第66話 配合士と観察眼③
研究所長から渡された資料の束は、ロイドの机の半分を埋め尽くしていた。
一件や二件ではない。
研究所が現在進行形で進めている配合計画の大半がそこに含まれている。
若手配合士一人に任せる量ではなかった。
むしろ嫌がらせと言われても納得できるほどの量だった。
しかしロイドは文句を言わなかった。
資料を開き、一件目の配合計画へ目を通す。
火狼と岩蜥蜴の配合。
過去にも何度も行われている定番の組み合わせだ。
理論上の成功率は七十四%。
誰が見ても問題はない。
少なくとも以前のロイドならそう判断していただろう。
だが今は違う。
観察眼によって資料の見え方そのものが変化していた。
使用予定個体の記録を読む。
成長履歴。
戦闘記録。
摂取した餌。
魔力変動。
すると違和感が見えてくる。
火狼の一体が過去に氷属性攻撃を受け続けていた。
その影響で火属性器官が僅かに弱体化している。
普通なら無視される程度の差。
しかし配合では無視できない。
「成功率五十六%……」
ロイドは思わず呟いた。
資料の七十四%とは大きな差だった。
さらに別の案件を確認する。
こちらも同じだった。
一見すると完璧。
しかし細かく見ると危険要素が隠れている。
今まで気付かなかった情報が次々と見えてくる。
気付けば時間を忘れていた。
昼が過ぎる。
夕方になる。
周囲の配合士たちが帰り始めてもロイドだけは机に向かい続けた。
そして深夜。
最後の資料へ視線を落とした瞬間だった。
「終わった……」
思わず椅子へもたれかかる。
全六十八件。
成功予測。
失敗要因。
改善案。
全てを書き込んだ。
肉体よりも頭が疲れている。
観察眼は便利だ。
だが膨大な情報を処理する負担も大きい。
その時、研究所の扉が開いた。
入ってきたのは研究所長だった。
「まだ残っていたのか。」
「所長……。」
「終わったか?」
ロイドは資料の山を指差した。
研究所長は近づき、一枚ずつ確認を始める。
最初は軽い気持ちだった。
若手の意見を聞く程度。
そのつもりだった。
だが数分後。
研究所長の表情が変わる。
さらに数十分後。
今度は無言になった。
そして全てを読み終えた頃には完全に真顔になっていた。
「……誰に教わった。」
静かな声だった。
ロイドは首を傾げる。
「何をですか?」
「この分析だ。」
研究所長は資料を叩く。
「失敗要因の指摘も正確だ。」
「改善案も現実的だ。」
「しかも何件かは私も気付いていなかった。」
ロイド自身も驚いていた。
以前の自分なら絶対に書けなかった内容だからだ。
研究所長は腕を組み、深く考え込む。
長年配合士をやってきた経験から分かる。
これは偶然ではない。
六十八件全てで同じ精度なのだ。
何かが起きている。
間違いなく。
翌日。
研究所内は騒然となっていた。
理由は簡単だった。
ロイドが指摘した配合計画を再調査した結果、多数の問題点が見つかったのである。
中には事故寸前の案件まであった。
もし実行されていれば研究所に大きな損害が出ていた可能性もある。
「本当に全部当たってるぞ……」
「どうなってるんだ?」
「ロイドだろ?」
「失敗作の?」
職員たちが困惑している。
昨日まで馬鹿にしていた相手が、突然研究所で最も正確な分析を行っているのだ。
理解が追いつかないのも当然だった。
そんな中、一人だけ面白くなさそうな男がいた。
上級配合士のグレインである。
四十代。
研究所でも有力な配合士の一人。
実績も豊富。
若手からの信頼も厚い。
そして何より。
今までロイドを最も見下していた人物でもあった。
「偶然だろう。」
グレインは吐き捨てるように言う。
だが誰も同意しない。
一件や二件なら偶然だ。
しかし六十八件は偶然では済まない。
それが分かるからこそ周囲も反応に困っていた。
その日の午後。
研究所長は全職員を集めた。
広い会議室。
数十人の配合士が席に着く。
ロイドも最後列に座っていた。
そして研究所長は静かに告げた。
「今後、新規配合計画の一次審査をロイドへ任せる。」
室内が凍り付いた。
一瞬、誰も言葉を理解できなかった。
一次審査。
それは研究所の中でも重要な役職だった。
計画の危険性を確認し、実行可能か判断する仕事。
通常はベテラン配合士が担当する。
若手が任されることなどあり得ない。
ましてやロイドは昨日まで失敗作と呼ばれていたのだ。
「待ってください!」
真っ先に立ち上がったのはグレインだった。
「何故です!」
「彼は見習い同然ですよ!」
「そんな権限を与えるなど――」
研究所長は静かに遮った。
「結果を出したからだ。」
短い一言だった。
しかし重い。
「お前たちの誰よりも正確だった。」
「それが理由だ。」
反論できる者はいなかった。
会議室は静まり返る。
そして最後列に座るロイドだけが、自分の人生が大きく変わり始めていることを実感していた。
失敗作。
そう呼ばれ続けた日々。
だが今、その評価が少しずつ崩れ始めている。
一方その頃。
魔界スキル商店ではリリアが観測水晶を見ながら感心していた。
「すごいですね。」
「予想以上です。」
アルトも頷く。
観察眼の適性が高いとは思っていた。
だがここまで早く結果を出すとは予想していなかった。
帳簿には新たな文字が表示されている。
【契約者 ロイド】
【評価上昇】
【研究所内地位向上】
【観察眼 成長率上昇】
そして、その下にはさらに興味深い一文が浮かんでいた。
【大型案件接近】
【推定到着 三日以内】
アルトは少しだけ目を細めた。
帳簿がこういう表示を出す時は、大抵何か大きな出来事が起きる。
そしてその予感は、どうやら外れていないらしかった。




