配達のお仕事//軍用インプラント
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──配達のお仕事//軍用インプラント
その朝、ファティマが目を覚ますと、目の前にミオンがいた。
「わっ、わわわ、わあああっ!」
ほんの数センチ先にミオンの寝顔があるのにファティマがあまりにパニックになって慌てたせいで、ファティマはベッドから転がり落ちる。
その音でミオンも起きて、眠そうに目を擦る。
「あれ? 起きたの、ファティマ? おはよ~」
「どっ、どっ、どどど、どうして……」
と尋ねそうになってファティマはここがミオンの家であることを思い出した。
眠っていて忘れていたが、ファティマはミオンの家にお邪魔していたのだ。
彼女の家のベッドなので彼女が寝ているのはおかしくない……はずである。
「ふわあっ。ファティマは寝相が良くてよかったよ。李可昕と過ごしてたときは、彼女ってば起きたらあたしの顔の上に足乗せてたりしてたし」
小さく欠伸をしてミオンはそう言い、起き上がるとベッドを出た。
ミオンはそれからキッチンに向かい、冷蔵庫を漁る。
「まだ朝の5時だけど朝食にしておこう」
それからミオンは冷蔵庫から食パンを取り出して、トースターに突っ込む。
続いてジャムやバターを並べ、沸かしたお湯でコーヒーを淹れた。
とは言ってもほとんどはそれらしく人工的に形成された品であり、パンそのものではないし、ジャムやバターそのものではないし、コーヒーもそれっぽい味に化学合成されたものだ。
「わ、私、顔洗ってきます」
「ん。分かった」
ミオンは簡単な朝食作りを進め、ファティマは洗面台で顔を洗う。
ファティマが洗面所から戻ってきたときには、すでに朝食は完成していた。
トーストにスクランブルエッグ、そしてコーヒーだ。
例によってスクランブルエッグも卵でできているわけではない。
「いただきます」
「い、いただきます……」
ファティマはミオンの反応を見ながら食事を始めた。
場所によっては食事の前にお祈りをしたりするのだが、この街では特にそういうことはなかった。
そもそも神が見放したようなこの街で祈りを捧げて意味などないか。
「あ、あのう、今日は仕事はあるのでしょうか……?」
「んんー。今のところはないねえ。ファティマは今日も仕事がやりたいのかい?」
「は、はい。できるだけお金を貯めておきたいですから……」
ファティマは昨日考えていたように、自立できる目処が立てばミオンの家から出ていくつもりであった。
そのための資金を貯めることは最優先事項であり、ファティマはお金を稼ぐための仕事を欲していた。
少しでも早くミオンから自立しなければという焦りがファティマにはあったのだ。
確かにミオンの家は居心地がいいのだが、彼女に甘えていてはいけないし、何より──ファティマは誰かと関係を深めるのを避けたかった。
「じゃあ、何か仕事がないか聞いて回ってみよう」
ミオンはジャムを塗ったトーストを食べながらAR上でメッセージを送信。
何か仕事はないかと尋ねるメッセージだ。
李可昕であったり、他の仕事仲間であったり、メッセージの送り先は様々。
「おおっ。李可昕から仕事があるってさ」
「李可昕さんから?」
「そ。詳細は会って話すって。どんな仕事だろうね?」
仕事の内容はまだ分からないが、仕事そのものはあるらしい。
しかし、李可昕は何を依頼するのだろうか?
「ってなわけで、朝食を食べたら李可昕のところに行こう」
「は、はい」
ミオンがそう言うのにファティマはいそいそと朝食を終える。
それから昨日買ったスーツとジャケットに着替えて、ファティマたちは家を出た。
ミオンはファティマを車に乗せて、李可昕が暮らす雑居ビルに向かう。
早朝のセクター13/6の道路を走り抜け、ミオンたちは目的地に到着。
雑居ビルの前に車両を止めて、エントランスから李可昕の部屋に。
「李可昕。来たよ~!」
ミオンがそう挨拶し、彼女たちは李可昕の部屋の中に通された。
「おお。来た来た。あんたらに頼みたいことがあるんだ」
李可昕はそう言い、笑顔でミオンたちを出迎える。
「また龍龍亭の肉まん買ってきてほしいとか?」
「違う違う。届け物を頼みたいんだよ」
そう言って李可昕はプラスチックの包みを取り出した。
それは透明な保護液に浸された何かの電子機器のようだが……。
しかし、電子機器というにはどこか生物的な色合いも見える。
神経組織を模してるかのような繊維構造などがあるのだ。
「それは?」
「ふふふ。軍用グレードの強化脳のインプラントだぜ。それもこの李可昕様が弄ってさらにスペックアップさせた代物だ」
「軍用の強化脳~? どうしてそんなものを?」
「頼まれてたんだよ。地下闘技場でやり合っている連中のひとりに。『滅茶苦茶強くなれるインプラントを調達してくれーっ!』って」
「地下闘技場、か。またきな臭い連中とつるんじゃって」
「つるんじゃいない。頼まれただけ」
セクター13/6では人の死も暴力も仕事のうちだ。
だから人間が本気で殺し合う地下闘技場などというものも仕事として成立している。
人の生き死にに金を賭けて、殺し合わせるという古代ローマのような悪趣味なものもこの街ではエンターテイメントだ。
「でさ。そいつ、金は現物と引き換えに払うっていうから、ついでに金も受け取ってきてくれ」
「それだけ? そんな単なるお使いで本当に終わりそう?」
「鋭いな。実を言うとそいつのライバル選手も、このインプラントを狙っているらしい。横から掻っ攫われないように気を付けてくれ」
「了解。届け先の情報をちょうだい」
「こいつだ」
李可昕からミオンとファティマのARデバイスに情報が送られてくる。
届け先はセクター13/6に住む地下闘技場の選手アルチョム・セルゲーエヴィチ・ヴォルコフ。
名前から分かるようにロシア系の男性で、元統一ロシア空挺軍の兵士だったらしい。
「じゃあ、届けてくるね」
「頼むぞ~」
李可昕からインプラントの袋を受け取り、ミオンたちは雑居ビルを出る。
「きょ、今日の仕事は平和そうですね……」
「それはどうだろう?」
ファティマが言うのにミオンが運転席に乗りながら疑問を呈する。
「だ、だって、荷物を届けるだけですよね……? そんな大事には……」
「問題はふたつ」
ファティマが助手席に乗り込んで尋ねるのにミオンはプラスチックの袋の中のインプラントを見る。
「この軍用インプラントを欲しがっているというライバル選手が横からちょっかい掛けてくる可能性がある。地下闘技場でやっているのは殺し合いだから、奪う気なら相手も本気で奪いに来るよ。だから、李可昕は自分で持っていなかったわけだし」
「もうひとつの問題は……?」
「このインプラントの出どころ。軍用グレードの強化脳なんてそうそう市場に出回るような品じゃないし、李可昕は何かしら胡散臭い方法を使って、これを手に入れたんだと思う。そうなると出どころになった連中──軍や企業にも警戒しないといけない」
「う、うへえっ……」
ミオンの示す懸念にファティマはげっそりした。
つまりこの仕事における仮想敵はライバル選手、軍、企業というわけなのだから。
単なるお使いにしては危険度が高い。
「この手の配達は決まって邪魔が入るから、十分に気を付けていくよ。油断しないようにね、ファティマ」
「は、はい……」
「まあ、危険だからこそ仕事として報酬があると思っておこう。ね?」
ミオンは渋い顔のファティマにそう言って苦笑し、車を発進させた。
彼女たちを乗せた車はセクター13/6のスラム街を進んでいき、目的地であるアルチョムの住む家を目指した。
「あのう、ミオン。アルチョムって人は元軍人なんですか?」
「みたいだね。李可昕の情報によれば統一ロシアの軍人らしい。あそこも大変で逃げてくる人は多いから別に珍しくもないけどね。この街では暴力で食っていくのは、難しいことじゃないし」
「は、はあ……」
統一ロシアはウクライナ戦争や第二次ロシア内戦ののちに成立したロシアの新体制だが、他の多くの国がそうであるように安定には程遠く、多くの難民を生み出している。
恐らくはアルチョムもそのひとりだろうとミオンは見た。
そのアルチョムが暮らしているのは違法建造物な高層マンションで、建築許可も得ずに建てられた18階建てのビルの16階に問題の彼は暮らしているという。
「マンションまでは問題なし、と……」
ミオンは車をマンションの前で止め、周囲を警戒しながら車を降りる。
配達前にアルチョムに連絡することになっていたので、ここでミオンはアルチョムに連絡。
『ああ? 誰だ、てめえ?』
ミオンが連絡を取ると荒々しい男の声がミオンに応じた。
「アルチョム? 配達だよ。君が注文していた軍用強化脳を届けに来た」
『ああ。李可昕に頼んでたやつか? あいにく今は家にいないんだ。指定する場所まで持ってきてくれ。追加の駄賃は払う』
「了解」
アルチョムは少し申し訳なそうにそう頼み、ミオンは承諾して通信を終える。
「移動、移動。ファティマ、行くよ」
「は、はい」
それからミオンたちは指定されたセクター13/6の繁華街の一角に向けて移動を始めたのだが──。
「つけられているね」
ミオンが不意にバックミラーを見てそう言う。
「え?」
「さっきからずっと黒の装甲バンが付いてきている。どうしたものかな」
ミオンたちがアルチョムが暮らすマンションの前を出た辺りから、黒い塗装の装甲バンが彼女たちが乗る車両の後ろをぴったりとつけてきていた。
間違いなく尾行だろう。
「このインプラント目当ての連中だとすれば、このまま目的地に行くのはまずいね。アルチョムを巻き込んじゃうし、インプラントは連中に横取りされる。そうなると報酬はパーだから」
「どっ、ど、どうします?」
「撒こう。少し荒い運転になるよ。シートベルトはしっかり締めてね、ファティマ!」
「へ? あああ、わあわああっ!」
ミオンはそう警告したのちにアクセルペダルを踏み込んで加速。
ファティマが奇声を発する中、装甲バンを振り払おうと車両はスラム街を突き進む。
しかし、付けていた装甲バンの方も加速し、ファティマたちを追ってきた。
「相手もやるねえ」
「あ、ああああ、あっ、安全運転でお願いします!」
「それは無理~」
ミオンはファティマの叫びにそう返し、車両をさらに加速させる。
それによって装甲バンは僅かに距離を取られ始めたが──。
「ああっ! た、たっ、大変です、ミオン! あ、相手が銃を持ち出しましたよ!」
ファティマは装甲バンのルーフから大口径の機関銃を構えた男が身を乗り出すのを見て叫ぶ。
それからすぐにけたたましい銃声が響いた。
その銃声とともに銃弾が後方から車両に飛来し、アスファルトの地面や車両の装甲にぶつかって激しい金属音を立てる。
「うわわわわっ! うううっ、う、撃ってきましたよ!」
「ひゅーっ! こいつは危険なドライブになりそうだ!」
ミオンは銃撃に対して車両を左右に蛇行させながらにやりと笑った。
苦境のときこそ笑えとこの街では言われている。
それができる人間は強いとも。
そして強くなければこの街では食い物にされるだけだ。
ミオンは誰にも食い物にされるつもりはなかった。
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