薄汚れたスラムの片隅にて
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──薄汚れたスラムの片隅にて
「あ、あのう、ミオン。この街で安い宿って知ってます? 私、今日の寝床を探さなくちゃいけなくて……」
「宿……?」
ファティマがそう尋ねると、ミオンが実に怪訝そうな表情を浮かべる。
ファティマは自分が何かまずいことを聞いたのだろうかと少し心配になった。
「てっきりあたしの家に来るものだとばかり思っていたけれど、それは嫌だった?」
「ミオンの家に……?」
「そ。あたしはセクター13/6のアパートに住んでるんだ。狭い部屋だけど、ふたりぐらいなら平気で過ごせるよ」
そこで逆に今度はミオンが気まずそうにした。
「もちろんファティマがあたしの家が嫌ならどこかお手頃な棺桶ホテルまで案内するけれど……」
「いっ、いえいえ! けっ、決して嫌ではないです! ……だ、だけど、本当にお邪魔になっていいんですか……?」
ファティマはミオンにそう慎重に尋ねた。
ミオンが泊めてくれるというのは嬉しい話だ。
だが、どう考えてもそこまでしなければならない理由はミオンの側にない。
「いいよ。あたしたちコンビを結成したわけだし、お互いをよく知らないとね。で、暫く一緒に暮らせばお互いを理解できると思うんだ」
「……李可昕さんとも一緒に暮らしたことあるんです?」
「あるよ。結局仕事の上での相性は合っても日常生活の相性は合わなくて、別々に暮らすことにしたけどね。彼女、日常生活はいろいろと大雑把過ぎてさ」
ファティマがおずおずと尋ねるのにミオンが苦笑して言う。
「で、どう? あたしも無理にとは言わないけれど」
「お、お願いします……」
これから何があるか分からない以上、可能な限りお金は残しておきたい。
だからと言ってミオンの家に上がり込むのは、ファティマとしては少し気が引けるが、当のミオンがいいと言っているのだからとファティマは自分に言い聞かせた。
「よし、決まりだね! あとは……」
ミオンがファティマの方をじっと見つめる。
「その服は着替えた方がいいね」
ファティマの服は田舎者丸出しのものだった。
継ぎはぎのぼろ布であり、服と呼ぶことすらおこがましい代物だ。
それに加えて今は血が黒く乾いて付いている。
「そ、そうですよね……。服も買わないと……」
「今から買いに行こう。ついでにお昼を食べて帰ろうか」
「あっ、はい……」
ミオンはてきぱきとスケジュールを決めた。
彼女たちはそれから紅茶を味わう。
紅茶は猫耳のメイドが目の前で淹れてくれるものだった。
しかし、それはやはり紅茶のようであって紅茶ではない味わい。
それを飲んで、会計を済ませてからミオンたちはメイド喫茶を出た。
「あたしたちでも手の出る価格帯の服を買うなら、セクター7/1辺りかな。そこら辺にいい衣料量販店があるよ」
ミオンはそう言って周回させていた車両を呼び、運転席に乗り込む。
それから再びTMCを網羅する高速道路に乗り、今度はセクター7/1へ。
セクター7/1はセクター5/2と比べると、街並みが少しくすんで見える。
実際に街の治安はセクター番号の小さい方が良く、その逆は悪い。
「ここでいいね」
それからミオンはセクター7/1の大手衣料量販店の駐車場に車を止めた。
彼女たちは車を降りて店内へ。
「わっ、わあ……」
店内にはファティマが見たことがないぐらい多くの服が売られていた。
数千、数万着はあるだろう。
ファティマはこれまで自分の服は自分で作ってしまうか、たまに訪れる行商人から買っていた。
だから、こんな光景を見たのは本当に初めてで目が回ってしまった。
「ファティマにはガーリーな服装が似合いそうだなぁ」
ミオンの方はこんな光景は見慣れているとばかりに、ファティマを連れて何着もの服を見て回る。
「これなんてどう? 最近はやりのワンピースなんだけどさ!」
「え、えーっと。わ、私は、その、ミオンみたいな服がカッコいいなって……」
ガーリーなワンピースをミオンは取って見せるのに、ファティマは恥ずかしそうにその視線をミオンの方に向けた。
ミオンの服装は防水加工のジャケットにラフなスーツと言うものだ。
「これがいいの……? ただのさらりまんファッションだよ?」
「……さらりまん……?」
「昔、日本の企業に勤めていた人間をそう呼んでたの。24時間365日、雨が降ろうと呼び出しがあれば会社に赴く企業戦士。それにあやかってあたしたちは夜でも雨でも行動しやすいこの服装をさらりまんファッションって呼んでる」
確かに機能的にはさらりまんファッションまたはさらりまんスタイルというのは優れている。
防水加工のジャケットは風雨を防いでくれるし、ラフなスーツも体温を保つのにちょうどいいものだ。
何よりこの街で浮かない服装である。
「わ、私も、そのさらりまんってやつでいいです。た、高かったりします……?」
「いいや。むしろ安物だよ、これ。本当にさらりまんスタイルでいいの?」
「は、はい。私には全然似合わないかもしれませんけれど……」
ファティマは初めてミオンを見たとき、彼女のその姿に惹かれた。
魅了されたと言ってしまってもいい。
ミオンの姿はファティマの中で理想化され、偶像化されていた。
だから、彼女と同じ格好をしたいとそう思っていた。
だけど、その格好はミオンだからこそ似合うのであって、自分には全く似合わないのではないかという不安もあった。
「似合うよ。絶対に似合う。ファティマは何着ても絶対に似合うと思う」
そんなファティマにミオンはそうきっぱりと宣言する。
「そ、そうですか……?」
「そうだよ。絶対に間違いない。そうと決まれば、スーツを選ぼう!」
ファティマがおずおずと尋ねるのにミオンはファティマの手を引いて、スーツコーナーへとファティマを誘う。
「ファティマってスタイルいいし、身体のラインにフィットしたやつがいいよね」
ミオンはそう言い、タイトシルエットのジャケットとスキニーパンツを選ぶ。
ファティマの体型にぴったりと合った品だが、あまりに身体のラインが出るのが、ファティマには恥ずかしかった。
「も、もうちょっと緩いやつでお願いします……」
「う~ん? じゃあ、こっちかな?」
「そ、そうですね。こっちの方がいいです!」
ファティマは自分の体型に自信などなかったので、ミオンが選んでくれた少し緩めのスーツを選択した。
緩いとは言ってもだぼだぼというわけではなく、ある程度身体のラインは出るが、それは仕方のないことである。
「次はジャケットだね」
スーツを選び終えたファティマを連れてミオンはジャケットのコーナーへ。
さらりまんファッションを求める人はそれなりにいるのだろう。
ジャケットのコーナーにはミオンが着ているような蛍光色のラインが入ったジャケットが多く販売されていた。
「ファティマって自分の色って色はある?」
ミオンがそんな大量のジャケットを見て、ファティマに尋ねる。
「い、いえ。特にそういうものはありませんけれど……」
「ふむ。じゃあ、色はどうしようか……」
どうやらミオンがファティマがシンボルとしている色があれば、それを基にジャケットを選ぶつもりだったらしい。
だが、ファティマはこれまでこれこそが自分の色というものを持たなかった。
「あ、あのう、私、ミオンと同じ色のやつがいいです……」
ここでファティマはミオンにおどおどとそう申し出る。
ミオンが纏っているのは濃いネイビーブルーに緑色の蛍光色が入ったものだ。
「色違いにしなくていいの?」
「は、はい。ミオンと、その、同じ色がいいなって……。あっあっ! で、でも、ミオンが嫌なら別の色にしますよ……?」
「あたしは別に嫌じゃないけど。まあ、ファティマの服だし、君が選ぶべきだね」
そう言ってミオンが数あるジャケットの中から自分と同じ色のものを探し、ファティマに渡した。
「さて、会計してから早速着替えて行こう!」
「え、ええ」
ファティマはここで初めてARデバイスを使った決済というものを行った。
現金を使わずに買い物をするというのは……ファティマにとってはなんとも奇妙な感じであった。
* * * *
それからファティマはスーツとジャケットに着替えた。
「似合ってる、似合ってる!」
ミオンはラフなスーツとジャケット姿のファティマを見てそう褒めてくれた。
ファティマはミオンの言葉に頬を紅潮させながらも、ミオンと同じ格好ができることに喜びを感じていた。
「じゃあ、昼食を食べてからあたしの家に行こうか。ファティマも今日はもう疲れたでしょ。徹夜だったしさ」
「そ、そうですね……」
違法風俗店での劉の殺害からクロエ・ホアンの確保までぶっ通しで仕事であった。
流石のファティマも少し疲れを感じている。
「お昼は軽く食べておこう」
ミオンはそう言ったが入ったのはセクター7/1に存在するハンバーガーのチェーン店である。
ミオンはパテが3枚挟まった大きなバーガーを選び、ファティマは白身魚のフライが挟んであるというものを選んだ。
「……これも大豆とオキアミで?」
「そだよ~」
確かにファティマの食べるハンバーガーからは、何とも言えない薬品の香りと魚のようで魚ではない味と食感が感じられた。
それでも腹に入れば問題ないとばかりにミオンはぺろっと大きなハンバーガーを平らげ、ファティマもいそいそと食事を終えた。
それから再びミオンたちは車でセクター13/6に戻り、ミオンの自宅を目指した。
ミオンとファティマを乗せた車はスラム街を駆け抜け、そして1軒のアパートの前で止まった。
一見するとただの4階建てのアパートなのだが、よく見ると監視カメラや防犯センサーがあちこちに設置されているのが分かる。
「さて、ようこそ、あたしの家に!」
ミオンはそう言いアパートの2階に進み、部屋の扉を開けた。
「ここがミオンの家……」
ミオンの部屋は1LDKと確かに広くはなかったが、とても整然としていた。
綺麗に片付けられ、床にもゴミや埃はなく、掃除を行うであろう家事ボットはスリープ状態で休んでいる。
「まあ、自分の家だと思ってゆっくりしてね!」
ミオンはそうぱんぱんとファティマの背中を叩いて、部屋の中に上げる。
ファティマはそう促されて靴を脱ぎ、ミオンの部屋に上がった。
ミオンの部屋からはやはりミオンの匂いがする。
石鹸とシャンプーの香りだ。
あれだけチャイニーズ・マフィアの血を浴びたあとでも、ファティマにはその匂いが感じられていた。
「さて、先にお風呂に入る?」
「えっあっ、わ、私はあとでいいです……」
「そう? じゃあ、お先に失礼するね」
ミオンはそう言って浴室の方に向かう。
それから布の擦れる音が聞こえ、ファティマは扉一枚挟んでミオンが裸になっていることを意識せざるを得なかった。
あの綺麗なミオンの裸体はやはり美しいのだろうかなどと頭に浮かぶ。
「い、いやいやいや。私は何を……」
ファティマはそんな雑念を払うようにぶんぶんと首を横に振り、それからリビングの方に向かう。
リビングにはこたつがぽつんと置かれているだけで家具はあまりない。
ベッドルームの方はミオンがいないのに勝手に覗くと怒られそうだったので見ることはなく、ファティマはそんなリビングの座布団に座り、リビングの中を見渡す。
備え付けのキッチンは実にシンプルなものであり、調味料なども見当たらず、ミオンに料理をする趣味はなさそうだ。
こたつの上には湯呑みが置かれており、それから黒い子猫のぬいぐるみがあった。
その黒猫のぬいぐるみだけが、ファティマが見つけられた唯一の女の子らしいものだった。
他は殺風景というぐらい何もない。
「ここに李可昕さんも住んでたのかな……」
ミオンは李可昕と一緒に暮らしていたが、日常生活が合わず別れたとファティマは聞いていた。
自分もミオンと合わなければここから出ていくことになるのだろうか。
ファティマは少し心配になりながら、ミオンが風呂から出てくるのを待った。
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