ふたりの懸念
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──ふたりの懸念
「はあ、さっぱりしたー」
それからミオンが風呂から上がってきた気配がしたのでファティマが振り返ると、彼女はぎょっとした。
ミオンは下着姿だったのだ。
飾り気のないグレイのショーツとブラ。
そんな姿のミオンがやってくるのにファティマは思わず赤面した。
「ミ、ミオン。ふ、ふふっ、ふ、服を着ないと……!」
「風呂上がりでまだ汗かいてるから」
ファティマが挙動不審にそう指摘するとミオンはそう返し、冷蔵庫に向かっていって中からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
キャップを捻って開き、ミオンはぐびぐびと水を飲み干していく。
水を一口飲むごとに動く彼女の喉。
なぜかファティマはそれを見つめていた。
「ふうっ! ファティマもお風呂に入ってきたら? いろいろと大変な一日だったし」
「そ、そうですね」
下着姿のミオンが見つめ返してくるのに慌てて視線を逸らし、ファティマはいそいそと浴室に向かう。
脱衣所は洗面所を兼ねており、その扉を開けるとミオンの濃い匂いがした。
彼女の匂いだ。
女性的な甘いものだが、どこか飾り気のない匂い。
ここにいるとその匂いに抱擁されているかのようだ。
ファティマはそんな感想を頭に思い浮かべてはっとした。
これから同棲するのにこんな変態じみたことを考えていてはいけない。
こんなことをいつも考えていたら、いつかうっかり口にしてしまうかも、と。
彼女は再びぶんぶんと首を横に振り、雑念を晴らすと服を脱いだ。
「ファティマ」
「ひゃあっ!」
そこでミオンが突然洗面所の扉を開けてきたので、下着姿だったファティマが悲鳴を上げる。
「スーツと一緒に買っておいた下着と部屋着を忘れてるよ。ここに置いとくね。シャンプーとかは自由に使って」
「は、はい」
ミオンはファティマの半裸を見ても何でもないというようにそう言い、衣料量販店の紙袋を置いて再び扉を閉じた。
「……もしかして、この街では下着ぐらいじゃ恥ずかしくないんでしょうか……」
ファティマは同性でも下着は恥ずかしいものだと思っていたのだが、ミオンの態度を見るとその価値観が揺らぐ。
それからファティマは浴室に入った。
浴室は石鹸とシャンプーの匂いで満ちていた。
「え、えーっと……」
風呂の入り方は特に問題なかった。
確かに見たことのない石鹸やシャンプーなどはあったが、何とか身体を洗う。
「あっ……」
そこでファティマは鏡を見て気づいた。
額にまだ乾燥した血が残っている。
返り血ではない。ファティマが自分の身体から流した彼女の血だ。
それを鏡で見てファティマは視線を俯かせた。
ファティマは不老不死だ。
頭を撃ち抜かれようとどれだけ血を流そうと死ぬことはない。
そして、年老いることも寿命で死ぬこともない。
だが、ミオンは違う。
ミオンはこれから先、数十年生きれば死ぬだろう。
そして、ファティマはひとり残される。
「……別にミオンと何かあるわけではありませんし……」
ファティマは自分に言い聞かせるようにそう言い、湯船に浸った。
湯舟には柑橘系の匂いがする入浴剤が入っており、ファティマは肩までとっぷりと湯に浸かる。
そうしてこれからのことを考える。
ミオンと暮らすのは生活基盤が整うまでだ。
この街について知り、ひとりで生きていけるようになるまでの猶予期間だけだ。
それが終われば、追い出されようとそうでなかろうと出ていく。
そして、またひとり孤独に生きていくんだ。
ファティマはそう決意した。
誰かとつるむなんて自分らしくもない。
人との交わりは大の苦手だったはずだ。
それなのにどうしてだろう。
ミオンのことを思うと少し胸が締め付けられる気がした。
「ファティマ~? 大丈夫~?」
「だ、だっ、大丈夫です!」
そこでファティマがずっと湯船に浸かったまま出てこないのを心配したミオンが声を掛け、ファティマは慌てて浴室から出てタオルで身体を拭いた。
ミオンが選んでくれた下着を身に付け、部屋着として買った安物の赤いジャージを纏うとファティマは洗面所の外に出る。
「お、お待たせしました」
「ゆっくりできた?」
「は、はい」
ミオンも下着姿から部屋着に着替えていた。
彼女の部屋着は黒いタンクトップとショートパンツで、惜しげもなく白くて艶やかな肌を晒しているのがファティマには眩しい。
それでもファティマはミオンの方に視線を向けるのを避けられなかった。
その肌に触れたいという思いが出てくることも。
「どうかした?」
そんなファティマの視線に気づいてミオンは怪訝そうに尋ねてくる。
「ミ、ミオン。そ、そのう、あなたは身体を機械化してるんですよね?」
ファティマはミオンに見とれていたことを誤魔化すように慌ててそう尋ねる。
「そだよ。あたしの身体のほとんどは機械化されてる」
「……その肌も、肌の下の肉とかもですか?」
「うん。これらは全部作り物。お昼に食べたハンバーガーみたいに人工的かつ工業的に生み出されたものだよ」
ファティマの問いにミオンはそう言って笑い、引き締まった二の腕を掲げて見せる。
「あたしの身体はアミノ酸単位で設計された人工筋肉で駆動するようになっている。流れているのも本当に血液じゃなくて体内で自己複製するナノマシンだ。脳にだってたくさんインプラントを叩き込んでいる」
「……でも、あなたは人間なのですよね……?」
「あははっ。そこを疑うのー? あたしは人間だよ。誰がどう言っても、ね」
ミオンの身体の80%以上は機械であるが、彼女はそれでも人間だと語る。
ファティマには機械と人間の境界があいまいな気がしてならなかった。
だが、確かにミオンは人間なのだろう。
これまで接してきたどんな人間よりも優しく、人間らしいのだから。
「……ふわあっ」
そこでファティマは緊張がほどけたせいか欠伸が出た。
思えば昨日から寝ていない。
まだ日は昇っているが眠気が来た。
「そろそろ休む?」
「そうしたいですね……」
安心できる場所。安心できる匂い。安心できる空気。
そういうもので満たされたので、ファティマも休みたくなっていた。
「じゃあ、ベッドは好きに使って。ただし、あんまり散らかさないでね」
「は、はい」
ファティマはそう忠告されてから、ベッドルームに通された。
少し大きめのセミダブルのベッドがひとつあるだけの部屋には、ワイヤレスサイバーデッキや“月断ち”を整備するためのメンテナンスグッズなどが置かれていたが、ファティマにはその半分もそれが何か理解できなかった。
「李可昕ともここで過ごしたんだけどさ。彼女ってば部屋を滅茶苦茶散らかすし、寝相は悪いし、ティッシュやトイレットペーパーが切れてもそのままにしてるしで、付き合いきれなかったんだよね」
「えっ。あ、あの、ふたりでこの部屋に……?」
「そうだけど?」
「とっ、と、当時はベッドがふたつあったとか……?」
「いいや。このベッドだけだよ」
ファティマが驚きながら尋ねるのにミオンはなぜそんなことを問うのかと不思議そうに尋ね返す。
「もっ、も、もしかして、その、ミオンは李可昕さんと……」
「あたしが李可昕と?」
「い、いえ。な、ななな、何でもないですっ!」
もしかしてミオンと李可昕は付き合っていたのかと尋ねようとしたが、ファティマには尋ねることはできなかった。
「それじゃあ、あたしはまだやることがあるからファティマは休んでて。何かあれば起こすよ。それからARデバイスは充電しておくようにね。そこにコンセントあるから」
「あ、はい」
ミオンやファティマの付けているコンタクトレンズ型のARデバイスは生体電気も利用して充電されるが、それだけでは完全に充電しきれない。
コンタクトレンズケースのような容器に入れて、充電器に接続しなければならない。
ファティマは一度ARデバイスを外し、それからケースに収め、プラグを接続。
「そ、それじゃあ、おやすみなさい、ミオン」
「おやすみ、ファティマ」
それからファティマはミオンにそう言い、部屋の明かりを消して眠った。
難民として故郷を追われてから、久しぶりに熟睡できる日となった。
* * * *
ミオンはすやすやとファティマが眠るベッドルームを覗き込むと、そっと部屋の扉を閉じた。
ファティマは綺麗だと初めて会ったときから、そう思った。
あのシルクのように艶やかな銀髪も、健康的な褐色の肌も、ルビーみたいに真っ赤な瞳もどれをとっても美しい。
それでいてどこか自信がなさそうで、おどおどとした様子は庇護欲をそそられる。
本当に彼女には自分がいないと生きていけないみたいで、保護してあげたくなる。
実際に彼女と仕事をやった中で、この街を案内した中で、ミオンのその欲求はいよいよ高まった。
可愛いファティマには自分が必要なのだと思えた。
しかし、彼女みたいな存在がこの街に10分でもいれば、すぐに食い物にされていただろうに彼女に会った時点では平然とした様子で生き延びていたこともまたミオンの興味を引いていた。
彼女は見た目通りではないと思わせるようなものがあったのだ。
「彼女の魔法……」
そう、そんな何より魔法だ。
どんな科学の力でもない魔法──奇跡の力。
それをファティマが自在に操るのを見て、ミオンはますます興味を引いた。
彼女のことが知りたい。
彼女がこれまでどんな道のりを歩んできて、なぜこの街に辿り着いたのか知りたい。
人の人生に興味を持ったのは本当に久しぶりだった。
これまでは人の人生など知ろうとしてこなかった。
『お前は死神だ』
そこで不意にそうなじる女性の声がミオンの頭の中に響き、彼女は表情を歪める。
『お前のせいでみんな死んだんだ』
声は続き、ミオンは空になったペットボトルを握りつぶす。
「あたしのせいじゃない。みんな勝手にいなくなっただけだ。勝手に…………」
ミオンはそう呟き、ファティマの眠るベッドルームの方に視線を向けた。
自分はこれまでの人生で多くを失ってきた。
彼女のこともまた失うのだろうか?
また誰かがミオンの手から奪っていくのだろうか?
そんな不吉な考えを否定するようにミオンは首を横に振って立ち上がると、捻り潰されたペットボトルをゴミ箱に放り投げる。
「だけれど、そうだね。あたしはもう誰かと関係を深めたりなんて……」
しない方がいいのかもしれないと消え入るような声でミオンは言った。
それは恐らく失うのが怖いからだとミオンにも理解できていた。
人のことを知れば愛着が湧き、愛着があればそれだけ別れは辛くなるから。
ミオンはそんな考えを紛らわせるようにワイヤレスイヤホンを耳に突っ込み、爆音で音楽を流す。
歌詞の内容もリズムもどうでもよかった。
ただ何も聞こえないように。
この忌まわしい世界に対して耳を閉じるようにしたかっただけで。
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