第68話 配合士と観察眼⑤
白銀牙狼が進化直前だった。
その報告は研究所全体へ大きな衝撃を与えた。
もしロイドの指摘がなければ、研究所は進化前のデータを前提に新種配合を進めていたことになる。完成目前で計画が破綻する可能性もあった。
損失は計り知れない。
研究費。
素材。
人員。
そして魔王軍からの信用。
全てを失いかねなかった。
そのため研究所内ではロイドへの評価がさらに高まり始めていた。
だが当の本人は浮かれていなかった。
研究所長室の会議机に広げられた資料を見つめながら、むしろ深く考え込んでいたのである。
「何か気になるのか?」
研究所長が尋ねる。
ロイドは少し迷った後、静かに口を開いた。
「この計画です。」
机の上には当初の新種配合計画が並んでいる。
白銀牙狼を核にした戦闘用魔獣。
魔王軍の国境防衛戦力として期待されている案件だった。
「進化前を前提にしているので無理があります。」
「だろうな。」
研究所長も頷く。
それは既に全員が理解していた。
問題はここからだ。
計画を中止するのは簡単である。
だが魔王軍の依頼は急ぎだった。
代替案が必要になる。
「ならどうする?」
研究所長の問いに、ロイドは資料を一枚取り出した。
そこには白銀牙狼の予測進化図が描かれている。
上位種。
月光牙狼。
満月の魔力を操る高位魔獣だった。
会議室が静まり返る。
誰もが資料を見つめる。
そしてロイドは言った。
「進化後を前提に組み直すべきです。」
その瞬間。
上級配合士たちの表情が変わった。
無茶だ。
そう思った者も少なくない。
なぜなら月光牙狼は研究例が少ない。
情報が不足している。
未知数が多すぎるのである。
しかしロイドの顔には迷いがなかった。
観察眼によって見えているものがある。
それを確信していた。
「理由を聞こう。」
研究所長が促す。
ロイドは立ち上がり、資料を指し示した。
「白銀牙狼の特徴は身体能力です。」
「ですが月光牙狼になると魔力制御能力が大幅に向上します。」
「つまり必要な素材も変わります。」
そして次々と資料を並べていく。
候補魔獣。
属性相性。
成長傾向。
魔力循環。
以前のロイドなら理解できなかった情報だった。
しかし今は違う。
情報同士が線で繋がって見える。
「こちらの素材では暴走率が高すぎます。」
「こちらは能力が重複しています。」
「こちらは成長限界が低い。」
次々と問題点を指摘していく。
上級配合士たちも黙って聞いていた。
反論できない。
説明に説得力があるからだ。
そして最後に一枚の資料を置く。
「核にするならこちらです。」
そこに書かれていたのは別の魔獣だった。
月影豹。
夜属性の中級魔獣。
一見すると地味な存在である。
だがロイドの観察眼は別の評価を示していた。
「月光牙狼との相性が非常に高い。」
「魔力循環も安定する。」
「成長後の能力拡張も見込めます。」
会議室が静まり返る。
誰も口を挟まない。
資料を見れば見るほど理にかなっている。
研究所長は腕を組んだ。
そしてゆっくり尋ねる。
「成功率は?」
ロイドは答える。
「七十二%です。」
ざわめきが起きた。
高い。
新種配合で七割を超える成功率など滅多にない。
通常なら五割でも挑戦する価値がある。
それほど難しい分野なのだ。
しかし。
その時だった。
「馬鹿馬鹿しい。」
冷たい声が響く。
グレインだった。
会議室の空気が変わる。
上級配合士は立ち上がり、ロイドを睨む。
「調子に乗るな。」
険しい口調だった。
「少し結果を出したからといって、一流配合士の真似事ができると思うな。」
ロイドは黙って聞いていた。
グレインは続ける。
「新種配合を何だと思っている。」
「机上の計算だけで成功するほど甘くない。」
言葉自体は間違っていない。
実際、新種配合は極めて難しい。
だからこそ多くの配合士が挑戦し、失敗してきた。
だが。
研究所長は静かだった。
他の上級配合士たちも同じである。
誰もグレインへ同調しない。
なぜなら全員が理解していた。
ロイドの指摘はこれまで一度も外れていない。
そしてその事実が、グレインをさらに苛立たせていた。
「なら試してみるか。」
突然グレインが言った。
会議室がざわめく。
「実際に配合して証明しろ。」
「お前の理論が正しいなら成功するはずだ。」
挑発だった。
失敗すればロイドの評価は落ちる。
成功しても自分が損をするわけではない。
そう考えているのだろう。
だが。
ロイドは逃げなかった。
以前の自分なら無理だった。
失敗が怖かった。
笑われるのが怖かった。
しかし今は違う。
観察眼がある。
何より、自分の見たものを信じられるようになっていた。
「分かりました。」
静かな返答だった。
だが会議室の全員が驚く。
ロイドは資料へ視線を落としながら続けた。
「やります。」
研究所長の口元が僅かに緩む。
面白い。
そんな感情が見えた。
そしてその夜。
魔界スキル商店では観測水晶がロイドの姿を映し出していた。
大量の資料に囲まれながら、新種配合の設計図を書き続ける青年。
リリアは感心したように羽を揺らす。
「本当に変わりましたね。」
「そうですね。」
アルトも頷いた。
帳簿には新たな文字が浮かび上がっている。
【契約者 ロイド】
【観察眼 熟練度上昇】
【大型案件進行中】
【成功予測 68%】
そして、その下にはさらに興味深い一文が表示された。
【上位能力解放条件】
【達成率 71%】
アルトはその文字を見て小さく目を細める。
どうやら観察眼も、契約共有と同じく進化するスキルらしい。
そしてその進化は、予想よりも早く訪れるかもしれなかった。




