第5話 サキュバスと魅了③
翌朝。
リリアは鏡の前に立っていた。
正確には鏡ではない。
あの店で代金として渡してしまったため、今は磨いた金属板を代わりに使っている。
ぼんやりと映る自分の顔を見つめる。
魅了を手に入れてから一か月。
人生は確かに変わった。
店は繁盛している。
友人も増えた。
収入も増えた。
昔の自分が見たら夢のような生活だろう。
それなのに。
胸の奥に残る違和感だけは消えなかった。
「私は何が欲しかったんだろう……」
答えはまだ見つからない。
◆
その日。
店の開店準備をしていると、一人の若い男性客がやってきた。
オーガだった。
リリアに最初に食事へ誘ってきた相手でもある。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日も綺麗だね」
オーガは笑顔で言った。
リリアも笑顔を返す。
以前なら嬉しかった言葉。
だが今は少し違う。
「ありがとうございます」
「ところで服の修理でしたっけ?」
「いや、それは別に急いでないんだ」
オーガは照れたように頭をかく。
「今日はリリアに会いに来た」
リリアは黙る。
オーガは良い人だ。
優しい。
悪意もない。
だが。
「私のどこが好きなんですか?」
思わず聞いていた。
オーガは一瞬固まった。
「え?」
「私のこと、何を知っていますか?」
困った顔になる。
答えられない。
しばらく沈黙が続いた。
やがてオーガは苦笑する。
「その……優しいし」
「綺麗だし」
「人気者だし」
どれも曖昧だった。
リリアは静かに頷く。
やはりそうだった。
◆
その日の夜。
店を閉めた後、リリアは街を歩いていた。
考え事をしながら。
気付けば職人街へ来ていた。
そこで見覚えのある姿を見つける。
ドワーフの鍛冶師だった。
以前、服を修理した客。
無口だが仕事を褒めてくれた相手だ。
「こんばんは」
声を掛ける。
ドワーフは振り返った。
「おう」
相変わらず短い返事。
「こんな時間まで仕事ですか?」
「ああ」
ドワーフは工房を指差した。
中には武器や防具が並んでいる。
どれも使い込まれたものばかりだ。
「新作ですか?」
「修理だ」
「修理?」
意外だった。
鍛冶師なら新しい武器を作る方が儲かるはずだ。
だがドワーフは首を振る。
「長く使った武器には思い出がある」
「だから直す」
当たり前のように言った。
リリアは少し考える。
自分も似ている。
新品の服を作るのも好きだ。
だが誰かが大切にしている服を直すのも好きだった。
「あなたは裁縫が好きなんだろ」
突然言われた。
リリアは目を瞬かせる。
「え?」
「前に話してたじゃねぇか」
覚えていた。
酒場で会う誰も覚えていなかった話を。
このドワーフだけが覚えていた。
「仕事の話になると顔が変わる」
「職人向きだな」
ぶっきらぼうに言う。
リリアは思わず笑った。
自然な笑顔だった。
最近では珍しいくらい。
◆
帰宅した後も、その言葉が頭から離れなかった。
職人向き。
裁縫が好き。
仕事の話になると顔が変わる。
誰かにそんな風に言われたのは初めてだった。
ふと思う。
最近、自分に近づいてきた人たちは。
皆、自分の見た目や雰囲気の話をする。
だがドワーフだけは違った。
裁縫師として見てくれた。
リリア自身を見てくれた。
◆
翌日。
店は今日も忙しかった。
客が来る。
褒められる。
笑顔を向けられる。
だが今までとは少しだけ見え方が違う。
魅了によって生まれた好意。
それは確かに存在する。
けれど。
その中には本物も混ざっている。
常連客。
仕事を評価してくれる人。
服を気に入ってくれる人。
それらまで全部偽物ではない。
「そうか……」
リリアはようやく気付き始めていた。
魅了はきっかけに過ぎない。
問題はその先だ。
魅了で人を集めることはできる。
だが。
その人たちに好きになってもらう理由までは作れない。
◆
閉店後。
リリアは引き出しから帳簿を取り出した。
そして新しい紙を広げる。
店の計画書だ。
もっと良い服を作ろう。
もっと技術を磨こう。
もっと自分の仕事を好きになろう。
魅了に頼るだけではなく。
裁縫師リリアとして。
誰かに認められるために。
ペンを走らせながら、自然と笑みが浮かぶ。
不思議だった。
魅了を手に入れた日よりも。
今の方がずっと前向きな気持ちだった。
そして心の中で決める。
近いうちに、あの店へ行こう。
魔界スキル商店へ。
店主に伝えたいことがある。
願いを叶えたその先で。
自分が見つけた答えを。




