第74話 月光牙狼と解析眼④
開始の鐘が鳴り響いた瞬間。
暴虐鬼オーガが地面を砕く勢いで踏み込み、一気に距離を詰めた。
巨体からは想像もできないほどの速度だった。
「速い!」
見学していた研究員から思わず声が漏れる。
四本の腕が唸りを上げ、鋼鉄の棍棒が横薙ぎに振り抜かれた。
空気が裂け、演習場の石畳が衝撃だけで砕け散る。
しかし、新種魔獣は真正面から受け止めなかった。
月光のような残像を残しながら、紙一重で攻撃をかわす。
「避けた!」
兵士たちから驚きの声が上がる。
ただ速いだけではない。
攻撃の軌道を完全に見切った動きだった。
続けざまに月光牙狼が懐へ潜り込み、前脚を振るう。
鋭い爪が暴虐鬼オーガの胸部を切り裂き、黒い甲殻に三本の深い傷を刻んだ。
「ギャアアアアッ!」
暴虐鬼オーガが怒号を上げる。
だが致命傷ではない。
分厚い甲殻が致命的な損傷を防いでいた。
「防御力も高いか……。」
ロイドは静かに戦況を見つめる。
解析眼が絶え間なく情報を更新していた。
【勝率 七十八%】
【現在勝率 七十四%】
数字が変化する。
暴虐鬼オーガは見た目以上に頑丈だった。
このまま長期戦になれば魔力消費で不利になる。
その時だった。
暴虐鬼オーガが大きく後ろへ跳び、四本の腕を同時に持ち上げる。
「来る!」
ロイドの解析眼が警鐘を鳴らした。
大量の魔力が右上の腕へ集中している。
まさか。
「副団長!」
ロイドは思わず叫んだ。
「右腕です!」
ヴァレリアは一瞬だけロイドを見る。
次の瞬間。
暴虐鬼オーガの右腕が地面へ叩き付けられた。
轟音。
演習場全体が激しく揺れる。
巨大な衝撃波が放射状に広がり、石畳が次々と吹き飛んでいく。
見学席の研究員たちも思わず身を伏せた。
しかし。
その中心にいるはずの新種魔獣の姿がない。
「上だ!」
兵士の一人が叫ぶ。
全員が見上げる。
新種魔獣は衝撃波が放たれる直前、空中へ跳び上がっていた。
月光を纏うように身体を回転させ、そのまま暴虐鬼オーガの頭上へ舞い降りる。
そして。
「グオオオオッ!」
渾身の一撃が振り下ろされた。
鋭い爪が甲殻の隙間を正確に切り裂く。
首筋。
最も防御の薄い場所だった。
鮮血が舞う。
暴虐鬼オーガの巨体が大きくよろめいた。
「まさか弱点まで……。」
研究所長が目を見開く。
偶然ではない。
明らかに狙っていた。
ヴァレリアも興味深そうに戦いを見つめている。
「見事な判断です。」
小さく呟いたその言葉を聞いたのは、近くにいたロイドだけだった。
だが戦いは終わらない。
暴虐鬼オーガは怒り狂い、四本の腕で無差別に攻撃を繰り返す。
棍棒が振るわれるたび、大地が抉れ、岩片が宙を舞う。
普通の魔獣なら逃げるだけで精一杯だろう。
しかし新種魔獣は違った。
無駄な動きが一切ない。
最小限の回避。
最短距離での反撃。
一撃離脱を繰り返しながら、少しずつ相手の体力を削っていく。
「……美しい。」
思わず研究所長が漏らした。
力任せではない。
技術で勝つ戦いだった。
ロイドも解析眼で戦況を追い続ける。
【勝率 八十一%】
数字が上がる。
暴虐鬼オーガは焦り始めていた。
攻撃は大振りになり、隙も増えている。
勝機は近い。
その時だった。
解析眼が再び警告を発する。
【危険】
【高密度魔力反応】
【暴走兆候】
ロイドの表情が変わる。
「まずい……。」
暴虐鬼オーガの胸部へ大量の魔力が集まり始めていた。
通常個体には確認されていない反応。
おそらく極限状態でのみ発動する切り札。
解析眼が導き出した予測では、その攻撃を受ければ勝率は一気に二十%以下まで落ち込む。
「止めないと!」
ロイドが叫ぶ。
その声に新種魔獣が反応したかのように、大地を力強く蹴った。
一直線。
迷いなく暴虐鬼オーガへ突っ込んでいく。
周囲から悲鳴が上がる。
「あの距離じゃ間に合わない!」
誰もがそう思った。
だがロイドだけは違った。
解析眼が示す未来は、一つだけだった。
新種魔獣は真正面から飛び込むと見せかけ、最後の一歩で身体を沈める。
暴虐鬼オーガの懐へ潜り込み、胸部へ鋭い牙を突き立てた。
直後――。
胸へ集まっていた魔力が四散する。
切り札は発動する前に潰された。
暴虐鬼オーガは苦しそうな咆哮を上げ、その巨体をゆっくりと地面へ倒した。
轟音と共に土煙が舞い上がる。
演習場は静まり返った。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
新種魔獣の完勝である。
数秒の沈黙。
そして次の瞬間、演習場は兵士たちの歓声に包まれた。
「勝った!」
「Aランク魔獣を単独撃破だ!」
「信じられない!」
研究員たちも興奮を隠せない。
研究所長は静かにロイドの肩へ手を置いた。
「素晴らしい成果だ。」
その言葉にロイドはようやく張り詰めていた力を抜いた。
努力が報われた。
そう実感できる瞬間だった。
しかし、その様子を見つめるヴァレリアの視線だけは鋭いままだった。
彼女が評価していたのは新種魔獣だけではない。
戦闘中、危険を何度も言い当て、最適な判断を導き出したロイド自身である。
「……面白い。」
誰にも聞こえないほど小さな声で、ヴァレリアはそう呟いた。




