手を伸ばしても、貴女がこの手を掴んでくれないなら。
「すいません。今戻りました」
俺とイザベラ様の話が終わってから、魚の餌を抱えたマリーさんが戻ってきた。
「おかえりなさい。マリーさん」
「……おかえり。マリー」
帰ってきたマリーさんは、なぜか妙にソワソワしていた。
「あの、イザベラ様。よかったら、これを」
マリーさんは、イザベラ様に何かを差し出した。
「これは……ヌッシーのストラップ?」
「その……よければ、今日の思い出に。実は私とお揃いなのですが、もらっていただけると嬉しいです」
イザベラ様のヌッシーには、頭に赤い薔薇がついていた。なんということだ。冴えないデザインなのに、突然可愛く見える。
「この男の分はないの?」
ストラップを受け取ったイザベラ様が静かに尋ねた。
マリーさんが、俺を見て助けを求める。俺は仕方ないなと心の中で息を吐いて、マリーさんに助け舟を出すことにした。
俺に妹はいないけれど、今の俺には、マリーさんは少し手のかかる可愛い妹みたいに思えた。
なら、俺は彼女の兄(勝手な自認)として、彼女の恋心でも喧伝しようじゃないか。
イザベラ様。マリーさんはね、貴方とお揃いが良かったんです。俺抜きで、貴方だけと。この子は貴方と幸せになりたいって、心からそう言ってるんだよ。
「マリーさんとお揃いなんて、イザベラ様が羨ましいです」
世界の常識なんか俺は知らない。ただ俺は思うんだ。
他人の目も、誰がどう言ったとしても関係ない。
誰かが本当に悩んでも捨てられなかった想いや決断を、簡単に否定する人間がいるとしたら、本当に優しい人間とは言えない。
俺は知っている。マリーさん、イザベラ様。貴方たちは優しい人だ。
普通の人間が大人になれば消える火を、今もまだ、心に宿したままでいる。
「マリーさんは、本当にイザベラ様が大好きなんですね」
その灯火が未来、誰かに消されてしまわないように。
俺は貴方たちが心から笑い合える――二人が一緒に幸せになれる、そんな幸福な結末が見たいのだ。
「ぬっし〜!」
――その時。
俺たちのすぐそばの水の中から、よく分からない生き物が珍妙な鳴き声とともに顔を出した。
ヌッシー。ヌッシーである。マリーさんが求めてやまないヌッシーが、俺たちの前に現れた!
「……ちっちぇえ!」
俺は思わず素が出た。
仕方がない。普通、未確認生物《UMA》で有名なやつって、ツチノコ以外割と大きかったはずだ。湖のヌッシーと言われたら、大きな生き物を想像するものじゃないか。
でも違う。ヌッシーは手乗りサイズのプレシオサウルス(首長竜)みたいな外見で、牙はとがっているようには見えない。優しい――というか、作画コストが低そうなまんまるおめめに、ゆるキャラのような、ぬおんとしたお口である。
「可愛い〜!」
マリーさんは、俺やイザベラ様とは違いとても興奮したご様子だった。
「イザベラ様! 見てください。ヌッシーです。ヌッシーです!」
「ええ……。そうね。可愛いわね」
イザベラ様は、ヌッシーではなくマリーさんを見て言った。
「ですよね! わあ、凄い。本当に会えるなんて!」
マリーさんはイザベラ様に、満開に咲く花のような笑顔を向けた。
「イザベラ様、よかったですね。これで私たち、幸せになれますね!」
■
ヌッシーとの出会いを無事終えた俺たちは、餌やりを終え、また大噴水のある場所に戻ることにした。
魔法の才能はあるものの平民であるマリーさんは、学校が提供している寮で暮らしていて、場所は大噴水から近いらしい。
過保護なイザベラ様は彼女を寮まで送るといったが、マリーさんが申し出を断ったため、かわりにここまで送ることになったのだ。
「送ってくださってありがとうございます。私、今日は一緒に過ごすことができて、すごく幸せでした。それで……もし、よかったら――なのですが」
マリーさんは、ヌッシーのストラップをぎゅっと握った。
まるで、自分に勇気をくれる恋のお守りみたいに。
「今日の夜――私と一緒に過ごしていただけませんか?」
「夜……?」
「はい! 今日は夜に、ランタンを飛ばすそうなんです。それで、そのランタンなのですが、好きな人と一緒に飛ばせたら、一生一緒にいられると言われていて――」
俺は心の中で、「きゃーっ!」と黄色い声を上げた。
だって、こんなのもう告白じゃないか。すごいぞマリーさん。さっき言葉を遮られてあんなに落ち込んでいたのに、もう勇気を出していて偉い!
ああやっぱり、恋する乙女は強いのだ。
「それで……! もしよかったら、一緒に夜まで過ごしていただきたくて!」
「じゃあ僕は帰りま――」
こんなにマリーさんが頑張ったのだ。二人の幸せなデートを夜まで見ていたいけど、お邪魔虫はそろそろ退場しなきゃね。
「なら、私はここで帰るわ」
だが二人に背を向けた俺の耳に聞こえたのは、信じられないイザベラ様の答えだった。
「……え?」
マリーさんの表情が固まる。それはそうだ。勇気を出して告白まがいのお願いをして、拒絶されたら普通の人間は心が折れる。
「だって、私がいたら邪魔でしょう?」
「イザベラ様……?」
マリーさんは意味がわからない、という表情をした。
「ひどい男だと思っていたけれど、思っていたよりまともなようだし」
イザベラ様は、目を伏せて静かに告げる。
彼女の俺に対する評価は、何故か今日で上がっていたらしい。
「彼なら、貴女を傷つけたりなんてしないでしょうから」
イザベラ様に評価してもらえるのは素直に嬉しい。だがそれが、イザベラ様の心に傷を付けたなら、俺はそんな評価なんていらない。
待ってくれ。
恋を終わらせるのを選ぶのは自分だとは言ったけれど、俺はイザベラ様に、マリーさんへの思いを諦めてほしかったわけじゃないんだ。
誤算すぎる。
イザベラ様は、もしかしたら俺が想像していたよりずっと――いやかなり、繊細な女性なのかもしれない。
恋愛初心者のマリーさんには難易度が高すぎる攻略相手だ。そして、本当の恋というものを知らない俺にとっても。
「え? ちょ、ちょっと。待ってくださ」
このまま彼女を帰してしまえば、きっとThe End――もう二度と、マリーさんとイザベラ様が結ばれることはないだろう。
悪い予感がして、焦った俺がイザベラ様を引き止めようとすると、いつもは大人しいマリーさんが、急に走り出してイザベラ様の腕を掴んだ。
「……離しなさい」
「いや……です」
マリーさんの手は震えていた。
「嫌です。お願いです。帰らないでください。ちがう。違うんです! イザベラ様!」
でもマリーさんは、今度はイザベラ様が言葉で拒絶しても、掴んだ手を離さなかった。




