サーカス//事後処理
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──サーカス//事後処理
フェルドマン博士は死んだ。
彼女の死後、大井上層部の命令で研究所は完全に封鎖された。
すぐに暗殺者探しが始まり、大井統合安全保障のコントラクターたちが研究所内を徹底的に捜索する。
そこであるものが見つかった。
監視カメラのない個室に放置された研究員の死体だ。
研究員に埋め込まれていたバイタルサインを自動取得し、保安部に送信するチップは無力化されていたので正確な死亡推定時刻は断言できないが、死後硬直などから見て昨日の深夜ごろに死亡したと思われる。
それなのに、監視カメラの映像ではその研究員は、今日のフェルドマン博士の歓迎に訪れていた。
すぐに該当する研究員の拘束命令が大井統合安全保障に指示されたが、大井統合安全保障が捜索を始めたときには、すでにその研究員の姿は研究所にもTMCにもなかった。
『極めて高度な変装による侵入と恐らくは単分子ワイヤーによる殺害』
大井統合安全保障の報告はそのように結論している。
ミオンとファティマも暗殺者を捕えようと動いたが、彼女たちにできることはなく、ジェーン・ドウの提示した期限が訪れた。
フェルドマン博士の死から2週間が経過したのだ。
ミオンたちは得るものがないまま、ジェーン・ドウから連絡を受けてセクター4/2にある喫茶店に向かっている。
「……仕事、失敗してしまいましたね……」
ファティマが無言の車内でそう言う。
「そうだね……。フェルドマン博士は守れなかった。けど!」
右手でハンドルを掴んだまま、左手でファティマの手を握るミオン。
「あたしたちは生き残った。それで良しとしておこう。ね?」
「……そうですね。私たちは生き延びました……」
あれだけ激しく、危険な戦いを経てもミオンは生きている。
ミオンの手から伝わってくる温もりを感じてファティマはそう感じた。
この温もりがあれば、他のものはいらないとすら思えた。
それからミオンとファティマはセクター4/2の喫茶店に入り、ジェーン・ドウに会う。
ジェーン・ドウは仕事は失敗したのに責めるような表情はしておらず、不気味なほどににこにこしていた。
「仕事の方はご苦労様でした。まあ、結果としてはいささか残念なものになりましたが」
ジェーン・ドウはそう言いながらも笑顔のままだ。
「ですが、得るものも多々ありました。その点はあなた方に感謝しています」
「得るもの?」
「ええ。まず大井上層部がサーカスについて、より危機感を覚えたことです。これまではただ漫然とTMCに危険な暗殺部隊がいるという認識でしたが、それが今回の件で危機が明確化しました」
ジェーン・ドウはコーヒーを手にそう語る。
「今回の作戦ではまだまだ我々はサーカスの脅威を甘く見ていました。動員された戦力の中で本当にプロと呼べたのはあなたたちぐらいです、ミオン、ファティマ。他は数合わせにすぎませんでした。それでも上層部はどうにかなると、そう考えていたのです」
彼らはこの件でようやく考えを改めたとジェーン・ドウは言う。
「そして、です。これまでは幽霊のように逃げ延びてきた彼らですが、今回は死体を残しました。あなた方が撃破したアーマードスーツとそれを操縦していた人間の死体。そこから後を追うことは可能でしょう」
これは大きな収穫ですとジェーン・ドウは嬉しそうに言う。
確かにこれまでサーカスは現場に証拠らしき証拠を残さなかった。
だが、今回は彼らはしくじった。
現場にはアーマードスーツの残骸とそのパイロットの死体が残っている。
そのアーマードスーツの出所や脳にインストールされているインプラントの情報を辿れば、京極と彼女の雇い主の元に辿り着けるかもしれない
そう考えるとこれは大きな収穫だ。
「なるほどね。よければ、だけど……」
「何でしょう?」
「アーマードスーツのパイロットの死体は調べ終えたあとで軍人墓地に葬ってあげて。あなたも知っているだろうけど、パイロットは元軍人だから……」
ミオンはそうジェーン・ドウに頼んだ。
あのアーマードスーツのパイロットが誰だったかは分からないが、ミオンと同じ元軍人であることは確かなのだ。
そして、もしかするとパイロットはミオンの戦友の誰かだったかもしれない。
そう思うとミオンは脳だけになってしまったとは言え、最後は人として葬ってあげてほしかった。
「分かりました。手配しておきましょう」
ジェーン・ドウはミオンの頼みに頷いて見せる。
ミオンの頼みを断る理由は、特にジェーン・ドウにはなかったようだ。
「では、こちらが今回の仕事の報酬です。改めてご苦労様でした」
ミオンとファティマの端末にそれぞれ15万新円が振り込まれる。
今回の仕事が事実上の失敗だったことを考えると破格だ。
それからミオンとファティマは喫茶店を出て、セクター13/6へと戻る。
車内でミオンは珍しく口を閉ざし、ファティマには話しかけてこず、ファティマは気まずい沈黙を味わっていた。
「あ、あのう、ミオン……。やっぱり、元いた部隊のことが気になりますか……?」
「まあ、それはね。地獄のような戦場を一緒に戦った仲間だし。だけど、あたしはちゃんと前を向いているから安心して。今はファティマと一緒に生きてるから……」
心配するファティマにミオンはそう言う。
しかし、ファティマはその言葉を聞いても、やはりミオンが過去に囚われているような気がしてならなかった。
「……今のミオンはどこかに消えてしまいそうです……」
ファティマは素直に彼女の懸念を口にした。
「……いなくならないよ。あたしはずっとファティマのそばにいるから……」
ミオンはそう言うものの、その目は今の時間を生きているようには見えない。
ファティマには彼女が見ているのは、情報軍の実験部隊に所属していたときの悪夢のような気がした。
「さて、李可昕のところに行こうね。彼女に仕事の報酬を渡すのと彼女が何かサーカスについて情報を掴んでいないか確かめる」
「は、はい」
ミオンはそう言い、車を李可昕のいる雑居ビルに向けて走らせる。
セクター13/6の薄汚れた景色が過ぎ去り、ファティマたちは雑居ビルの前に。
「李可昕。仕事のことで話がある」
そう言ってミオンは李可昕の家に上がった。
「ああ。来たな、ミオン、ファティマ。しかし、今回の仕事はえらいことになったな……」
李可昕も流石に今回は疲れた表情でミオンたちを出迎えた。
「まあね。京極大佐が相手だからかなりの脅威は想定していたけれど、今回のは想像の遥か上をいっていたよ」
「天下のTMCでアーマードスーツで大井の車列を襲撃した上に、ステルス機まで飛ばし、それで最後はしっかりフェルドマンの首を取ったんだもんな」
サーカスって連中はいかれてるぜと李可昕はぼやく。
「でさ、マトリクスの方での動きを詳しく聞かせて。彼らは大井統合安全保障の構造物を攻撃してたんだよね?」
「そうだ。ハッカーの間でも話題になっている。大井統合安全保障の構造物と言えば、超高度軍用グレードの氷で守られているんだからな。そいつが今日、あっさりと砕かれた」
「電子猟兵かもしれないって言ってたよね?」
「ああ。その可能性はある。どうも動きが有機的で、AIのそれじゃなかったからな」
ミオンが尋ねると李可昕はそう言って頷く。
「さ、さいばーいえーがー?」
「電子猟兵。脳に電子戦用のインプラントを大量に入れて、マトリクスでの活動に特化した人間のことだよ。生体機械化兵が物理での強化なのに対して、彼らはマトリクスでの活動を強化している」
「な、なるほど。そ、その電子猟兵が今回の騒動に?」
分かったような気がしながらファティマは尋ねる。
「かもしれないってレベルだな、今は。これから情報収集だ。今回の騒動にはハッカーたちも好奇心がうずいている。いろいろな真偽不明の情報が飛び交うだろう。そこから事実を見つけ出してくる」
「頼むよ、李可昕。サーカス関係の仕事がこれで終わりとは思えない。あたしたちは結局やつらの暗殺を阻止できなかったし……」
「そうだな。これからも厄介な問題として現れるかもしれん」
サーカスと推定される暗殺部隊は、ミオンとファティマに妨害されながらも彼らの目的を達成した。
フェルドマン博士は死に、大井は衝撃を受けている。
「……なあ、ミオン。あんまりこういうことを聞きたくはないんだが、あんたは京極大佐って女と知り合いなんだろ? 軍隊で同じ部隊にいたのか? いたとすれば、それはなんて名称の部隊だ?」
軍人として過去のことは聞かないと言っていた李可昕だが、京極が問題になってくるのに少しでも情報を得ようとミオンにそう尋ねる。
「本当に答えたくないことを聞くんだね」
「別に答えたくないなら答えなくていい。だけど、こっちで勝手に探して答えに行き着いても文句は言うなよ。こっちもこれが仕事だからな」
「分かった、分かった。教えるから拗ねないでよ」
李可昕が僅かに苛立ちを含ませて言うのに、ミオンは降参だと両手を上げた。
「……日本情報軍第919部隊」
ここで初めてミオンの口から彼女が所属していた部隊の名前が明かされた。
「それだけか? 指揮系統は?」
「日本情報軍参謀総長が直接指揮する部隊になっていた。少なくとも名目上は。だけど、実際には企業が少なくない干渉をしていたね」
「参謀総長直下の実験部隊、か。胡散臭い……」
ミオンの言葉に李可昕がそう呟く。
「分かった。では、こっちはその線でも調べておく。結果が出れば知らせるが、いつになるかは分からん。気長に待ってくれ」
「はいはい。首を長くして待ってるよ」
李可昕はそう言い、ミオンは李可昕に返事して軽く手を振るとファティマとともに彼女の家を出た。
ファティマはミオンとふたりきりになり、ミオンの方をじっと見つめる。
彼女は身体の80%以上を機械化していると言っていた。
その話を聞いたときには全く実感がなかったが、あのアーマードスーツのパイロットを、脳を一部残すだけになったパイロットを見て、ファティマは少し不安を覚えた。
「……ミオン。あなたはどれくらい、その、実験を受けていたんです……?」
ファティマはミオンにそう尋ねる。
ミオンもまた脳の一部だけが生身として残るのみなのだろうかと危惧するように。
「まあ、いろいろとインプラントの実戦データを取ったよ。あたしは主に高度な人工筋肉とそれを制御する強化脳だったから、あまり脳は弄られなかったけど」
「そ、そうですか」
「不安に思った? あたしも脳幹しか残ってないんじゃないかって」
「い、いえ、そういうわけでは……」
ミオンがそう尋ねるのにファティマは自分の質問が失礼だったと思い直して、慌ててそう返す。
「……あたしはまだあたしだよ。機械でいくら置き換えてもね」
「ミオン……。そうですね……。あなたはあなたです。私にとっても……」
ミオンが言うのにファティマもそっと頷いた。
たとえミオンが脳幹しか元の身体が残っていなくとも、ファティマがミオンを思う気持ちに変わりはない。
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