スナッチ//ジェーン・ドウ
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──スナッチ//ジェーン・ドウ
「ミオン、朝食できてますよ」
ミオンが人工筋肉の入れ替えを行ってから数日後のこと。
いつものように朝食のトーストとスクランブルエッグ、そしてコーヒーをファティマが準備していたところにミオンが起きてきた。
「おはよ~。今日も可愛いね、ファティマ~」
「ひゃあ! ちょ、ちょっと、ミオン……」
まだ寝ぼけまなこのミオンがファティマをぎゅっとハグし、ファティマが慌てる。
ファティマもいい加減ミオンの距離感に慣れてきたと思っていたのだが、まだまだミオンのバグった距離感には慣れていないようだ。
「ちょ、朝食を食べましょう。ね?」
「うん。顔洗ってくる~」
ミオンは大きく欠伸したのちに洗面所に向かった。
ファティマははあと息を吐き、ミオンが戻ってくるのを待った。
けど、思えばこうして誰かと一緒に食事をするのを楽しみに思ったことはなかった。
今ではミオンと食事をするのは当たり前であり、それが少し楽しみだった。
「ふわあ。じゃあ、いただきます!」
「いただきます」
洗面所から戻ってきたミオンがそう言って食べ始め、ファティマもミオンに倣って食事を始める。
「……ねえ、ファティマ。今日は何しようか?」
そして、少しぎこちなくミオンはファティマにそう尋ねる。
「え、えーっと。何か仕事を探さないとですね……」
「そうだねえ。夢の高層マンションのペントハウス暮らしのためにも!」
「あはは。それよりはまず明日の食い扶持ですけれど……」
ミオンが彼女の夢を口にするのに、ファティマはそう言って笑う。
ミオンの言う夢の高層マンション暮らしがいつ実現するかは分からないし、そのときファティマが彼女の隣にいるかは分からないが、それでもその夢が実現してほしいとファティマは願っていた。
「そうだね。明日もご飯を食べるためにお金を──」
ミオンがファティマの問いにそう返したとき、彼女のARデバイスにメッセージが着信した。
ミオンがそのメッセージを開くと、それはジェーン・ドウからのものだった。
「わお。早速仕事が舞い込んだよ」
「え?」
「ジェーン・ドウから仕事の話がしたいってメッセージが来た。セクター4/2のいつもの喫茶店で待ってるってさ」
そう、ジェーン・ドウから仕事の案内が来たのである。
「で、では、急ぎましょう」
「そんなに慌てなくていいよ。ジェーン・ドウも待つって言ってるから」
「そ、そうですか」
「それよりまたケーキが食べられるようにお腹を空けておこうね!」
「は、はい」
にこりと笑ってそう言うミオンにファティマも思わずつられて笑ってしまった。
ミオンの笑みは優しく、朗らかで、いつもファティマを安心させてくれる。
彼女の笑みをずっと見つめていたいと、そう思うほどに。
それからファティマとミオンは着替えて、セクター4/2に向かう。
高速道路でTMCを北上し、セクター4/2に入った。
セクター4/2の以前にも利用した喫茶店でジェーン・ドウはファティマたちを待っているので、さらにそこまで向かう。
「ジェーン・ドウ。来たよ」
そして、喫茶店の個室でミオンたちはジェーン・ドウに合流した。
「待っていましたよ、ミオン、ファティマ。メッセージにもありましたが、仕事の話があります。まあ、まずはケーキとお茶でも頼まれてはいかがでしょう」
ジェーン・ドウはいつものようににこにこと不気味なほど穏やかに笑って、ミオンとファティマを出迎えた。
「と、その前に。この前は随分と暴れまわりましたね。大井統合安全保障が大騒ぎしていましたよ。危うくあなた方も指名手配されるところでした」
「酷いな~。あれは自衛していただけだよ。護衛の仕事だったからね」
「ええ。分かっています。サブマリンというハッカーを護衛していたのでしょう。今回の仕事にも少なからずそのことが関わってきます」
「……サブマリンはジョン・ドウがしくじって自分の身元が割れたと言っていたけれど、まさかそのジョン・ドウって……」
「大井のジョン・ドウではありませんよ。しかし、そうだからこそ問題なのです」
サブマリンの雇い主であったジョン・ドウは、大井の代理人ではない。
しかし、そのヘマをしたジョン・ドウにジェーン・ドウは関心を示している。
どういうことだろうか?
「すでにサブマリンを保護したので知っているでしょうが、そのジョン・ドウはメティス相手に電子強奪を実行しました。メティス極東支社のデータベースに侵入し、情報を手に入れた。と、ここまではいいですか?」
「うん。そのことはサブマリンから聞いてる。不老不死の研究だとか?」
「まさに。我々大井もその情報を手に入れたいと思っています。メティスのその情報は非常に価値があるものだと考えていますので。そこでジョン・ドウを相手に拉致をしようというわけです」
「ジョン・ドウの拉致か……」
ジェーン・ドウの言葉にミオンが唸る。
「も、問題があるんですか……?」
殺害ではなく拉致ということで、倫理的なハードルは低いとファティマは思ったのだが、何か問題があるようだ。
「前にも言ったようにジョン・ドウ、ジェーン・ドウの類は企業の代理人だ。企業の人間なだけあって、手を出すのはなかなか難しい。それに彼らは手荒な仕事に関わるだけあって、用心深くもあるから」
「……つまり仕事の難易度が高いと……」
「そういうことだね」
ジョン・ドウやジェーン・ドウは企業の代理人の偽名。
彼らは企業の代理人としてミオンのような非合法傭兵に仕事を斡旋している。
そういう立場なだけあって彼らの守りは固い。
「仕事の難易度は理解しています。だからこそ、私はあなた方に声を掛けたのです。私が知る中でもっとも優秀な非合法傭兵である、あなた方に」
にこりと笑ってジェーン・ドウはそう言う。
「そう言われてもなぁ……。もうそのジョン・ドウって国外に逃げてるんじゃない?」
「いいえ。彼は未だにこの街に留まっています。実を言えばそのジョン・ドウについての情報はある程度あるにはあるのです」
そこでジェーン・ドウから問題のジョン・ドウの情報が送られてくる。
ジョン・ドウの本名はメイソン・リヒター。
元アメリカ中央情報局の準軍事作戦要員。
しかし、現在所属している企業は不明。
「本名まで分かったんだ」
「ええ。もっとも肝心のどの企業に所属しているかは分かりませんが」
「でも、ここまで分かっているなら、あたしたちみたいな非合法傭兵じゃなくて大井の正規戦力を動かせばいいのに」
「問題がひとつあるのです」
ミオンの指摘にジェーン・ドウは右手の人差し指をぴっと立てて言う。
「その問題って?」
「メイソン・リヒターはエリュシオン・プラザ・トーキョーにいるということです」
「エリュシオンか。よりによってまた……はあ……」
ジェーン・ドウが告げた言葉にミオンが深々とため息。
しかし、ファティマはいまいち事情が飲み込めない。
「あ、あのう、えりゅしおん……って……?」
ファティマはミオンとジェーン・ドウのふたりにそう尋ねる。
「エリュシオンは準六大多国籍企業に当たる巨大ホテル・グループです。ブランド力は世界的なものであり、そのエリュシオン・グループに属するエリュシオン・プラザ・トーキョーはこのTMCにおいても大井がそう気軽に手出しできない場所です」
「大井であっても殴り込めばテロリスト扱いは免れないね」
エリュシオン・グループはジェーン・ドウが説明したように、準六大多国籍企業に当たる巨大な企業だ。
そのホテルの敷地内はある種の治外法権となっており、その傘下にあるエリュシオン・プラザ・トーキョーはTMCを牛耳る大井であったとしても迂闊に手出しできない場所となっている。
「しかし、非合法傭兵ならば問題はありません」
そこでさらりとジェーン・ドウがにこやかな笑みのまま告げる。
「う、うええっ!? で、でも、テロリストになっちゃうんじゃ……」
「上手く対処すればいいのですよ、ファティマ」
「ええええ……」
ジェーン・ドウからの今回の仕事は随分と滅茶苦茶だった。
エリュシオンを襲えばテロリストになるというのに、どうしろというのだろうか?
「エリュシオンの警備は今もD-3プロテクトだよね?」
「はい。独立系民間軍事会社である彼らが警備しています」
「それなら何とかなるかもね」
一方ミオンの方はこの仕事に成功の見込みがあると踏んでいる。
「ど、どうやるんですか?」
「D-3プロテクトは大井統合安全保障ほどの民間軍事会社じゃない。確かにエリュシオンは影響力がある企業だけれど、六大多国籍企業ほどの軍隊を持っているわけじゃないんだ」
「つ、つまり、付け入る隙はあると……」
「そう、マトリクスからでも現実からでもね」
ファティマの疑問にミオンがそう答えてくれた。
D-3プロテクトは独立系民間軍事会社としては実力のある企業だが、六大多国籍企業系列の民間軍事会社ほどの実力はない。
装備においても、練度においても大井統合安全保障のような民間軍事会社に劣っている。
それがこの仕事を成功させるカギだとミオンは見ていた。
「しかし、だ。報酬は弾んでよ、ジェーン・ドウ?」
「もちろんです。リヒターの身柄を確保してくださればちゃんとそれに似合った報酬を用意させていただきます」
相変わらずにこにこと微笑んでそうミオンに約束するジェーン・ドウ。
「オーケー。他にこの仕事で警告しておくべきことはある?」
「リヒターが逃走する可能性に備えてください。彼が今もTMCに留まっている理由は不明です。その理由がなくなれば、彼はさっさとこの街から逃げ出すでしょう」
「留まっている理由が不明、か。外で手を出されたメティス極東支社の連中が待ち構えているから、とか?」
「そうかもしれません。メティスによる報復の可能性は十分にあるでしょう。リヒターがそうした勢力に殺害されないようにも気を付けてください」
リヒターはメティス極東支社に手を出し、ヘマをしている。
雇っていたサブマリンが狙われたように、雇い主であるリヒターも同じように狙われる可能性があった。
「ふうむ。敵ばかりだね。大変な仕事になりそう」
「う、うへえですよ……」
想定される敵はエリュシオン、D-3プロテクトに加えてメティスの追っ手。
襲撃が発覚すればミオンたちはテロリストになってしまうので、その点にも十分に注意しなければならない。
ファティマには迂遠な自爆のようにも思えた。
「人工筋肉を交換されたばかりでお金は入用でしょう。頑張ってください」
ジェーン・ドウはミオンたちにお金が必要なことも見抜いていた。
全く油断のならない女性だとファティマは感じた。
やはり、本当に彼女は人間ではないのかもしれない……。
「そうするよ。じゃ、あたしたちは仕事にかかるから」
「ええ。結果を期待しています」
ミオンはジェーン・ドウに気軽にウィンクし、それからファティマとともに喫茶店を出たのであった。
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