サーカス//ジェーン・ドウ
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──サーカス//ジェーン・ドウ
京極の襲撃を受けた仕事から数日が過ぎた。
あれからも李可昕が京極について調べてくれているが、まだ何かが分かったという情報はない。
京極の行方は知れず、彼女が所属している企業も謎のままだ。
しかし、ミオンの方はようやく平静を取り戻していた。
「ファティマ。今日は何しようか?」
ミオンは数日間はやはり落ち込んでいたが、今日はすっかり元気だ。
そのことがファティマを安堵させていた。
落ち込んでいたミオンは本当に辛そうで、それを見ているファティマまで心が沈んだのだから。
「そ、そうですね。すっ、少しこの街に慣れたいと思うのですが……」
「ふむ。とは言えど、このセクター13/6に慣れてもいいことはないと思うけどな」
ご覧の通りのスラムだしとミオン。
ここに慣れたら悪徳だけが身に付くだろうとも。
「でっ、でも、いつまでも外出するたびに、ミ、ミオンに付いてきてもらうわけにはいきませんし……」
「……もしかして、ファティマ。独り暮らしを考えている……?」
「えっ! そっ、そ、そういうわけでは……」
「まあ、確かに狭い部屋だからね。引っ越したくなるのは分かるよ。何かもうちょっと大きな仕事をこなせばもっと広い部屋に引っ越せるんだけど……」
ファティマが狼狽えるのにミオンがそうぼやく。
確かにこの家はふたりで暮らすには少し狭い。
ベッドはひとつしか置けないので、未だにファティマとミオンは同じベッドで寝ているぐらいだ。
「何か稼げる仕事があればいいんだけど──」
そこでミオンのARデバイスにメッセージが着信した。
それを見てミオンはちょっと驚いた表情を浮かべる。
「おっと。話が聞こえてたのかな? ジェーン・ドウから仕事だってさ」
「仕事ですか?」
「どうする? ジェーン・ドウの仕事なら企業案件だし、稼げるとは思うけれど、それだけリスクもある」
「そ、そうですね。ど、どうしましょう……?」
「まあ、なるべくなら受けた方がいいね。お金が欲しいってのもあるけど、ジェーン・ドウからの信頼も得ておきたい。彼女が回してくる仕事は稼げるから、優先して斡旋してもらいたいし」
それに、とミオンは続ける。
「お金を頑張って稼いで新居に引っ越そう。ファティマも部屋が広くなれば独り暮らしは考えなくていいでしょう? ね?」
「は、はい。そっ、そうですね」
別にファティマは部屋が狭いことに不満はなかったのだが、ミオンの方は勘違いしたままで訂正する機会もなかった。
今のセミダブルベッドをふたりで使ってうことにももう慣れたのだが……。
ファティマがこの街について知りたいのは、ただミオンの負担を減らしたいと思ったからだ。
今は買い物に行くのにも、李可昕のところに遊びに行くのにも、ミオンについてもらってきている。
ミオンにも自分の時間が必要だろうし、なるべく自分でできることは自分でできるようになりたいとファティマは思っていたのだ。
「じゃあ、決まりだね。ジェーン・ドウに会いにセクター4/2まで向かおう」
ミオンはファティマが同意したと判断すると、早速家を出る。
ファティマとともに車に乗り込み、セクター4/2にあるいつもの喫茶店へ。
相変わらず高級感の滲み出ている喫茶店に入り、ミオンたちはジェーン・ドウと合流する。
「待っていましたよ、ミオン、ファティマ」
そして、やはりいつものようにジェーン・ドウはにこにこと怪しげに微笑んで、ファティマたちを出迎えた。
「仕事があるんだよね?」
「ええ。その前に最近あなた方が関係した事件について教えてください」
「……事件……」
「統一ロシアの製造した電子ドラッグに関係する仕事のことです。あの件であなた方はとある傭兵と交戦したはずですが」
「……知ってるんだね……」
あの場にはミオンとファティマ、アルチョム、そして京極しかいなかったはずなのに、どういうわけかジェーン・ドウはミオンたちが京極と電子ドラッグを巡って交戦したことを把握していた。
「ええ。情報を集めるのも私の仕事ですから。あなた方が交戦したのは京極サクラ元日本情報軍大佐で間違いありませんか?」
「間違いないよ。けど、彼女は仕えている企業ってまさか……」
「大井ではありません。だからこそ、問題なのですが」
ミオンの言葉にジェーン・ドウは首を横に振る。
「彼女がどこの企業に仕えているかは不明です。ですが、彼女は所属していた部隊からオペレーターを引き抜き、彼女自身も情報軍を抜けて企業に所属するようになったことは確かです」
ジェーン・ドウは険しい表情のままのミオンにそう説明する。
「この街に大井の管理下にない優秀で危険な暗殺者集団が出現した、と我々の情報部は認識しています。我々は目下、その暗殺者集団について調査を進めているのですが、なかなか尻尾を掴ませません」
「……その調査が今回の仕事?」
「目的としては、その通りです。大井としては彼女たちに不満がありますから」
ミオンが慎重に尋ねるとジェーン・ドウはそう言って返した。
「不満、か。それは自分たちのコントロール下にない殺し屋がこの街で暗躍してることへの不満だけかい?」
「他の理由に心当たりが?」
「ないよ」
本当はミオンには心当たりがあった。
日本情報軍の実験部隊であった京極の部隊にインストールされていたサイバネウェアは大井製だということだ。
京極が情報軍から脱走し、大井以外の企業に仕えているというのは、大井にとって重大な情報の漏洩となる。
「さて、今回の仕事では彼女たちの足取りを掴むために、ある準備をしました。我々は現在彼女たちに狙われている人間を保護しています。これがどういう意味かは説明するまでもないと思いますが」
「餌だね。誘き寄せるための」
「その通りです。あなた方には大井統合安全保障の部隊とともに、この人物の護衛に当たっていただきたい」
ジェーン・ドウからそこである人間の人物像がミオンとファティマの端末に送信されて来た。
添付された画像には50代ほどに見える女性の顔写真がある。
「……ソフィー・フェルドマン。元カリフォルニア大学の生物工学分野の研究者。今は引き抜きを受けて大井医療技研に移籍、と……。彼女がどうして京極たちに狙われていると分かるの?」
「我々はある極秘プロジェクトを進めていたのですが、それに関係する研究者が相次いで殺害されたり、拉致されたりしているのです。我々はこれを敵対する企業による破壊工作であり、京極大佐たちによる犯行と見ています」
ミオンが尋ねるのにジェーン・ドウから追加の情報が送られてくる。
それは画像データであり、惨殺された研究者たちの写真だった。
あるものは首を刎ね飛ばされており、あるものはばらばらに解体されている。
拷問の痕跡がある死体もあり、ファティマは『ひいっ!』と小さく悲鳴を上げた。
「フェルドマン博士はこのプロジェクトの一員です。次に狙われる可能性があれば彼女だろうと推測しています。納得していただけましたか?」
「あ、あのう、その極秘プロジェクトって……?」
ここでファティマがおずおずとそう尋ねる。
「申し訳ありませんが、それを明かすことはできません。仕事の上で必要になる情報でもありませんから。あなた方はただフェルドマン博士を護衛し、もし彼女が殺害されても暗殺者たちを追跡してください」
「は、はい」
ジェーン・ドウに首を横に振られ、ファティマは慌てて頷いた。
しかし、これだけの死人を出しているプロジェクトは一体どんなものなのかという疑問は残っていた。
「オーケー。で、この仕事はいつから始めて、いつ頃まで続くんだい?」
ミオンの方はプロジェクトに全く興味はなさそうで、ジェーン・ドウに仕事のさらなる詳細を求める。
いつから護衛の仕事を始め、いつまで続けるのか。
「明日から仕事をスタートさせてください。フェルドマン博士は今はトーキョーヘイブンにいますが、明日から大井医療技研の研究室に移ります。その際の護送から始めてもらいます。終了するのはフェルドマン博士が死亡した場合はそれから2週間後、または京極大佐が死亡したことが確認されるまでです」
「随分と長く拘束されそうだね」
「ええ。その分の報酬はちゃんとお支払いしますよ」
こちら側が受け身の作戦なので、仕事の期限はほぼ無期限であった。
そのことにミオンが少しばかり不満を示すが、ジェーン・ドウは多額の報酬をちらつかせて交渉した。
「そうだね。ファティマはどうする? 受ける?」
ここでミオンがファティマの意見を求める。
「……そ、そのう、京極大佐と戦う可能性があるわけですよね? ミ、ミオンは大丈夫、なんですか……?」
「……あたしは大丈夫。ファティマが一緒にいてくれるなら、だけど」
「そうですか……」
ファティマは心配だった。
食堂で対峙したミオンと京極の間には憎悪と敵意が渦巻いていた。
ファティマはミオンの過去を知ってその理由が理解できている。
だからこそ、またミオンが京極に相対することで、ミオンの過去のトラウマが刺激されるのではないかと危惧していたのだ。
それに、だ。純粋に京極は強い。
ミオンを相手に一方的な攻撃を加えてきて、反撃も許さなかった。
今度戦ったときには、殺されてしまうかもしれない。
「……私もミオンと一緒ならば受けます」
「じゃあ、決まりだね。仕事を受けるよ、ジェーン・ドウ」
暫くの沈黙の末にファティマはそう決断し、ミオンは笑うことなくジェーン・ドウに告げた。
ファティマは思っていた。
ミオンと一緒にいるには彼女に守られてばかりではダメだと。
ファティマもミオンを守れるぐらい強くあらなければならないと。
この仕事でまずはそれを示そうと。
そう決意していた。
「ありがとうございます。あなた方の我々への助力に感謝するとともに、仕事の成功を心から祈ります。さて、もう質問はありませんか?」
「そうだね……。京極大佐たちの暗殺者集団はなんて名前で呼ばれているの?」
ミオンがそうジェーン・ドウに問う。
「我々は彼女たちをこう呼んでいます。──サーカス、と」
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