第50話 補佐妖精と並列思考③
リリアが魔界スキル商店へ向かったのは、それから二日後のことだった。
出向申請。
許可手続き。
業務引き継ぎ。
様々な手続きを終え、ようやく自由の身になったのである。
もっとも、同僚たちは複雑な表情をしていた。
「本当に行くのか?」
「行きます」
「危険かもしれないぞ?」
「面白そうです」
「理由になってない」
そんな会話を何度も繰り返した。
だが誰も本気では止めなかった。
リリアが退屈していることは皆知っている。
そして一度興味を持ったら止まらないことも知っていた。
むしろ最近は仕事が早すぎて周囲の仕事まで奪い始めていたため、一部の文官は少しだけほっとしていた。
本人には内緒だったが。
そんな事情もあり、リリアは上機嫌で魔界を歩いていた。
荷物は少ない。
着替え。
筆記用具。
資料整理用の魔導具。
そして大量のメモ帳。
補佐妖精にとってメモ帳は武器のようなものだった。
思考を書き留める。
整理する。
分析する。
そのための必需品である。
「楽しみですねぇ」
独り言を呟く。
実際かなり楽しみだった。
世界を変える力を売る店。
そんなものが存在するなら、興味を持たない方がおかしい。
しかも今回は客としてだけではない。
将来的には働く可能性もある。
そう考えると自然と足取りも軽くなった。
数時間後。
セレナから聞いていた場所へ辿り着く。
普通なら見逃してしまいそうな場所だった。
だが補佐妖精の観察力は高い。
空間の違和感。
魔力の流れ。
周囲との不自然な境界。
それらを分析した結果、隠された店へ無事到着した。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。
決して豪華な建物ではない。
しかし不思議な存在感があった。
まるで何百年も前からそこにあったような。
あるいは昨日建てられたばかりのような。
そんな奇妙な感覚だった。
リリアは迷わず扉を開いた。
店内に鈴の音が響く。
そして。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声が返ってきた。
アルトだった。
報告書で読んだ通りの人物。
優しそうな商人にしか見えない。
だからこそ逆に怪しい。
リリアはそんなことを考えながら店内を見渡した。
棚。
商品。
結晶。
帳簿。
内装。
情報が一気に頭へ流れ込む。
そして無意識に分析が始まる。
建材の種類。
商品の配置。
導線設計。
来客対応。
防犯対策。
利益率。
在庫管理。
思考が同時進行で走り出した。
「……」
アルトが黙る。
「……」
リリアも黙る。
数秒。
沈黙が続く。
そして。
「何か考えていましたか?」
アルトが尋ねた。
「店内改善案を三十七個ほど」
「まだ入店して一分も経ってませんよね?」
「はい」
「早いですね」
「よく言われます」
二人は少しだけ笑った。
会話のテンポが妙に合う。
リリア自身もそれを感じていた。
少なくとも話しにくい相手ではない。
それだけで安心できた。
やがてアルトが席を勧める。
リリアは椅子へ座った。
そして本題へ入る。
「スキルを購入したいです」
「承知しました」
アルトは静かに帳簿を開く。
ページが淡く光る。
そして一つの商品名が浮かび上がった。
【並列思考】
リリアは目を瞬かせた。
「そのままですね」
「非常に適性が高いですね」
アルトも苦笑する。
確かにその通りだった。
補佐妖精は元々複数の思考を同時に処理できる種族である。
しかしこのスキルはさらにその先だった。
「説明を聞いても?」
「もちろんです」
アルトは商品を取り出した。
青白い結晶だった。
静かな光を放っている。
「このスキルは思考を分割します」
「分割?」
「最大で五つの思考を完全独立で同時進行できます」
リリアは固まった。
補佐妖精でも複数思考は可能だ。
だが完全独立ではない。
どうしても処理能力の取り合いになる。
しかし独立なら話は別だった。
一つの頭脳を五人分として扱える。
そんなものだった。
「それは反則では?」
「購入者の多くが同じことを言います」
アルトが答える。
リリアは真剣な顔で結晶を見る。
欲しい。
非常に欲しい。
久しぶりに心の底からそう思った。
研究にも使える。
仕事にも使える。
学習にも使える。
あらゆる分野で役立つ。
まさに補佐妖精のためのスキルだった。
「代価は?」
リリアが尋ねる。
アルトは帳簿を確認する。
そして少しだけ意外そうな顔をした。
「集中力です」
「え?」
「集中力をいただきます」
リリアは首を傾げた。
意味が分からない。
「失うのですか?」
「一部です」
アルトは説明する。
「一つのことだけに集中する能力が下がります」
その瞬間。
リリアは天井を見上げた。
元々苦手だった。
一つだけに集中することが。
仕事をしていても他のことを考える。
読書をしながら分析する。
食事中に研究する。
そんな性格だった。
「ほぼノーダメージでは?」
思わず呟く。
「そうかもしれません」
アルトも否定しなかった。
適性商品では時々こういうことが起きる。
代価が本人にとって軽い。
だからこそ相性が良い。
「料金は?」
「金貨一万二千枚です」
安くはない。
だが払える。
そして価値を考えれば安い。
リリアは即決した。
「買います」
迷いはなかった。
契約書へ署名する。
代価。
料金。
契約成立。
結晶が光る。
青白い光が体へ流れ込んだ。
その瞬間。
世界が変わった。
いや。
正確には思考が変わった。
頭の中で五つの意識が生まれる。
一つは会話。
一つは分析。
一つは観察。
一つは記憶整理。
一つは未来予測。
それらが同時に動き始める。
「……」
リリアは静かに目を閉じた。
凄い。
本当に凄い。
これは革命だ。
補佐妖精にとって夢のような能力だった。
そして。
新しく生まれた思考の一つが即座に結論を出した。
この店で働きたい。
非常に働きたい。
むしろ今すぐ働きたい。
その結論に残り四つの思考も全会一致で賛成した。
リリアは目を開く。
そしてアルトを見た。
「質問があります」
「何でしょう?」
「従業員募集してますか?」
アルトは数秒沈黙した。
その後。
小さく笑った。
魔界スキル商店にとって。
初めての従業員候補が、ついに現れた瞬間だった。




