第67話 配合士と観察眼④
研究所長による発表から三日。
配合研究所の空気は大きく変わっていた。
もちろん全員がロイドを認めたわけではない。
突然評価が逆転したのだ。
面白く思わない者もいる。
特に上級配合士グレインの派閥は露骨だった。
しかしそれでも、以前のように「失敗作」と呼ぶ者はいなくなった。
結果を出してしまったからである。
配合士の世界は実力主義だ。
肩書きより結果。
言葉より成果。
六十八件の分析を的中させた実績は無視できなかった。
そしてロイド自身も変わり始めていた。
研究所の資料室。
天井まで届くほどの本棚に囲まれた空間で、ロイドは古い配合記録を読み漁っていた。
以前なら理解できなかった記述が次々と頭へ入ってくる。
なぜこの配合が成功したのか。
なぜこちらは失敗したのか。
どんな特徴を持つ個体が使われたのか。
観察眼を得たことで、過去の記録そのものが新しい教材へ変わっていた。
「こんなところに答えがあったのか……」
ロイドは驚きを隠せない。
昔の配合士たちは記録を残していた。
しかしその価値を理解できる者が少なかっただけなのだ。
今のロイドには見える。
成功例の共通点も。
失敗例の原因も。
まるで長年霧に包まれていた道が突然晴れたような感覚だった。
その時だった。
資料室の扉が勢いよく開く。
「ロイド!」
研究員の一人が飛び込んでくる。
息を切らしていた。
「所長が呼んでいる!」
「何かあったんですか?」
「緊急案件だ!」
その表情は真剣だった。
ロイドはすぐに席を立つ。
研究所長室へ向かう途中も職員たちが慌ただしく動いている。
明らかに普通ではない。
そして部屋へ入った瞬間、その理由が分かった。
机の上に置かれた巨大な資料。
周囲を囲む上級配合士たち。
そして中央には一枚の魔導写真が置かれていた。
そこに映っていたのは――。
銀色の狼だった。
ただの狼ではない。
全身を覆う白銀の毛並み。
鋭い瞳。
周囲へ漂う強大な魔力。
ロイドは思わず息を呑む。
「白銀牙狼……」
魔界でも高位種として知られる希少魔獣だった。
滅多に捕獲できない。
市場に出れば莫大な価値を持つ存在である。
研究所長が静かに頷く。
「そうだ。」
「そして今回の案件は、この白銀牙狼を核とした新種配合計画だ。」
室内の空気が張り詰める。
新種配合。
配合士にとって最高峰の仕事である。
既存の配合ではない。
前例もない。
成功する保証もない。
しかし成功すれば歴史に名を残す。
それほどの大仕事だった。
「魔王軍からの依頼です。」
上級配合士の一人が説明を続ける。
「国境付近で活動する高位魔獣への対策戦力が必要になった。」
「そのため新しい戦闘用魔獣を開発したい。」
ロイドは資料へ目を通す。
候補となる素材。
属性構成。
予測能力。
どれも一流の配合士たちが考えたものだった。
普通なら感心する内容である。
だが。
数ページ読んだところで違和感を覚えた。
いや。
違和感どころではない。
観察眼が警鐘を鳴らしている。
「……危険です。」
ロイドが呟いた。
部屋が静まり返る。
グレインが眉をひそめる。
「何だと?」
ロイドは資料を見直す。
やはり間違いない。
候補に選ばれている魔獣たちの相性は悪くない。
むしろ良い方だ。
しかし中心となる白銀牙狼だけが問題だった。
「この個体。」
ロイドは写真を指差した。
「普通の白銀牙狼じゃありません。」
数名の上級配合士が顔を見合わせる。
何を言っているのか分からない。
そんな反応だった。
だがロイドには見えていた。
写真からでも分かる。
毛並みの状態。
瞳の色。
魔力の流れ。
そして過去の戦闘記録。
全てが一つの答えを示している。
「この個体は進化直前です。」
その一言で空気が変わった。
研究所長の表情が動く。
進化直前。
それが事実なら話は別だった。
魔獣は進化前後で性質が大きく変化する。
その状態で配合を行えば予測不能な結果を招く可能性がある。
「根拠は?」
研究所長が尋ねる。
ロイドは資料をめくる。
戦闘記録を開く。
そして一つずつ説明を始めた。
魔力総量の増加。
属性変化の兆候。
食事内容の変化。
縄張り行動の変化。
普通なら見逃すような細かな情報。
だが並べてみると明らかだった。
進化の前兆である。
説明が終わる頃には誰も口を挟まなくなっていた。
上級配合士たちも真剣な顔で資料を見直している。
そして。
最初に沈黙を破ったのは研究所長だった。
「確認を取れ。」
短い命令だった。
職員が慌てて部屋を飛び出していく。
数時間後。
返ってきた報告は全員の予想を超えていた。
白銀牙狼は本当に進化直前だった。
現地調査隊が追加検査を行った結果、数日以内に上位種へ進化する可能性が極めて高いと判明したのである。
もしそのまま配合を実行していたら。
数年単位の研究計画が崩壊していたかもしれない。
会議室に重い沈黙が流れる。
そして。
グレインだけが険しい表情でロイドを見つめていた。
周囲が評価すればするほど、彼の中の苛立ちは大きくなっていく。
一方で研究所長は静かに笑みを浮かべていた。
「面白い。」
その声には期待が込められていた。
失敗作と呼ばれていた若者。
しかし今や研究所の誰よりも重要な目を持っている。
そして帳簿が示した【大型案件】は、どうやらまだ始まったばかりだった。




