第98話 集まり始める可能性
魔界スキル商店の周囲から、鳥の鳴き声が消えていた。
森はいつもと変わらないように見える。
木々は風に揺れ、湿った土の匂いが漂い、遠くでは小さな魔物の気配も感じられる。
それでも。
リリアには分かっていた。
何かがおかしい。
「……静かすぎます。」
店の窓から外を眺めながら、リリアが呟く。
アルトは帳簿から顔を上げた。
「そうですね。」
「やっぱり気付いていました?」
「はい。」
アルトは机の横に置かれた観測用の魔道具へ視線を向ける。
森の中に、不自然な魔力反応がいくつも存在している。
近づいては離れる。
また近づいては、しばらく様子を見る。
明らかに誰かが店を監視している。
「何人くらいですか?」
「正確には分かりません。」
「でも、複数ですよね?」
「ええ。」
アルトは落ち着いていた。
焦っている様子もない。
武器を手に取ることもない。
ただ、観測結果を帳簿へ記録している。
「店長。」
「はい。」
「本当に何もしないんですか?」
リリアの問いに、アルトは少し考えた。
「今のところ、店内へ入ってきたわけではありません。」
「だから様子を見るんですか?」
「はい。」
「……敵が攻めてきても?」
「その時は対応します。」
「どうやって?」
アルトは少しだけ困った顔をした。
「それは、相手次第でしょう。」
リリアは頭を抱えた。
やはり、この店主は戦闘に関して頼りになるタイプではない。
しかし。
アルトには別の意味で余裕があった。
自分が戦う必要はない。
この店を訪れた者たちは、もうアルトから離れた場所で自分の人生を歩いている。
そして。
その中には。
今の自分より遥かに強くなった者たちもいる。
◆
同じ頃。
人間界の町。
レオンは冒険者ギルドの掲示板を眺めていた。
最近、妙な噂が増えている。
魔界スキル商店。
才能を変える店。
人生を変える力を売る店。
そんな話を耳にすることが増えていた。
レオンは、その噂を聞くたびに複雑な気持ちになる。
自分がその店を知っているからだ。
しかし。
誰にも話していない。
アルトから口止めされたわけではない。
ただ。
あの店のことを、自分から他人へ話す気にはなれなかった。
あそこで手に入れたものは、単なるスキルではない。
自分の人生を、自分で諦めないためのきっかけだった。
だからこそ。
誰かに軽々しく語るものではないと思っていた。
「レオン。」
背後から声がする。
振り返る。
そこにいたのは、以前から付き合いのある冒険者仲間だった。
「どうした?」
「最近、お前を調べてる奴がいるらしい。」
「……。」
レオンの表情が変わった。
「どんな奴だ?」
「冒険者のふりをしているが、どうも違うらしい。」
「何か聞いたのか?」
「魔界スキル商店って言葉を口にしていたとか。」
その瞬間。
レオンの胸に嫌な予感が走った。
「そうか。」
「何か知ってるのか?」
「いや。」
レオンは首を振った。
だが。
心の中では、すでに一つの場所を思い浮かべていた。
魔界スキル商店。
アルト。
そして。
あの店で人生を変えた自分。
「……少し、出かけてくる。」
「どこへ?」
「まだ分からない。」
そう答えながら、レオンはギルドを出た。
◆
魔界の湿地帯。
ポヨンはいつもと違う気配を感じていた。
周囲にいるスライムたちも、何かを察している。
「ぷる?」
一匹が首を傾げる。
もちろん、スライムに首はない。
それでも。
ポヨンには分かった。
森の向こうに、知らない魔力がある。
敵意。
それも。
自分たちを観察しているような気配。
ポヨンは少しだけ身体を膨らませた。
すると。
周囲の子スライムたちも集まってくる。
「ぷる。」
一匹。
「ぷるぷる。」
二匹。
気付けば。
以前、魔獣と戦った時のように、大勢の仲間がポヨンの周囲へ集まっていた。
ポヨンはしばらく考える。
そして。
ぴょん。
一匹の子スライムが跳ねた。
その方向は。
魔界スキル商店だった。
◆
森の別の場所では。
カインとルナもまた、異変を感じていた。
「……誰かいる。」
カインが足を止める。
ルナが低く唸った。
「分かるのか?」
「クゥ。」
共鳴感知。
ルナが感じ取ったものを、カインも共有する。
遠くに複数の気配。
それも。
魔界スキル商店へ向かっている。
「アルトさんの店……。」
カインはしばらく黙っていた。
あの店には、自分の人生を変えてくれた場所としての思い入れがある。
しかし。
アルトから何かを命令されたことはない。
守れと言われたこともない。
だから。
これは自分で決めることだ。
カインはルナを見る。
「行こう。」
「クゥ。」
二人は森を抜け始めた。
◆
そして。
魔界スキル商店から遠く離れた場所。
一人の魔族が立っていた。
才能管理機関から派遣された監視役。
彼は水晶へ映し出された複数の人物を見ていた。
レオン。
ポヨン。
カイン。
さらに。
まだ名前すら知られていない契約者たち。
「動き始めたか。」
男は呟く。
「予想より早い。」
彼らは、魔界スキル商店を守るよう命令されたわけではない。
誰かが呼び集めたわけでもない。
ただ。
店が狙われていると知り。
それぞれが自分の意思で動いている。
「……厄介だな。」
男は報告書へ書き込む。
【契約者間の直接的な連携は確認されていない】
【しかし、魔界スキル商店への危機に対して自発的に接近する者が複数存在】
【店主アルトへの忠誠というより、個人的な恩義による行動と推測】
そして。
最後に一文。
【契約者を一括して敵対視することは危険】
男は筆を置いた。
◆
魔王城でも。
同じ頃に報告が届いていた。
「魔界スキル商店が狙われている?」
幹部の一人が眉をひそめる。
「はい。」
「才能管理機関が動いています。」
別の幹部が資料を見る。
そこには、最近確認された契約者たちの情報が並んでいる。
「また余計なことを始めたな。」
「放置するのですか?」
質問を受けた幹部は、すぐには答えなかった。
魔界スキル商店。
最初は、ただの小さな店だと思っていた。
しかし。
自分たちの知る魔族の中にも、あの店で力を得た者がいる。
その者たちが今も魔王軍で活動している。
そして。
そのスキルによって、救われた命もある。
「……我々が口を出す必要はない。」
幹部は言った。
「まだな。」
「では、放置するのですか?」
「違う。」
男は窓の外を見る。
「状況を見ておけ。」
「もし才能管理機関が、魔王軍の関係者まで巻き込むなら。」
一瞬だけ目が鋭くなる。
「その時は、こちらも黙ってはいられん。」
◆
夕方。
魔界スキル商店。
アルトは最後の帳簿を閉じた。
「今日は少し騒がしいですね。」
リリアが窓の外を見る。
森の奥から。
小さな音が聞こえてくる。
ぴょん。
ぴょん。
そして。
「ぷる!」
店の扉が開く。
入ってきたのは。
大量のスライムだった。
「……。」
アルトは目を瞬かせる。
先頭にいるポヨンが、元気よく跳ねる。
「ぷるる!」
「ポヨンですか。」
「ぷる!」
アルトが近づくと。
ポヨンが身体を伸ばして、アルトへくっついた。
「……どうしたんですか?」
「ぷるー。」
答えは分からない。
しかし。
アルトには、なんとなく伝わった。
何かを心配している。
その時。
店の外から別の声が聞こえた。
「アルトさん!」
カインだった。
隣にはルナがいる。
「カインさんまで。」
「店が狙われていると聞きました。」
「そうですか。」
「はい。」
カインは少し息を切らしながら言った。
「だから来ました。」
アルトは困惑する。
「なぜですか?」
カインは少し笑った。
「僕が来たいと思ったからです。」
それだけだった。
◆
さらに。
夜になる頃。
森の入口に、一人の青年が立っていた。
レオン。
剣を背負い。
一人で歩いてきた。
アルトは店の外へ出る。
「レオンさんまで。」
「久しぶりだな。」
「何か用事が?」
レオンは少し考える。
そして。
「店が狙われてるんだろ?」
「そのようですね。」
「だったら。」
レオンは剣へ手を置く。
「俺もここにいる。」
アルトは黙った。
レオンは続ける。
「昔の俺は、この店で人生を変えてもらった。」
「でも。」
一歩前へ出る。
「今の俺がここへ来たのは、アルトさんに頼まれたからじゃない。」
「自分で決めた。」
アルトは静かにレオンを見る。
その後ろには。
ポヨン。
カイン。
そして。
少しずつ近づいてくる、まだ名前も知られていない契約者たち。
人間。
魔族。
魔物。
それぞれが違う理由で。
それぞれ違う人生を歩んできた者たち。
誰かに命令されたわけではない。
誰かに召集されたわけでもない。
ただ。
自分たちが変わるきっかけをくれた場所が、危険にさらされている。
だから。
集まった。
アルトはその光景を見つめる。
そして。
小さく息を吐いた。
「……そうですか。」
リリアが隣で笑う。
「店長。」
「はい。」
「これ、もう裏方じゃなくて大騒ぎですよ。」
アルトは苦笑した。
「困りましたね。」
しかし。
その声には。
ほんの少しだけ嬉しそうな響きがあった。
魔界スキル商店。
そこに。
かつて別々の場所で人生を変えた者たちが、初めて集まり始めていた。
そして。
森のさらに奥では。
才能管理機関の部隊が、静かに進軍を始めていた。




