パーソナルヒストリー//バーバ・ヤーガ
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──パーソナルヒストリー//バーバ・ヤーガ
あの日からファティマはミオンとの間に僅かだが距離を感じ始めた。
別に露骨にミオンがファティマを拒絶するようになったわけではないし、スキンシップも過剰なままなのだが、心理的に彼女が壁を作っているように感じられるときがある。
以前のミオンはファティマとの距離を縮めようといろいろと話しかけてくれていた。
だが、今はまるで深入りするのを避けるように、当たり障りのない話しかしない。
ミオンは言っていた。
『大勢の仲間が死んだ。大勢があたしの元からいなくなった。何も言わずに勝手にみんないなくなってしまった』
軍人として彼女が多くの戦友を失ったのは確かなのだろう。
彼女の気持ちはファティマにも分からなくない。
ファティマも大勢が彼女の元から去っていくのを見届けているから……。
「ファティマ」
「は、はい!」
そんなことを考えていた朝食の席で不意にミオンに話しかけられてファティマがびくりと身を竦める。
「あたし、今日は病院に行くけれど、ファティマはどうする?」
「そ、そうですね……」
ここでミオンに付いていくという選択肢もあった。
だけれど、今の彼女といても拒絶されている気がして、どうにも居心地が悪い。
しかし、他に行くところとなると、ファティマは考える。
「あっ! わ、私は李可昕さんのところに遊びに行ってきます!」
ファティマは頼りになる人間を思い出してそう言う。
李可昕だ。
彼女は以前ミオンと暮らしていたこともあるし、ミオンに信頼されている。
ミオンのことを彼女に聞いてみようとファティマは思ったのだ。
「分かった。送って行こうか?」
「そ、そうですね。お願いします……」
ミオンは特に自分に付いてきてくれということもなく承諾し、ファティマはおずおずとそう頼んだ。
「じゃあ、行こうか」
「は、はい」
ミオンは立ち上がり、ファティマもそれに続いた。
それからふたりは車に乗り、そしてまずは李可昕の住む雑居ビルに向かう。
道中、ミオンとファティマの間で特に会話はなく、ファティマは沈黙が苦しかった。
前にミオンが言っていたように、今のファティマとミオンはただの利用し合う関係に戻ってしまったのだろうかと彼女は思う。
そうであれば少し悲しいような気がした。
でも、ミオンが別れを恐れているとすれば、自分はその彼女の不安を癒せない。
ファティマはいずれミオンの元を去るつもりなのだから。
ファティマがそんなことを考えているうちに車は雑居ビルの前に着いた。
「それじゃ、あとで迎えに来るからね」
「わ、分かりました」
軽い調子でミオンはそう言い、ファティマは李可昕の部屋に。
「り、李可昕さん。遊びに来ました~……?」
おどおどとファティマが監視カメラに向けて手を振ると、部屋のロックが解除される重たい金属音が響いた。
ファティマはミオンがそうしていたように自分でドアを開けて家に上がる。
「ファティマ? あんた、ひとりか?」
「え、ええ。ミオンは、その、病院に行っていて……」
「仕事の話でもなく?」
「は、はい。ただ遊びに来ました……」
「はあ。私の家は親戚のおばさんの家じゃないんだぜ?」
ため息を吐きながらも李可昕はファティマのためにグラスを出し、カロリーゼロのコーラを注いで出してくれた。
「そ、その、実は遊びに来た以外にも目的がありまして……」
「何だよ?」
「……ミオンのことについて調べてほしいんです」
ぶっきらぼうに李可昕が尋ねるのにファティマはそう静かに告げた。
「ミオンについて? どういうことだ?」
「……彼女が軍に所属していたとき、何があったのかについて知りたいんです。李可昕さんは相談されたりしませんでしたか?」
「軍にいたときの話か……。いいや、ほとんど何も聞いてない。こっちから聞くこともなかったしな」
ファティマの問いに李可昕は首を横に振る。
李可昕ならば何か聞いていないかと思ったが、どうやらミオンは彼女にも自分の事情を話していないようだ。
「私も軍人だったから分かるが、軍の特殊部隊や情報部にいた人間は守秘義務やら何やらで迂闊に自分の所属していた部隊について喋れないものだ。それがなくともペラペラと秘密を喋ったところでいいことはないからな」
「李可昕さんも軍人だったんですか……?」
「ああ。中華民国国軍だ。いろいろあってこの街に亡命する羽目になったが……」
そのいろいろあったことについて李可昕は語ろうとしなかった。
元軍人として語るべきではないこと──それに当たるのだろう。
「ミオンが喋らないってことは、あんたに知らせたくないことなんだろう。無理に知らない方がいいことだって世の中にはあるぞ?」
李可昕はそれからファティマに向けて忠告するような声色でそう言った。
「……それでも私はミオンについて知りたいんです。軍にいたときに彼女に何があったのか。今でもそれが彼女にとっての傷になっているみたいですから……」
「ふうむ。そう言われるとな……」
ファティマが食い下がり、李可昕は考え込むように手を顎に置く。
それから彼女はファティマの赤い瞳をじっと見つめる。
「……もし、あいつが戦争犯罪者でそれを隠すために軍にいた時期について黙っていたとしたら、どうする?」
「……それでも私にとってミオンはミオンです。変わりありません……」
李可昕がそう重々しく問うのにファティマははっきりとそう答えた。
「そっか。なら、少し調べてみますか」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、だ。情報料として500新円貰うし、ミオンには私があいつについて調べ回ったってことを言うなよ?」
「は、はい。もちろんです」
李可昕はそう言い、マトリクスにダイブすべく自身のBCIポートにサイバーデッキのケーブルを繋ぐ。
それからファティマのARデバイスにマトリクスにダイブしている李可昕のアバターが表示された。
『あいつの所属について分かること、あんたは聞いてないか? 陸軍だったとか、どこかで戦ったことがあるとか?』
「え、えっと。樺太で戦ったって……それから……」
ファティマはミオンの過去の経歴に関することを思い出そうとする。
どこかで彼女の所属についての情報を聞いた気がするのだが……。
「そ、そうだ。ミオンは情報軍だと戦った人から言われていました」
オホーツク義勇旅団の倉庫にいた統一ロシアの特殊任務部隊が、ミオンのことを情報軍だと口走っていたのをミオンは思い出した。
ファティマは情報軍という組織については何も知らないが、その単語だけは確かに聞き取れていた。
『クソ。よりによって情報軍かよ……』
しかし、李可昕は情報軍という単語に忌々しげな表情を浮かべる。
「ま、まずいことなんですか?」
『情報軍は謎が多い連中だ。『スパイの顔をした軍隊』とも一部では言われていて、軍隊というより諜報機関に近い。暗殺から誘拐、盗聴、脅迫、拷問。なんでもござれの無法な軍隊だよ』
「そうなんですか……」
ファティマには優しく、明るいミオンがそういう軍隊の軍人だったとは思えないが、何があってもミオンのことは受け入れると言ったばかりだ。
彼女は動揺を隠して、李可昕が続けて調べる情報を待つ。
『しっかし、樺太で戦ったとなるとな。あそこで戦ったのは公式発表では樺太買収時に日本陸軍第2師団、第11師団、そして海空軍の一部部隊だ。そして、買収後は日本陸軍樺太連隊。情報軍についてはあまり情報がない』
李可昕はそう言いながら、検索エージェントをマトリクス上で走らせる。
検索エージェントはAIであり、特定のキーワードの情報をマトリクスで自動収集しては、李可昕に報告してくる。
『やっぱり表から見える位置には日本情報軍の情報はないな。樺太で戦った部隊がいたとしても極秘になってるんだろう』
「ど、どうにもなりませんか……?」
『まあ、待て。確かに情報軍を相手にハッキングをやるのはただの自殺だ。連中は侵入者の脳を容赦なく焼いてくる。だが、ちょっとばかり迂回することになるが方法がないわけじゃない』
「というと……?」
『統一ロシアの方を当たるんだ。連中は樺太奪還のために行動している。連中の構造物に忍び込めば、情報軍についての情報もあるだろうさ』
「なるほど……。敵から情報を得るんですね?」
『そ。ちょっくら連中の構造物に侵入するから待ってろ』
それから一時的に李可昕からの連絡が途絶えた。
ファティマはその間に考えていた。
ミオンは本当に情報軍の軍人なのだろうかと。
彼女自身が自分は情報軍の軍人だと言ったわけじゃない。
そう言ったのはあくまで戦った統一ロシアの特殊任務部隊だ。
だから、もしかするとファティマたちはてんで的外れなものを探しているのかもしれない。
だけれど、他に探す手がかりはなく、ファティマは李可昕が何かを見つけてくれることを祈った。
これまで他人のことをここまで知りたいと思ったことはなかったのに。
ミオンのことだけは知りたいと思えてしまう。
それがファティマには自分でも不思議だった。
『あったぞー!』
そこで不意に李可昕の声が響いてファティマはびくりとする。
『樺太の日本情報軍の情報だ。いや、樺太だけではなく極東ロシア全域というべきか。統一ロシア側が把握している情報を強奪してやったぜ~!』
李可昕がにやにやと嬉しさを隠しきれない笑みでそう言う。
「ど、どうでしたか?」
『これを見ろ。日本情報軍は樺太を含めた極東ロシアにある部隊を展開させている。正式名称は不明。統一ロシア側の呼称は『バーバ・ヤーガ』で、規模は1個中隊から1個大隊。連中はある種の実験部隊を兼ねた暗殺専門の部隊だと推測しているな。高度なサイバネウェアを装備した生体機械化兵だと』
「バーバ・ヤーガ……」
『魔女のばあさんって意味のロシア語だったはず。これが連中が撮影した『バーバ・ヤーガ』の映像だ。ちょっとばかりショッキングだぞ』
そう言って李可昕はファティマの元にある動画データを送り、ファティマはそれを再生してみる。
場所はどこかの市街地で時刻は深夜。
暗視装置の緑がかかった映像にロシア風の建物が並んでいるのが見える。
そこで不意に銃声が響く。
しかし、そこで響いたけたたましい銃声はひとつ、またひとつとフェードアウトするように静かに消えていった。
闇夜の中に瞬ていたマズルフラッシュがひとつずつ消えていく。
『何が起きている!?』
『襲撃だ! 俺たちを狙ってきやがった!』
撮影主だろう人間が叫ぶと別の男がそう叫び返し、そこで叫び返した男の腹が横薙ぎに裂けた。
傷口から吹き上げた鮮血が撮影を続ける暗視装置のレンズにかかり、視界が一部黒く染まる。
『お、お前らは……!?』
そこで闇夜の何もなかった空間から数名の人間がゆっくりと姿を現した。
最新の第7世代熱光学迷彩──それを解いて現れたのは、バラクラバで顔を隠した人間たちであり、それぞれがサプレッサーが装着されたアサルトライフルで武装していたが、そのうち2名は日本刀で武装している。
『ニキータ・イリイチ・ベリャエフだな』
合成されたような機械音声で現れた人間のひとりがそう問いかける。
『死んでもらうぞ』
日本刀が舞い、暗視装置の映像が激しく揺れる。
それから切断された男の首の断面が映り、映像は途絶えた。
『これが『バーバ・ヤーガ』がオホーツク義勇旅団の幹部連中を暗殺したときの映像らしい』
李可昕はファティマにそう言った。
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