書館に行くと、ヴァーミリオン様は先に来て俺を待っていた。


 長い黒髪を軽く紐で結ってメガネをかけると、もともと大人びた顔立ちが、より年齢が少し上がって見えて先生らしく見える。


 口を開かずに本を読んでくれていれば、ぱっと見穏やかな性格の現国の先生だ。

 低音の優しい声で、有名な文豪の文章なんかを朗読してほしいけれど、声に誘われてつい眠ってしまったら、グーで頭を殴ってきそうなのが目の前の俺の先生である。


「私の授業は、まずこの本を読んでの自習を基本とする。読んでも分からないなら声をかけなさい。最後に今日の振り返りの試験を行ってから、間違えたところは解説する」

 

「……」


 俺の前には本が置かれていた。

 勉強を教えてくれるというから、講義でもしてくれると思ったけれど、自習なのかよと心の中で指摘する。

 彼はそれだけ俺に言うと、難しそうな本をペラペラと優雅に捲った。図書館に差し込む光も相まって、額縁をつけるだけで絵画として成り立ちそうなのが腹が立つ。


 こうなればもうヤケクソだ!

 俺は、彼に渡された本を開いた。


 彼が俺に渡してきた本は、全て手書きだった。

 この世界は一応すでに活版印刷? の技術があるようなので、手書きというのは少し不思議な感じがする。

 写本だろうかと思ったけれど、写された原本に関する記載はない。


「これ、どなたが書いたんですか?」

「私が書いた」

「え!?」


 公爵家の蔵書なら、有名な人間が書いた一家秘伝の書か何かなのかと思って尋ねたら、予想外の返事が返ってきて俺は目を見開いた。


「へえ……。じゃあ、ヴァーミリオン様は子どもの頃から頭が良かったんですね」

「……子ども?」


 俺が指摘すると、彼は本を読む手を留めて顔を上げて俺を見た。


「だって、ほら。今と少し字が違うから。今より少し幼い? というか……」


 ノクス・ヴァーミリオンの今の字は、お手本のように整っている。だがこの本の字は、まだどこか洗練されていないと感じる部分があった。


 俺の言葉に、彼は何故か少し動揺したように見えた。

 理由がわからない。彼がこの本を書いたのは、幼い頃だという指摘自体はあっていると思うのだけれど。


「でも、何で子どもの頃にこんなの作ったんですか? もしかして、魔法の研究者になりたかったとか?」


 彼には公爵令息として歩むべき道があり、それを諦めた時の過去の作品の一つなんだろうか。

 学校の先生になりたかった、とか?

 だとしたら、その反応も頷けるけれど――。


「そういうわけじゃない」


 俺の予想は違ったらしい。彼はきっぱり否定した。


「放課後とはいえ時間は少ないんだ。はやく勉強に取りかかりなさい」

「はーい」


 俺が間延びした返事をすると、彼ははあ、と小さく溜め息を吐いて、眼鏡軽くあげて再び本へと視線を移した。

 第三図書館は今日も静かである。

 俺は、本の内容に集中することにした。



 この世界において、魔力というものは誰もが持つ力だ。

 

 生活をする上で、明かりをつけたり料理をしたり、『魔法道具』を動かすためにも魔力は必要になる。

 だからこの世界の人間は、生活をする中で、自然と魔力の使い方を学んでいく。


 だが、一般的な生活を送る為の魔法と、王侯貴族が使う『魔法』は、やや異なるものらしい。

 簡単に説明すると、魔法の発動までに必要な魔力の量が違うんだそうだ。

 

 強い魔力を持つものは貴族となる。

 平民の中でも強い魔力を持ち、学校で優秀な成績を収めたは王宮魔法使いになる者もあり、場合によっては貴族の妾などに迎え入れられる。

 物語の中で王子様に求婚されるマリーさんは、妾ではなく正妃になったわけだから、ある意味平民クラスの中でも異例の大出世だったことになる。

 

 マリーさんは、のほほんとしているようでしっかり者で頭がいい。

 対して俺は、伯爵令息でありながら、魔力を使うことすら下手だった。

 指導通りにしているはずなのに上手く行かない。アクセルとブレーキの壊れた車みたいに、思った通りの魔力の調整すらできない。


 この世界の学校は、補習こそあれ年齢で自動的にクラスが繰り上がる仕組みだ。

 十五歳で目覚めた俺は、必然的に高校のカリキュラムを受けさせられるようなものだった。

 小学生の知識すらないのに、だ。


 マリーさんも似たようなものだったかもしれないが、彼女は地頭がよく、それに今はイザベラ様がいる。

 差は開くばかりで、彼女の前では笑っていても、内心置いていかれていく自分に焦りは感じて――でも、教科書を一人で読んでも、意味が分からず頭には何も入ってこなくて。

 試験結果は、バツばかりで。


 ……でも。

 彼が俺に渡した本は、これまで読んだ本とは明らかに違っていた。


 魔法の基礎となる知識の本。

 それは、俺のあまりの出来の悪さに呆れた先生が、「これでも読んでみなさい」と俺に渡した本とも違う。

 

 何故その基礎の知識が大事で、覚えておくべきなのか。その基礎が、応用魔法ではどのように利用されるのか。

 重要性が先に示されることで、自然とやる気が生まれる仕組み。


『この本を読む貴方は、いつかこんな素敵な魔法ちからが使えるようになる』


 それはまるで、知識というより未来を、夢を語るようですらあった。

 そしてその全てが、幼い子どもでもわかるくらい、平易な言葉で書かれていた。

 

 応用編の本には、今度は俺が忘れがちな基礎の知識がしっかり補足されており、もし思い出せなかった時に、基礎編のどこを見るべきかのページ数まで丁寧に書かれていた。


 ――わかりやすい。

 そう思ったのは、俺が魔法の勉強を始めて初めてだった。


「すごい」


 俺は思わず、そう呟いていた。


「これ……すごい。すごく、すごくわかりやすいです!」


 こんな本がこの世界にあるなら、もっと早く出会いたかった。そうしたら今もっと、俺は魔法が使えたかもしれない。


「本当に……すごく……すごく……」


 この本さえあれば、俺は両親を、悲しませずに済むかもしれない。

 イザベラ様やマリーさんのそばにいて、悲しい気持ちにならずに済むかもしれない。

 この本さえ、あれば――……。


 俺は、彼に渡された本を抱きしめていた。

 自分でも制御ができない。胸の奥にしまっていた感情が溢れだして、何故か視界がぼやけてしまう。

 彼は、そんな俺を見て。


「……そうか」


 ――……笑った。

 

 彼は視線を少しだけ俺の方に向けて、静かに微笑んでいた。


 俺はその日、初めて彼が笑うのを見た気がした。

 まるで小さくて愛しいものを見つめるみたいに、その瞳は優しかった。


「基礎が理解できたなら、これを解いてみなさい。解き終わったら声をかけなさい。私が採点する」


 彼はイザベラ様とマリーさんの仲に反対していて、俺の敵のはずなのに、俺は今の彼に反抗することができなかった。

 教師らしい命令口調。でもその言葉に、今は安堵してしまうのはどうしてだろう?


「……ありがとう、ございます」


 俺が下を向いたまま礼を言うと、彼は目を伏せて、再び本に視線を移した。


 




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