第83話 シャドウナインと影壁③
ロックベアが森の奥へ姿を消した後も、その場にはしばらく静寂が流れていた。
風が木々を揺らし、鳥たちが少しずつ戻ってくる。
先ほどまで命懸けの戦いが繰り広げられていたとは思えないほど、森は穏やかな空気を取り戻していた。
「本当に……行っちゃった。」
エミナは小さく息を吐く。
今になって緊張が解けたのか、その場へ座り込んでしまった。
シャドウナインは心配そうに近寄り、エミナの肩へ顔を擦り寄せる。
「ありがとう。」
エミナは優しく頭を撫でる。
「私を守ってくれたんだね。」
「キュォ。」
嬉しそうに尻尾を揺らすシャドウナイン。
その姿は、先ほどまでBランク魔獣と互角以上に渡り合っていたとは思えないほど愛らしかった。
少し離れた場所で、その様子を見ていたレオンは複雑そうな表情を浮かべていた。
「……俺、勘違いしてたな。」
思わず本音が漏れる。
エミナは首を傾げた。
「え?」
「強い魔物と契約することだけが、一流の魔物使いだと思ってた。」
レオンは自分の相棒であるウルフを見つめる。
この魔物とは契約して一年になる。
確かに強い。
命令もよく聞く。
しかし、それは訓練を積み重ねた結果であり、今のエミナとシャドウナインのような自然な信頼関係とは少し違っていた。
「お前たちを見てると……。」
レオンは苦笑する。
「主従じゃない。」
「家族なんだな。」
その言葉にエミナは照れくさそうに笑った。
「そうなのかな。」
「でも、一緒にいたいとは思ってる。」
「強くなってほしいっていうより、一緒に成長したいかな。」
その何気ない一言に、レオンは衝撃を受ける。
自分は今まで、魔物を戦力としてしか見てこなかった。
もちろん大切な仲間だとは思っている。
だが、「一緒に成長する」という発想はなかった。
「だから……。」
レオンは静かに頭を下げた。
「さっきは悪かった。」
「弱い魔物なんて言って。」
エミナは慌てて首を振る。
「気にしてないよ。」
「私も少し前まで、同じことを思ってたから。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
その様子を見ていたウルフが、ゆっくりとシャドウナインへ近付く。
「グルル……。」
警戒しているようにも見えたが、敵意はない。
シャドウナインも静かに歩み寄る。
互いに鼻先を近付け、匂いを確かめ合う。
そして次の瞬間。
コツン。
軽く額を合わせた。
「仲良くなった。」
エミナが嬉しそうに微笑む。
レオンも思わず笑顔になる。
魔物同士は言葉を交わさない。
それでも互いを認め合ったことは、二人にも伝わってきた。
その頃、魔界スキル商店ではアルトが帳簿の変化を静かに眺めていた。
【契約者 エミナ】
【戦闘終了】
【新規データ取得】
【影壁】
【影渡り】
【精神同調】
「順調ですね。」
リリアも帳簿を覗き込む。
「でも、まだ何か表示されていますよ?」
アルトは最後の一行へ目を向けた。
【特殊条件達成】
【育成系統データ収集完了】
その文字を見た瞬間、帳簿全体が淡い金色の光を放ち始めた。
ページが勝手にめくられていく。
一枚。
また一枚。
最後の白紙で止まると、新しい文字がゆっくりと浮かび上がった。
【新規スキル開発開始】
【名称未定】
【育成支援系】
【進捗 3%】
リリアは目を丸くした。
「また新しいスキルですか?」
「ええ。」
アルトは嬉しそうに頷く。
「今回は配合士でも魔物使いでもありません。」
「もっと幅広い職業で使える能力になりそうです。」
「例えば?」
「騎獣を育てる騎士。」
「牧場で魔獣を育成する管理士。」
「幻獣の研究者。」
「そして召喚士。」
アルトの頭の中では、すでにいくつもの応用例が浮かんでいた。
これまでの契約者たちは、それぞれ異なる道を歩んでいる。
ロイドは配合士として新種配合を成功させた。
エミナは魔物使いとして特別な才能を開花させた。
彼らが積み重ねた経験は、魔界スキル商店にとって何より価値のある財産なのである。
「店長。」
リリアが少し気になったことを尋ねる。
「このお店って、契約者が増えるほどスキルも増えていくんですよね?」
「その通りです。」
アルトは静かに答える。
「私は一人で研究するより、多くの才能から学びたい。」
「だから、この店は商品を売る場所であると同時に、世界中の才能が集まる研究所でもあるんです。」
リリアはその言葉に納得したように頷いた。
魔界スキル商店は、単にスキルを販売する店ではない。
人の可能性を見つけ、育て、その成果からさらに新しい可能性を生み出す場所。
だからこそ、普通の店では決して並ばないスキルが次々と誕生していくのだ。
その時、入口の鈴が静かに鳴った。
カラン――。
アルトとリリアは同時に入口へ視線を向ける。
そこには深い緑色のローブを羽織った一人の青年が立っていた。
背中には長い杖。
胸元には、見慣れない銀色の紋章。
青年は店内をゆっくりと見回した後、穏やかに頭を下げる。
「突然失礼します。」
「ここが……魔界スキル商店で間違いありませんか?」
その瞳には、ロイドやエミナと同じように、何かを必死に求める強い意志が宿っていた。
新たな契約者との出会いが、また一つ、魔界スキル商店に新しい物語を運んできたのである。




