第79話 魔物使いと適性診断④
シャドウフォックスがエミナの膝の上で安心したように眠り始めると、育成保護園は静かなざわめきに包まれた。
施設の職員たちは信じられないものを見るような表情を浮かべている。
「本当に初めてですよ。」
年配の職員が目を丸くしながら言った。
「この子は保護されてから三か月、一度も自分から誰かへ近付いたことがありません。」
「餌を与える時でさえ、部屋の隅へ逃げてしまうほど臆病だったんです。」
その言葉を聞き、エミナはそっとシャドウフォックスを撫でる。
「そんなに怖い思いをしてきたんだね……。」
シャドウフォックスは気持ちよさそうに喉を鳴らし、小さな尻尾をゆっくり振った。
もう怯えた様子はない。
まるで昔から一緒に暮らしていた家族のようだった。
アルトはその様子を静かに観察していた。
帳簿には次々と新しい情報が記録されていく。
【契約前信頼形成】
【経過観測中】
【精神安定率 96%】
【魔力同調率 88%】
「やはり……。」
アルトは小さく呟く。
普通の契約ではあり得ない数値だった。
魔物と契約する場合、多くは契約魔法によって主従関係を結ぶ。
信頼は契約後に少しずつ築かれていくものだ。
しかしエミナは逆だった。
先に心を通わせ、その結果として魔力まで自然と共鳴している。
まさに『絆』から始まる契約である。
その時、一人の少年が保護園へ入ってきた。
年齢はエミナと同じくらい。
胸には新人魔物使いの証である青銅のバッジが付いている。
その腕には、立派なウルフ型魔物が寄り添っていた。
「あれ?」
少年はエミナを見るなり驚いたような顔をした。
「エミナじゃないか。」
「レオン?」
知り合いらしい。
少年は少し困ったように笑う。
「久しぶりだな。」
「まだ保護園に来てたんだ。」
その言葉には悪意はない。
だが、どこか同情するような響きがあった。
職員が小声で説明する。
「同期ですね。」
「二人とも同じ養成学校出身です。」
アルトは静かに頷いた。
レオンはエミナの膝の上にいるシャドウフォックスを見て苦笑する。
「その子にするの?」
「う、うん。」
「もっと強い魔物を狙わないと。」
レオンは自分の相棒を撫でた。
「俺なんて卒業して一年で上級ウルフと契約できたぞ。」
「今度は飛竜種を狙ってる。」
エミナは少しだけ俯く。
以前なら、その言葉だけで自信を失っていただろう。
しかし今回は違った。
膝の上のシャドウフォックスが、そっとエミナの手へ顔を擦り寄せる。
その温もりを感じた瞬間、不思議と迷いが消えた。
「私は……。」
エミナはゆっくり顔を上げる。
「この子と一緒に頑張りたい。」
その声は決して大きくなかった。
だが、迷いはなかった。
レオンは少し驚いた表情を見せる。
「本気なのか?」
「うん。」
「強い魔物じゃなくてもいい。」
「この子となら、きっと強くなれる気がするから。」
その言葉を聞いたアルトは微笑んだ。
ようやく彼女自身が、自分の才能を受け入れ始めたのである。
その時だった。
帳簿が再び淡く輝く。
【適性診断】
【追加情報を検出】
【対象:シャドウフォックス】
アルトは視線を落とす。
そこには思いがけない内容が表示されていた。
【現在種族】
【シャドウフォックス】
その下に、さらに文字が続く。
【隠し進化条件】
【強い信頼関係】
【共同生活 三年以上】
【危機から主人を守る】
アルトは思わず息を呑んだ。
「隠し進化……。」
通常、進化条件は魔力量や戦闘経験がほとんどだ。
しかし、この個体は違う。
心の繋がりそのものが進化条件になっている。
まさにエミナの才能と噛み合う魔物だった。
「店長?」
リリアが小声で尋ねる。
「教えるんですか?」
アルトは少し考え、首を横に振った。
「いいえ。」
「今はまだ。」
「この進化は知識で目指すものではありません。」
「二人が自然に築いた絆の先にあるものです。」
もし条件だけを教えれば、それは目的になってしまう。
だが、本当に必要なのは打算ではなく信頼だった。
アルトは静かにエミナたちを見つめる。
シャドウフォックスは嬉しそうに尻尾を振り、エミナも優しく笑っている。
その光景だけで十分だった。
帳簿には最後に一行だけ、新しい記録が刻まれる。
【未来予測】
【成功率 99%】
アルトはその数字を見て小さく微笑んだ。
この契約は、きっと長く続く。
そして数年後――。
この小さな出会いが、「魔物と共に進化する魔物使い」という新しい伝説の始まりとして語られることを、この場の誰もまだ知らなかった。




