ペルソナ・ノン・グラータ//ジェーン・ドウ
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──ペルソナ・ノン・グラータ//ジェーン・ドウ
ファティマとミオンがジェーン・ドウに呼ばれたのは、李可昕の配達の仕事が終わってから2日後のことだ。
ジェーン・ドウはセクター4/2の上品な喫茶店にふたりを呼び出した。
「こ、ここ、絶対高いお店ですよね……?」
「だろうね。でも、ジェーン・ドウなら奢ってくれるよ」
ファティマはその店構えを見た時点で、この店がとても高級な店であると分かった。
それに白黒で整えられたシックな内装に、接客ボットではなく人間が応対するサービス、そして何より化学薬品臭がしない店内。
間違いなくここは高い店だとファティマにも理解できた。
ファティマはうっかりして大金を要求されるのではないかとびくびくしながらミオンに続いて、用意されていた個室に通された。
個室ではジェーン・ドウが彼女たちを待っていた。
以前と同じく人間ではない何かの雰囲気を感じさせる彼女は笑顔でファティマたちを出迎える。
「ようこそ。待っていましたよ、ミオン、ファティマ」
ジェーン・ドウはそう言い、ミオンたちに席に座るように促す。
ミオンは慣れた様子で実に高そうなデザインをした木製の椅子に腰かけ、ファティマも恐る恐るそれに続く。
この椅子を壊したらいくら請求されるんだろうと戦々恐々だ。
「仕事の話だって聞いたけど」
「そうです。と、その前に何か頼まれては? ここの支払いは私が持ちますよ」
ジェーン・ドウはそう勧めてくる。
「そう? じゃあ、コーヒーとチーズケーキにしようかな? ファティマは?」
「えっ、じゃ、じゃあ、私はコーヒーだけで……」
「ケーキも頼みなよ。ジェーン・ドウの奢りだしさ」
「そ、それではアップルパイを……」
奢りだと言われてもここまで高価な店では欲張れない。
それにジェーン・ドウの正体によっては彼女に借りを作るのはまずい。
悪魔に借りを作れば、最悪の形で取り立てられるのはおとぎ話の常だ。
それからそれぞれの飲み物とケーキが運ばれて来た。
ジェーン・ドウは紅茶とイチゴのショートケーキである。
ミオンとファティマたちの前にもコーヒーとケーキが運ばれて来たが、それらからは一切有機薬品臭がしない。
「天然ものですよ。コーヒーもケーキの材料も、ですね」
怪訝そうにしているファティマにジェーン・ドウが苦笑してそう言う。
この街で天然ものはほとんどないと言われていたのに、あるところにはあるものなのだなとファティマは思いながらコーヒーを口に運んだ。
ほんのり酸味があるそれは実に美味だ。
「うんうん。コーヒーもケーキも美味い!」
ミオンもコーヒーとケーキに満足げな様子。
チーズケーキはチーズの風味が香ばしく、アップルパイには本当にリンゴがごろりと使われている。
ファティマはこれがいくらするのかは敢えて聞かないことにした。
それを聞く勇気はなかった。
「さて、仕事の話をしましょう」
美味しいお茶とケーキを味わったところでジェーン・ドウがそう切り出す。
「天義会の件は覚えていますか? あなた方が叩き潰したチャイニーズ・マフィアですが」
「それを忘れるほど老いてはいないよ」
「結構です。私はこの組織に関しまして追加の仕事を発注したいと考えております」
「え? 天義会ってまだ存在してるの?」
「はい。彼らはまだこの街で存続していますよ」
これにはミオンもファティマもびっくりだ。
幹部を次々に暗殺され、壊滅状態だっただろうに立て直したのだろうか?
「流石の私も中国本土の天義会の組織に関与できませんからね。そっちの方から人材が派遣されて来たようです。実に不愉快なことですが」
ジェーン・ドウは笑顔のまま、そのようなことを口にする。
「さらに天義会とアトランティスの間に繋がりがあることが、先に捕縛したクロエ・ホアンの尋問で分かっています。クロエ・ホアンの雇い主はアトランティスであり、アトランティスから天義会が資金提供を受けていたことも」
「アトランティスか……」
アトランティス・グループ。
大井と同じ六大多国籍企業の一角を成す巨大企業。
大井との関係は決して良好とは言えず、両社は互いに情報工作や破壊工作を仕掛け合っている関係だ。
「我々はこのような動きに対処する必要があると考えています。この街には天義会のような組織の居場所はないのだと分からせる必要があると。我々はそう考えています」
「じゃあ、中国本土まで遠征?」
「いいえ。その必要はありません。そちらはそちらで別の人間が動いていますから。あなた方はこの街の天義会に対応していただきたい。仕事の内容について詳細をお話ししましょう」
ミオンが尋ねるのにジェーン・ドウは首を横に振り、それぞれのARデバイスに情報を投影する。
「目標は新たに天義会のナンバー・ワンになった唐雲啓です。この唐という男は北京政権との繋がりもあるせいか、今のところなかなか尻尾を出してきません」
北京政権の国家安全部が裏で唐を支援している可能性もあるとジェーン・ドウ。
「国家安全部とはまたきな臭い」
「どのような利害の一致かは分かりませんが、北京政権は六大多国籍企業の自国進出を恐れています。すでに我々に解禁された上海の様子を見れば、まあ、懸念するところが分からないでもありませんが」
上海の様子はファティマも密航の際に寄ったので知っている。
この街ほどではないが、とても繁栄した都市であり──同じくらい犯罪と悪徳に塗れた都市であると。
現地は企業とそれに繋がる黒社会が牛耳っており、もはや北京政権の主権が及ぶ場所ではなくなっていた。
ゆえに中国全土に企業が進出することを北京政権は恐れ、国際的な取引から扉を閉ざしている。
「ともあれ、です。北京政権の思惑だろうとアトランティスの差し金だろうと、天義会は潰す必要があります。唐を殺害し、いくら人間を送り込んでも全員首だけにして送り返してやるということを示してください」
にこにことした笑顔で物騒なことを語るジェーン・ドウ。
ファティマはその笑みに僅かに震える。
これほど他人の笑顔が怖いと思ったのは初めてだ。
「ははっ。じゃあ、首の郵送料金は着払いで?」
「ええ。もちろんです」
冗談のようにミオンが言うのにジェーン・ドウも笑顔のままそう返す。
「了解。じゃあ、行動を開始しますよっと。ご馳走様!」
「いい知らせが届くことを期待しています、ミオン、ファティマ」
そう言ってミオンが立ち上がり、ジェーン・ドウは手を振った。
ファティマも続いて席を立ち、ミオンとともに喫茶店を出る。
「ま、また天義会関係の仕事ですか……。何というか……彼らとは因縁がありますね……」
「そだね。犯罪組織の類に関する仕事では仕事が連続するのは結構よくあるんだけど、あの状況から天義会が潰れなかったのは驚きだよ」
ファティマがそう言うのにミオンがちょっと呆れたようにそう返す。
「まあ、相手がどうあれ、あたしたちは仕事をやるだけだ。まずは李可昕に連絡を取ろう。彼女の協力が今回も必要だろうから」
「そ、そうですね。なら、まずは李可昕さんのところに?」
「イエス。彼女に仕事について説明しよう」
ファティマが尋ね、ミオンが頷くと彼女たちは車で李可昕の家へ。
セクター4/2というお上品な場所からセクター13/6に戻ってくると、誰もがスラムの酷さに辟易してしまう。
汚物や化学薬品の臭いが立ち込め、路上を進めば銃声がする。
ファティマにもミオンがセクター一桁での優雅な生活を望む気持ちがよく分かった。
それからミオンたちは李可昕の家に着き、いつものような手順で家に上がる。
「よう。ジェーン・ドウから仕事だって?」
ミオンはジェーン・ドウから仕事を受けたということだけは、事前に李可昕に伝えていたようだ。
「そ。何と天義会関係だよ」
「は……? 連中はぶっ潰したろ? まだ何かあるのか?」
李可昕も天義会は潰れていたと思っていたらしく怪訝そうにする。
「ジェーン・ドウが言うには中国本土から北京政権に関係している人間が送り込まれて組織を立て直してるらしい。これがその情報ね」
「へえ。唐雲啓、ね。国家安全部の連中とつるんでるのか。趣味の悪いやつ……」
北京政権の情報機関たる国家安全部に不満があるのか、そんなことを呟く李可昕。
「こいつを始末するのが仕事?」
「イエス。だけど、国家安全部と繋がってるだけあってジェーン・ドウでも居場所が掴めてないんだってさ。探すところから私たちの仕事ってわけ。ということで、マトリクスの方はお願いできる?」
「ふうん」
ミオンに頼まれて李可昕が考え込むように顎を摩る。
「報酬はいつも通り?」
「3分の1ね」
「……国家安全部の連中が相手だからな。それなりにリスクがある……」
李可昕は誰に言うでもなくそう呟く。
「ああー。でも、連中の邪魔ができるならやりたいしなあ。あー。どうしようか……」
うんうんと唸る李可昕。
最終的に彼女はパンと手を鳴らした。
「引き受ける。マトリクスからその唐を探してやるよ」
「おおーっ! ありがと、李可昕!」
李可昕が渋々というように言い、ミオンは彼女をぎゅっとハグする。
その様子を見て、ファティマは少しだけ心が揺れた。
ミオンはファティマにだけ特別なのではなく誰に対してもあんな感じに距離が近いのか、と。
彼女はそう感じたからだ。
「やーめろっ! あんた、距離感バグってるってみんなから言われてるだろ!」
「そういう李可昕はちゃんとお風呂入ってる? 少し臭うよ?」
「ちゃんとシャワー浴びてる!」
嫌がる李可昕とけらけら笑うミオン。
ふたりはとてもいい親友のように見えた。
ファティマの入れるような隙間はないように見えた。
「なあ、ファティマ。あんたもミオンの距離感はおかしいって思うよな?」
と、ここで不意に李可昕がファティマに話題を振る。
「えっ!? え、えーっと、そ、そのう、すっす、少し近いかなぁーって思ったり思わなかったり……」
「はっきり言っていいんだぞ? 嫌なら嫌って」
「べ、別に嫌とかそういう悪い感情はなくて……」
李可昕が呆れたように言うのにファティマは視線を泳がせる。
ミオンの距離感は確かにファティマのパーソナルスペースを著しく侵害している。
以前のファティマだったら耐えられなかっただろう。
吐き気がし、震え、動悸がして、相手を突き放したに違いない。
だが、不思議とミオンを相手にしている時だけは、そこまでの不快感を感じなくなっていた。
「流石、ファティマ! あたしの相棒だもんね~!」
「そ、そっ、そ、そうですね」
今度はファティマの肩を抱いて嬉しそうにそう言うミオンにファティマは苦笑する。
ミオンがこうしていても今のファティマは挙動不審になるだけで、明白に拒絶反応が出るわけではなくなっていた。
「はいはい。大変仲のよろしいことで。こっちはこっちで仕事を始めておくから、そっちも現実で情報を集めておいてくれ」
「あいよー」
李可昕はほとほと手に負えないというように手を振り、ミオンは手を振り返してファティマとともに李可昕の家を出た。
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