第65話 配合士と観察眼②
魔界スキル商店を出た後も、ロイドはしばらく歩くことができなかった。
世界が変わっていたからだ。
正確には世界そのものが変化したわけではない。
変わったのは自分の認識だった。
今まで見えていた景色の中に、膨大な情報が隠されていたことを初めて理解したのである。
道端に生えている魔草。
今まではただの雑草にしか見えなかった。
しかし今は違う。
葉の色。
魔力の流れ。
成長状態。
土壌との相性。
微細な情報が自然と頭へ入ってくる。
「なんだこれ……」
ロイドは思わず立ち止まった。
混乱していた。
便利というより恐ろしい。
まるで今まで片目を閉じたまま生きていたような感覚だった。
視界に映る情報量が桁違いなのである。
その日は配合研究所へ戻るまで何度も立ち止まることになった。
そして翌日。
ロイドはいつものように研究所へ出勤していた。
魔王軍公認の配合研究施設。
数十人の配合士が所属している中規模の研究所である。
だが彼の立場は良くなかった。
実績がない。
成功例も少ない。
若手の中でも評価は低い。
そのため研究所内での扱いも決して良いとは言えなかった。
「おい、失敗作。」
朝から聞き慣れた声が飛んでくる。
振り返ると同僚の配合士たちが立っていた。
嘲笑を浮かべている。
ロイドは反論しない。
今まではそうだった。
しかし今日は少しだけ違った。
相手の腰に下げられた研究記録が見える。
そして何気なく視線を向けた瞬間、情報が流れ込んできた。
使用魔物。
配合履歴。
成功率。
研究内容。
「……あれ?」
ロイドは思わず声を漏らした。
おかしい。
記録と実際の素材が一致していない。
正確には一致しているように見えるが、一部の個体情報が欠落している。
今までなら気付かなかっただろう。
しかし観察眼を得た今は違う。
違和感がはっきり見える。
「どうした?」
同僚が眉をひそめる。
ロイドは少し迷った。
だが結局口を開いた。
「その配合。」
「次失敗するかもしれない。」
周囲が静まり返る。
次の瞬間。
大爆笑が起こった。
「は?」
「お前が言うのか?」
「失敗専門家が?」
「笑わせるなよ。」
いつも通りの反応だった。
ロイド自身も少し後悔した。
確かに自分が言っても説得力はない。
だが違和感は消えない。
素材となる魔狼の魔力循環が不安定なのだ。
この状態で配合すれば暴走する可能性が高い。
「忠告したからな。」
それだけ言って席へ戻る。
背後では笑い声が続いていた。
昼過ぎ。
研究所の奥から爆発音が響いた。
建物全体が揺れる。
悲鳴が上がる。
職員たちが慌てて駆け出した。
ロイドも反射的に立ち上がる。
そして現場へ向かった。
そこには黒煙が上がっていた。
配合室の一つが半壊している。
幸い死者はいない。
だが実験は完全に失敗だった。
「なんでだ!」
研究員が叫ぶ。
「理論上は成功するはずだった!」
ロイドは壊れた配合槽を見る。
やはりだった。
素材の一体が不安定だったのである。
その影響で魔力バランスが崩壊した。
「……嘘だろ。」
同僚の一人が呟く。
朝の会話を思い出したらしい。
ロイドも驚いていた。
予想はしていた。
だが本当に当たるとは思わなかった。
観察眼の精度は予想以上だったのである。
その日の夕方。
研究所長室へ呼び出しを受けた。
正直、怒られると思った。
余計なことを言ったのだから当然だろう。
しかし部屋へ入った瞬間、予想は外れる。
そこには研究所長だけでなく、数名の上級配合士まで集まっていた。
全員がロイドを見ている。
重苦しい空気だった。
「ロイド。」
研究所長が口を開く。
「なぜ失敗を予測できた?」
直球だった。
ロイドは少し考える。
魔界スキル商店のことは話せない。
契約内容でもある。
だから嘘はつかず、しかし真実も隠すことにした。
「観察です。」
「観察?」
「素材を見ました。」
上級配合士たちが顔を見合わせる。
「それだけで分かったのか?」
「はい。」
信じられないという表情だった。
だがロイド自身も昨日までは信じなかっただろう。
だから責める気にはなれない。
しばらく沈黙が流れる。
やがて研究所長が立ち上がった。
そして机の奥から資料を取り出す。
分厚い。
かなりの量だった。
「なら試してみろ。」
ロイドは資料を受け取る。
中には数十件の配合計画がまとめられていた。
まだ実行前の案件ばかりである。
「全部ですか?」
「全部だ。」
研究所長は真剣だった。
「成功するもの。」
「失敗するもの。」
「危険なもの。」
「改善できるもの。」
「お前の意見を書け。」
ロイドは資料を見下ろした。
膨大な量だった。
今までの自分なら逃げ出していたかもしれない。
だが今は違う。
不思議と胸が高鳴っていた。
観察眼を得て初めての本格的な挑戦。
そして。
自分が本当に変われるのか試される最初の機会だった。
その頃、魔界スキル商店では観測水晶が淡く光っていた。
映像の中には大量の資料と格闘するロイドの姿が映っている。
リリアは感心したように頷いた。
「早速大変そうですね。」
「そうですね。」
アルトも映像を見ながら小さく笑う。
帳簿には新しい文字が浮かんでいた。
【観察眼】
【適応率上昇】
【解析速度向上】
【成長を確認】
まだ始まったばかりだった。
だがロイドは確実に前へ進み始めている。
そして配合士としての人生も、ようやく本当の意味で動き始めようとしていた。




