配達のお仕事//ミッションコンプリート
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──配達のお仕事//ミッションコンプリート
それからミオンとファティマたちは李可昕の住処に戻った。
「李可昕~。仕事は終わったよ~」
そして彼女の部屋でミオンがそう報告する。
「ご苦労さん! じゃあ、お駄賃な」
李可昕は笑顔でそう言うとミオンの端末に5000新円を送信。
お使いにしては結構な額である。単純なお使いだったならば、だが。
しかし、今回の仕事はドンパチに巻き込まれて大変だった。
「李可昕。同じような仕事を頼むなら、次はもうちょっと出してもらうよ。危うくこっちはハチの巣にされるところだったんだからね」
「警告はしてたろ。ライバル連中が手を出してくるかもって」
「本当に手を出してきたのはライバルだけだったのやら。やたら装備のいい連中にも追い回されたし。あのインプラントの出どころが怪しいせいだったりしない?」
「そんなことはない……と思うぞ」
ミオンが指摘するのに李可昕は視線を泳がせる。
それをミオンとファティマはじいっと責めるように見つめた。
「い、いや、そりゃあちょっと出どころが怪しいものではあったけれど、別に企業から強奪したとかいうわけでもないし……」
「じゃあ、軍用インプラントなんて一体どこから?」
「……軍から盗んだ」
「はああ」
李可昕が白状するのにミオンが盛大にため息。
「け、けど、私が直接盗んだわけじゃなくてだな。盗品売買している連中から調達したんだよ。それに盗難元は遥か北、シベリアの統一ロシアだから、わざわざTMCまで追いかけてくるとかありえないって」
「本当に?」
「本当、本当」
これ以上は隠し事はないというように李可昕は首を縦に振る。
「まあ、それなら別にいいけど。次からは隠し事はなしだよ?」
「はいはい」
ミオンに指摘されてぼりぼりと気まずそうに李可昕は後頭部を掻いた。
それからミオンとファティマは李可昕の家を出る。
「まさか統一ロシア軍から盗むとはね。遥か極東の地で盗品のインプラントに亡命したロシア人が出会ったわけだ」
「偶然ってあるものなんですね……」
ミオンが雑居ビルの前でそう呟くのに、ファティマもそう感心したように言う。
「偶然、か。世の中には本当に偶然ってものがあると思う?」
「えっ? それはどういう……?」
ミオンのその言葉にファティマは理解できずに首をひねった。
「チンパンジーに適当にタイプライターを打たせて、シェイクスピアのハムレットが出力されることはあり得る。数学的には無限の猿定理って呼ばれているものだ」
「そ、そんなこと本当にあり得るんですか?」
「あり得るんだ。一応はね。そして、それは別に奇跡でもなんでもない。起こり得た可能性が起きたに過ぎない」
チンパンジーにシェイクスピアのハムレットが描けるか?
チンパンジー自身がハムレットを理解し、それをタイプすることは不可能だろうが、ただチンパンジーによってランダムに入力され続ける文字列がハムレットに到達する可能性はある。
それが無限の猿定理だ。
「あたしたちの暮らすこの世界は起こり得るものしか起きていない。どんな奇跡的な偶然に見えても、それはチンパンジーが打ったハムレットと同じであり、計算結果として起きたことに過ぎないんだ」
統一ロシアの亡命者が統一ロシアから盗まれた軍用インプラントを手に入れたのだって、起こり得る可能性が起きただけとミオンは語る。
「それは……少し寂しい考えですね……」
ファティマは数学の話などは理解できなかったが、ミオンの語る内容は分かった。
世界は起こり得ることしか起きていない。
そこには奇跡も偶然も運命もなく、全ては必然だというのだから。
それはファティマには寂しい考えのように思えた。
「そうだよね。あたしもそう思うよ。あたしだって奇跡や偶然と信じたい。数学的にあり得ないことが起きたっていいと思う。それにあたしとファティマが出会ったのも何かの運命だって思いたい!」
そう言ってミオンがファティマを思いっきり抱きしめる。
またしても突然の肉薄にファティマは目を白黒させ、今にも口から泡を吹きそうな表情を浮かべた。
しかし、ファティマはミオンを拒絶することはできなかった。
それに運命という言葉だ。
ファティマの故郷が焼けて、彼女がこの街に流れ着いたときにミオンと出会ったのは確かに運命であるような気もした。
ただの必然というのは、やはり寂しい。
「ファティマの魔法だって、数式じゃあ証明できないものだしさ。やっぱり奇跡はあるんだって思えたよ」
「そ、そうですか……」
ミオンが嬉しそうに語るのにファティマは彼女との距離があまりに近すぎるのにただただ狼狽えていた。
ミオンは情け容赦なくパーソナルスペースを侵略してくる。
本来その強引さはファティマが嫌うものだったのだが、彼女はどうしてもミオンを突き放すことはできなかった。
決して居心地がいいわけではないのだが、心底嫌悪するものでもないのだ。
ファティマにとってはそれは不思議な気分であった。
これまで人間とこんなに触れ合うなんて考えもしなかった。
「さて、昼食を食べに行こうぜ~。ファティマの分の報酬も渡しておくからね~」
「は、はい」
ミオンの端末から送金があり、ファティマは自分の貯蓄が積み重なるのを感じた。
この貯蓄が確かな数字になったならば、ミオンから離れて生きていく。
そうするのが自分にとって正解のはずなのだ。
いつまでもミオンに頼ってはいられない。
ミオンと自分の間にはいずれ別れることになる定めがあるのだから。
そう、不老不死のファティマと定命のミオンとの間には大きな壁がある。
ファティマは改めてそう感じ、歩き出したミオンから数歩距離を取った。
1日、1日ミオンは老いていくが、ファティマは何も変わらないまま。
差がやがて無視できないほど大きくなり、そして──。
「どしたの? 行こう?」
そこでミオンがファティマの手を握った。
ミオンの温かい手がファティマの手を包み、その温もりが伝わってくる。
そして軽く手を引くミオン。
「そ、そうですね。行きましょう」
いずれは別れる定めにあったとしても、今はともに過ごす間柄だ。
ファティマはミオンに続き、龍龍亭に向かう。
龍龍亭は今日も繁盛していた。
店内にはやはり化学薬品の香りが僅かに漂うが、それでも大勢が食事している。
「あたしは天津飯と餃子にしよっと!」
ミオンはさっさと注文を決めて、タブレットで注文。
「わ、私は中華丼で……」
ファティマもミオンからタブレットを受け取り注文を行う。
最初は何が何やらという感じだったが、ARデバイスなどを使っているうちにファティマもかなり慣れてきた。
「ファティマはさ。この街で成し遂げたいことはある?」
そして食事をしながらミオンがファティマにそう尋ねる。
「な、成し遂げたいこと、ですか……? 強いて言うならば悠々自適の生活が送れるようになりたいとか……」
「この街だとそれも贅沢な望みにはなるね」
「や、やっぱりそうですよね……」
これまでこのTMCという街を見てきたが、悠々自適に過ごすには相当な苦労が必要そうだった。
暴力が日常的で、犯罪と悪徳が支配するこの街ではファティマの故郷のような暮らしは期待できそうにない。
「あたしもね。この街で優雅に暮らせることを望んでいる。たっぷりと蓄えを作り、お洒落なセクター一桁の綺麗な高層マンションのペントハウスで暮らして、そこでもう殺しなんかの仕事をせずに暮らしていきたいなって」
「……いいですね、それ」
「でしょでしょ? だけど、まあ、遠い夢だよ……」
ファティマが頷くのにミオンはそう言って遠い目をした。
今のファティマたちの暮らしはミオンの語るそれとは程遠い。
セクター13/6というスラムの古いアパート暮らしなのだから。
「でも、夢は大きく持たないとね。いずれ成り上がってふたりで高層マンションに暮らそうぜ~!」
「わ、私もですか?」
「そだよ~。ファティマは高層マンション暮らしは嫌?」
「い、嫌というわけでは……」
ただファティマはミオンと同じ時間を歩めないことを知っているのだ。
いずれ必ず別れが訪れる。ファティマはミオンとともには年老いることはできない。
ファティマはそんな別れが辛くなることが怖かった。
だから、ミオンとは距離を置こうと思っていた。
それだけだ。
「なら、一緒に目指そうぜ。ペントハウス暮らし~!」
「は、はい……。そうですね……」
けど、ぐいぐいと詰めて来るミオンからは距離が離せそうにない。
だが、ファティマにとってそれはやはり不快なものではなかった。
ミオンは他の人間とは違う。
これまでファティマを気味悪がって迫害してきた人間たちとは違う。
ファティマはそう感じ始めていた。
だけれど。
だけれども、ファティマが不老不死だと分かってからも、ミオンが同じ距離でいてくれるかは分からない。
ファティマはミオンと別れるのと同じくらい、ミオンに突き放されるのが怖かった。
間違いなく数学的にはミオンがファティマを拒絶するというのは、チンパンジーがハムレットを記すよりも高い確率で起こりえるだろうから。
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