利用し、利用される
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──利用し、利用される
正体不明の女性ジェーン・ドウ。
人間かどうかすらも分からないその存在を前に、ファティマは息を呑んでいた。
「と、まあ、知ったかぶりをするのはやめておきましょう。私も魔法が使えるわけではありませんし、奇跡が起こせるわけでもありませんから」
それから冗談でも言ったかのようにぽんと手を叩いて笑うジェーン・ドウ。
しかし、ファティマには依然としてジェーン・ドウは怪しい存在だった。
彼女からは不吉な気配を感じる。
「さて、それよりまずは報酬の話ですね。それから良ければ続きの仕事について話しましょう」
「オーケー」
それでもミオンの方はジェーン・ドウを信頼している様子だった。
長い付き合いなのだろうかとファティマはその様子を見て思う。
「報酬の12万新円です。大事に使ってください」
「やった! 金払いがいいからジェーン・ドウの仕事は好きなんだ」
「それは何よりです」
ファティマにはふたりの間で金銭がやり取りされたようには見えないが、報酬はこれで支払われたらしい。
「ファティマにも送金を……ってファティマはARデバイスを持ってないんだっけ?」
「えーあーる?」
「そう、これね」
そう言ってミオンは目からコンタクトレンズのようなデバイスを取り外した。
「拡張現実デバイス。あたしたちはお金やメッセージは主にこれでやりとりしているから、ファティマも買わないとだね」
「け、けど、私はそんなにお金は……」
「大丈夫。ファティマには仕事を手伝ってもらったし、あたしがIDの偽造を含めて代金は支払うから。安心していいぜ」
「あ、ありがとう、ミオン」
この街はファティマを受け入れてくれるかもしれないが、この街で過ごすにはとにかくお金がかかりそうだと彼女は思ったのだった。
IDの次はARデバイスなるものが必要だというのだから。
「そんなお金が必要なおふたりに新しい仕事を斡旋しましょう」
ジェーン・ドウがそんなミオンとファティマの様子をにこにこと見て言う。
「私の所属している企業──大井コンツェルンは、あなた方の交戦した天義会との間に依然としてトラブルを抱えています」
ジェーン・ドウはそう説明。
「大井……」
「ファティマも流石に大井は知ってるよね? なんたって六大多国籍企業の一角だしさ」
「え、ええ。どこかで聞いた覚えがあるような……」
ミオンが心配そうに尋ねるとファティマは首を傾げながらもそう返した。
「トラブルの発端は彼らが密入国させた人間にあります。彼らはどうやら産業スパイの類の密入国も斡旋していたようなのです。それも表からは決して入国できないような札付きの連中を、ですね」
天義会の仕事は人身売買と密入国斡旋。
その密入国ビジネスで産業スパイという大井にとって利益にならない人間を入国させたようだ。
「それで、仕事の中身は?」
「天義会の密入国に関わった人間の殺害と密入国した産業スパイの確保。我々はこの手の大井に不利益な不法行為は見逃さないという姿勢を示さなければなりません。甘い態度を取れば、他の犯罪組織もこの手の行為に加担するでしょうから」
ミオンが尋ね、ジェーン・ドウはそう答える。
「天義会は劉を殺害されたことで警戒してるんじゃない?」
「ええ。ですが、彼らは混乱状態です。私はあなた以外にも傭兵を動員し、並行して襲撃を仕掛けさせていますから」
「へえ」
「しかしながら、彼らの警戒が高まっているのは事実です。危険な仕事になるでしょう。なので高報酬は約束いたしますが、引き受けていただけますか?」
無理強いはしないというようにジェーン・ドウは提案。
ファティマはどうするというようにミオンの方に視線を向けた。
「オーケー。あなたの頼みだ。引き受けるよ。目標の情報を頂戴」
「ありがとうございます。あなたは本当に頼りになる傭兵です。それでは目標の情報をどうぞ」
そこでジェーン・ドウからミオンはARデバイスを経由して、天義会の次の標的の情報を受け取った。
「周明軒。天義会のナンバー・スリー、か」
「ナンバー・ワンとナンバー・ツーはすでに排除してありますので、彼が今の事実上のナンバー・ワンです」
「そいつは随分と昇進したね」
次のターゲットである周の情報を渡されたミオンがそう感想を述べる。
天義会はすでにトップを大井によって殺害され、並行して幹部たちが襲撃されており、壊滅寸前のようだ。
「それとこれが件の産業スパイの情報です」
「クロエ・ホアン。元アメリカ陸軍の生体機械化兵か……。こっちの方が周より厄介そうだね…………」
次にジェーン・ドウからミオンに情報が提示されるのに彼女が唸る。
「ま、ましなりー・そるじゃー?」
「高度に人体を機械化した兵士のこと。それ以上の定義はあたしの知る限りないけれど、基本的に機械化率が60%を超えている。このクロエ・ホアンの場合は82%だって」
「え、えーっと。サイバーサムライも高度に人体を機械化しているんですよね?」
「そうだよ。刀だけを得物とし、銃を使わない生体機械化兵がサイバーサムライだとも言えるね」
「へ、へえ……」
ファティマにはいまいち人体を機械化するということの意味が分かっていなかった。
身体の80%以上を機械化しているというミオンを見ても、彼女の身体のどこが機械になっているのかさっぱりだった。
外見を見た限りでは、彼女は普通の女性に見える。
「それはそうと、生体機械化兵の産業スパイってことは荒事専門ってところかい?」
「ええ。我々の調べでは物理強奪に特化している産業スパイです。恐らくこの街──トーキョーメトロコンプレックスの大井関連施設からの何かしらの強奪を計画しているのでしょう」
「じゃあ、その前に殺さないとね」
「いいえ。できれば生きたまま確保していただきたいのです。引き出したい情報がありますので」
「生け捕りか……」
「もちろん五体満足で、とは言いません。手足がなくなっていても問題はありません」
ジェーン・ドウはにこりとした笑顔で物騒なことを口にする。
その笑みを見てますますファティマはジェーン・ドウが恐ろしく見えた。
「了解。居場所は分かってないんだね?」
「ええ。このセクター13/6にいるのは間違いないのでしょうが、それ以上のことは。大井にとってもセクター13/6に逃げ込んだ人間の追跡可能性はほぼゼロです」
ファティマにもセクター13/6が自分たちが今いるスラムを指すことは分かった。
しかし、数字で街を呼ぶというのは、いまいち温かみを感じないと彼女は思った。
ファティマの暮らしていた場所にもタッペ・イ・ジャードゥーガルという立派な名前がついていたというのに。
「なら、こっちで調べて片付けるよ。任せておいて」
「よろしくお願いしますね」
そう言ってミオンは席を立ち、ジェーン・ドウが微笑む。
ファティマもミオンに続いていそいそと席を立った。
「あ、あの、ミオンはジェーン・ドウさんとは長い付き合いなんですか……?」
マンガ喫茶の外に出るとファティマはすぐにミオンにそう尋ねる。
「ん。そんなには長くないよ。出会ってから1、2年かな?」
「そ、そうなんですか? それにしてはとっても親しげでしたけど……」
ファティマは疑問に感じてミオンにそう尋ねる。
ファティマには未だにジェーン・ドウが何かよくないもののように感じられていた。
「彼女、仕事に対する金払いがいいからね。それに企業の代理人にしては優しいし。大抵のジョン・ドウ、ジェーン・ドウの類は威張り腐ってこっちを見下して、道具のように扱うからね」
「ジョン・ドウ、ジェーン・ドウの類……?」
「そ。ジョン・ドウやジェーン・ドウってのは本来『身元不明者』って意味だよ。彼らは本名や正体を明かさない。どこの企業に所属しているのかも隠して、あたしたち傭兵を騙すことがあるぐらい」
「あのジェーン・ドウは大井の所属だと言っていましたけれど……」
「うん。それは間違いないよ。いくつかの仕事で確認した。彼女、そういう意味でも信頼できるんだ」
「なら、彼女の本名も……?」
「それは不明。ジェーン・ドウはジェーン・ドウのまま」
ファティマの問いにミオンは肩を竦めた。
「それでも信頼しているんですか……」
「信頼? まさか。彼女はあたしを利用し、あたしも彼女を利用している。それだけの関係に過ぎないから」
「利用し、利用される……」
「そういうものだよ? 人間関係なんて」
いつもの人懐っこさのないドライな声色でミオンはファティマにそう言った。
「なら、私たちも……?」
「そうさ。あたしは君を利用し、君はあたしを利用している。お互いにお互いの利益のために動く関係だよ」
「そう、ですよね……」
ファティマは一瞬だけミオンが否定してくれることを期待したが、それはいくらなんでも無茶だと思い直した。
確かにミオンはファティマの魔法を見ても彼女を拒絶することはなかった。
それは恐らくファティマの魔法がミオンの利益になったから。
それだけなのだ。
「さあ、仕事を続けよう。あたしの次の仕事仲間を紹介するよ!」
「は、はい」
利用し、利用される関係。
そうであったとしてもファティマにとってミオンと過ごす時間は、これまでのどんな時間より温かく思えた。
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