この街で暮らしていくために必要なもの
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──この街で暮らしていくために必要なもの
それからミオンとファティマは夕食を食べた中華料理店──龍龍亭で肉まんを買うと、それをお土産に李可昕の家に向かった。
「李可昕~。お土産があるよ~」
家の前の監視カメラに向けてミオンがそう言うと、再び電子キーが重い金属音を立てて解錠され、扉が開かれる。
「待ってたぞ、ミオン。お腹ペコペコだぜ」
「はいはい。せめてカップラーメンでも買い置きしておきなよ」
ミオンがまだほかほかの肉まんが入った龍龍亭のテイクアウト用の箱を机の上に置くと、李可昕はいそいそとそれを開けて中の肉まんに食いついた。
少し有機薬品臭がするし、皮も中身もぼそぼそとした食感だが、食べられないことはなく、李可昕は腹を満たしていく。
「ファティマもお腹減ったでしょ? 食べよ?」
「は、はい」
本来ファティマは人と食事するのは緊張するので苦手なのだが、断りづらかったので彼女もひとつ肉まんを取って口に運んだ。
「……本当のお肉じゃないですよね、これ?」
そして、その何とも言えない味を前にそう尋ねる。
「そだよ。この街で天然ものの肉なんて滅多に食べられるものじゃないから」
「大豆とオキアミ、そして化学合成された栄養素配合ってやつだ」
ミオンと李可昕はそれぞれそう言う。
どうやらファティマが食べているのは肉まんというより、肉まんもどきらしい。
「まあ、お腹が膨れればそれで十分さ」
ぺろりと大きな肉まんをふたつ平らげてミオンはそう言う。
「李可昕。今回の仕事の報酬、渡しておくよ」
「あいよ。ジェーン・ドウは相変わらず羽振りがいいな」
「だよね。彼女には稼がせてもらってる」
ミオンから報酬の分け前を貰い、李可昕は満足げだ。
「だが、用心しろよ。あいつも企業の人間なんだから」
「分かってるよ。彼女のことは信頼はしていない」
李可昕のその警告にミオンは両眉を軽く上げてそう返す。
耳にタコができるぐらい聞かされたとでもいうような反応だ。
「さて、ファティマ。今日は徹夜だったけど、あともう一仕事あるよ。君のIDとARデバイスを調達しないとね」
それからミオンはまだ肉まんを食べているファティマにそう声を掛ける。
「そっ、そうでした。まだIDとARデバイスが必要なんですよね……」
「そうそう。これからちょっくら手に入れに行こう」
「は、はい!」
ミオンにそう言われてファティマは慌てて肉まんを食べ終える。
「IDなら私が準備してやろうか?」
と、ここで話を聞いていた李可昕がそう提案。
「いいの?」
「いいぞ。報酬さえ貰えれば、な」
「ふむ。ねえ、ファティマ、李可昕に任せていい? 一応言っておくと、彼女の腕は信頼できるよ」
そして、ミオンがファティマにそう確認を取る。
これはファティマのIDの話なので、決めるのはファティマだ。
「え、えっと。お願いします……」
「オーケー。待ってろ」
それから李可昕が再びBCIポートにケーブルを繋ぎ、何やら作業を行う。
「あ、あの、ミオンと李可昕さんはお友達じゃないんですか?」
「あたしと彼女は仕事仲間だよ。それ以上ではないね」
「そ、そうですか……」
とても親しげに見えたふたりだが、ファティマがそう尋ねるとミオンはビジネスライクな表情でそう言ってのけた。
彼女たちはあくまで仕事仲間であり友達ではない、と。
それは利用し、利用されるドライな関係だ。
ミオンは誰とでもそうであろうと努めているかのように見えた。
ファティマはそのことに少しだけ感情を揺さぶられるのが分かった。
もしかして自分はミオンと友達になりたかったのだろうか?
いや、自分はこれまでずっとひとりでいるのが好きで友達なんて求めていないはずなのに、どうしてだろう? とそう自問する。
「よ~しっ! ID登録完了だ。これで問題ないぞ~。これであんたも一応この街の人間だぜ~」
そのファティマの自問の答えが出る前に、李可昕がそう報告する。
「ありがと、李可昕。報酬はこれでいい?」
「オーケー、オーケー。毎度あり!」
ミオンから報酬が支払われ、李可昕は満足げな表情。
それからミオンが席を立つ。
「じゃあね、李可昕。また仕事があったらお願いするよ」
「あいあい」
ミオンはそう言って李可昕に別れを告げると、ファティマを連れて車両まで戻る。
彼女とファティマはそれから車両に乗り込むと、車両を走らせ朝日の差し込むセクター13/6から高速に乗った。
「……あっ、あれ? こ、ここから離れちゃうんですか……?」
「そ。ARデバイスはちゃんとしたところで買った方がいいから、これからセクター5/2まで遠征だよ」
ミオンはファティマの疑問ににっと笑ってそう言い、彼女を乗せて高速道路を北上していく。
TMC全体を隙なく網羅する高速道路はセクター13/6からセクター5/2まで遠征するのにも便利なものであった。
「セクター5/2はね。昔、秋葉原って呼ばれていた場所で、オタクと家電の街だったんだよ~。当時のことはあたしも詳しくは知らないけど、今でも面白い店がいろいろあるからあとで寄って行こう~!」
「お、おたく……?」
ミオンが楽しげに語るのをファティマは聞きながら窓の外を見る。
TMC沿岸部を走る高速道路からは東京湾が見える。
酷い汚染によって生態系が激変した海だ。
その海上にはそれでも数多の船が行きかい、ドローンなどの航空機も飛んでいた。
本当に凄い規模の街だとファティマは改めて思う。
この街には一体どれだけの人間が暮らしているんだろうと彼女はぼんやりと考えた。
「そろそろだよ」
ミオンがそう言い、車両が高速道路を降りる。
高速道路を降りた先がTMCセクター5/2だ。
「……女の子や男の子のイラストがいっぱいありますね……?」
聳える建物という建物にアニメ調の女性や男性のイラストが溢れており、ファティマはその異様な光景に首を傾げた。
ファティマの故郷ではテレビの電波すら怪しかったので、彼女はアニメやゲームというものをほとんど知らないのだ。
「でしょ、でしょ。これぞセクター5/2の光景だよねえ~」
一方のミオンにとってはセクター5/2のそれは見慣れた光景であり、彼女は目的地付近まで車を進める。
通りはセクター13/6と比べると整然としており、通りのゴミを集めるゴミ収集ボットがうろうろして、とても清潔感がある。
先ほどまでいたセクター13/6とは大違いだなとファティマは思った。
それからミオンが目指したのはひと際巨大な家電量販店であり、そこで車を止めてファティマとともに降りると、車を自動走行モードにし、近くの道路を周回させておく。
「ここでARデバイスを買おう。ちゃんとした氷が搭載されているやつにしないと」
「あ、あいす……?」
ファティマはどうしてARデバイスに氷が必要なのかと疑問に感じる。
何か冷やしたりするのだろうかと思ったが、そこはミオンが説明してくれた。
「侵入対抗装置。不正アクセスからデバイスを守るためのシステムのことだよ。これがないとそれこそマルウェアやら何やらで攻撃されて、所持金全部奪われたりするから注意ね」
「わ、分かりました」
どうやらこの街の窃盗は、単なるひったくりやスリだけではないらしい。
「それじゃあ、見て行こう」
そういうとミオンは家電量販店の中に入っていく。
ファティマもそれに続き、エントランスを潜った。
家電量販店の中は小さなTMCの街並みのようだった。
けばけばしいホログラムが製品の広告を行い、無数の客たちがざわめている。
「さて、と。ここがARデバイスコーナーだよ」
ミオンに導かれてファティマが訪れたのは、コンタクトレンズやメガネ型のARデバイスを販売しているコーナーであった。
盗難防止のために武装した接客ボットが見守る中、客たちがどのデバイスを買おうかと相談し合っている。
「へ、へえ。普通のメガネとコンタクトレンズみたいなのがあるんですね……」
「今はスペックにも値段にもそこまで差はないから、どっちを選んでもいいよ」
「それなら一番安いやつで……」
「ダメダメ。それはダメ。最低でも5000新円はするやつにしとかないとすぐに壊れて、安物買いの銭失いになるよ」
「う、う~ん」
ミオンにそう言われてファティマは5000新円以上の価格帯のものを見る。
それぞれの製品にいろいろと宣伝文句が書かれているのだが、ファティマにはさっぱりな内容ばかりだ。
「で、では、これで……」
最終的にファティマが選んだのは6500新円のコンタクトレンズ型のものだった。
生活に必要な品だと言われても、あまり高価な買い物はしたくないので本当に最低限の価格帯の品を選んだ。
「本当にそれでいいの? もっと高スペックなやつもあるよ?」
「そっ、それは追々お金を稼いでから買います……」
ミオンは3万新円ぐらいのメガネ型のARデバイスを見せるが、ファティマは遠慮気味に首を横に振った。
「分かった。じゃあ、これにしよう」
ミオンはファティマが選んだ品を接客ボットに注文し、先に料金を支払う。
それから店内を小型ドローンが商品を届けにやってきた。
小型ドローンから商品を受け取り、ファティマとミオンは店を出る。
「どこかお店に入ってセットアップしようか」
ミオンはそう言い、通りを進むと何やら先ほどまでの電気街とはまた異なる印象のある区域に入っていく。
「あ……」
そこでファティマは李可昕と同じように猫耳を生やした女性たちを見かけた。
ヴィクトリア朝のシックなメイド服姿の女性たちが、客引きをしていたのだ。
「そこが気になる?」
ファティマがその女性たちを見ているのに気づき、ミオンがそう尋ねてくる。
「あ、あれ、李可昕さんもつけてましたよね?」
「李可昕のは機械式の猫耳だね。一種のインプラントであり、サイバネウェア。彼女たちのはプラスミドで遺伝子導入した生物式の猫耳だよ」
「は、はあ……」
この街には何やら多彩な方法で猫耳を生やす手段があるらしい。
「うん。そうだね。せっかくセクター5/2まで来たんだし、メイド喫茶と洒落こもう!」
何を納得したのかミオンはそう言い、ファティマを連れて件の猫耳メイドが客引きをしている喫茶店に入った。
中は19世紀のイギリスにおけるタウンハウスをモチーフにしたデザインになっており、ファティマからするとさっきまでのホログラムとネオンの暴力が嘘のように静かで落ち着いた空間だった。
同時にファティマは自分が場違いなような気がしてきて、少し赤面した。
「紅茶を。ファティマも紅茶でいい?」
「は、はい」
ミオンは慣れた様子でそう注文し、ファティマもこくこくと小さく頷く。
「ここでARデバイスのセットアップを済ませちゃおう。と言っても、装着すればほぼ完了するから。付けてみて、ファティマ」
「え、えーっと……」
ファティマは買ってきたARデバイスの包みを開き、コンタクトレンズ型のそれを取り出すと慎重に自分の目に嵌めた。
すると視界に文字が浮かぶ。
『STANDBY』
そう表示された次には──。
『AR-ViSiON Online』
と表示された。
ARデバイスはそれから自動的にファティマの生体認証情報を取得していき、李可昕が作った偽造IDが適用されていく。
「どう? 終わった?」
「……と、思います……」
ミオンが尋ねるのにファティマはあいまいに頷いた。
「じゃあ、ファティマの取り分を渡しておくね」
そうミオンが言うとファティマの端末に6万新円が振り込まれた。
「こ、こんなに貰っていいんですか……? 私、大したことしてないのに……」
「何言ってるんだい。ファティマの魔法のおかげで仕事は成功したようなものだし。これぐらいは当然だよ」
「そ、そうですか……」
とりあえずこれでファティマは無一文ではなくなった。
ID、ARデバイス、当座の生活費。
それらがようやく揃ったのだ。
次は──今日の寝床だ。
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