第4話 サキュバスと魅了②
「おはよう、リリア!」
翌朝。
仕事場へ向かう途中だったリリアは、思わず振り返った。
声を掛けてきたのは近所に住むコボルトの女性だった。
今まで挨拶を交わしたことすらない相手だ。
「お、おはようございます」
ぎこちなく返事をすると、相手はにっこりと笑った。
「今度うちの店にも来てね」
そう言って手を振りながら去っていく。
リリアは呆然と立ち尽くした。
何だろう。
昨日から周囲の反応が違う。
まるで世界そのものが少しだけ優しくなったようだった。
「これが……魅了」
胸の奥が温かくなる。
嬉しかった。
ずっと欲しかったものを手に入れた気がした。
◆
その日。
リリアの営む小さな裁縫店には、普段の三倍近い客が訪れた。
「この服、直せる?」
「こっちもお願いしたいんだけど」
「リリアさんなら安心だな」
次々と依頼が入る。
これまでは一日中待っても客が来ないこともあった。
それが今日は違う。
忙しい。
大変だ。
だが楽しかった。
昼過ぎ。
ふと気付くと、店の前に長い列ができていた。
「嘘でしょ……」
思わず呟く。
夢みたいだった。
◆
それから数週間。
リリアの生活は大きく変わった。
仕事は順調。
収入も増えた。
友人もできた。
食事に誘われることも多くなった。
以前なら考えられないほど充実していた。
ある日。
酒場に入ると、見知ったサキュバスたちが声を掛けてくる。
「あっ、リリア!」
「こっちこっち!」
以前、自分を笑っていた相手たちだった。
だが今は違う。
席まで用意されている。
話題の中心にも入れてくれる。
リリアは嬉しかった。
本当に嬉しかった。
ようやく認められた気がした。
◆
しかし。
違和感が生まれたのは、その頃からだった。
「リリアって趣味あるの?」
食事中、一人が尋ねた。
「裁縫かな」
リリアは笑う。
「服を作るのが好きで――」
「へぇ!」
話を続けようとした時だった。
「そういえば昨日さ!」
別のサキュバスが話を遮る。
そのまま別の話題へ移ってしまった。
リリアは少しだけ首を傾げた。
だが気にしなかった。
そんなこともある。
◆
数日後。
今度は常連客との会話だった。
「リリアさんって何が好きなんですか?」
若いオーガが尋ねる。
「あ、私は――」
答えようとした瞬間。
「やっぱりその笑顔が素敵ですよね!」
話が変わる。
まただった。
◆
さらに別の日。
新しくできた友人たちと食事をしていた時。
リリアは思い切って相談してみた。
「実は最近、仕事のことで悩んでいて……」
皆がこちらを見る。
聞いてくれる。
そう思った。
だが。
「そんなことより、今度みんなで遊びに行こうよ!」
「賛成!」
「それ楽しそう!」
話は終わった。
誰も相談の内容を聞かなかった。
リリアは黙る。
笑顔を作る。
しかし胸の奥が少しだけ痛んだ。
◆
その日の夜。
一人で店の掃除をしていた。
賑やかな昼間とは違い、店内は静かだ。
椅子に腰掛ける。
ふと気付く。
最近、自分の話を聞いてもらった記憶がない。
皆優しい。
皆笑顔だ。
皆好意的だ。
なのに。
誰も自分自身には興味がない。
そんな感覚があった。
「気のせい……かな」
そう呟く。
だが違和感は消えない。
◆
翌日。
店には常連のドワーフが来ていた。
無口だが腕の良い鍛冶師だ。
服の修理を頼まれていた。
「できました」
リリアが服を渡す。
ドワーフは確認すると満足そうに頷いた。
「相変わらず良い仕事だ」
「ありがとうございます」
「丁寧だし長持ちする」
短い言葉だった。
だが。
その瞬間。
リリアは少し驚いた。
この人は。
自分の仕事を見てくれている。
笑顔ではなく。
魅力でもなく。
裁縫師として。
「どうした?」
「い、いえ」
リリアは慌てて首を振った。
だが胸の奥で何かが引っかかる。
◆
その夜。
寝る前に考える。
魅了を手に入れてから。
確かに人生は変わった。
だが。
今、自分の周りにいる人たちは。
本当に自分を見ているのだろうか。
それとも。
スキルによって作られた好意を見ているだけなのだろうか。
アルトの言葉が頭をよぎる。
――願いを叶えることと、幸せになることは同じではありません。
あの時は意味が分からなかった。
だが今なら少しだけ分かる気がする。
リリアは窓の外を見た。
赤黒い月が静かに輝いている。
「私が欲しかったものって……何だったんだろう」
その答えはまだ見つからない。
だが確かに。
彼女は願いの先にある本当の問題へ足を踏み入れ始めていた。




