第47話 魔王軍幹部と可能性②
店内には静かな空気が流れていた。
テーブルの上には銀色の結晶。
その中に浮かぶ文字。
【可能性】
セレナはそれを見つめながら考えていた。
強さではない。
権力でもない。
富でもない。
そんな商品を自分が欲しいと思う日が来るとは思わなかった。
しかし不思議と惹かれる。
理由は簡単だった。
この商品だけが、今の自分に足りないものを指摘していたからだ。
◆
長い人生だった。
魔王軍へ入隊した頃は平凡な兵士だった。
才能はあった。
努力もした。
だが当時は今ほど特別な存在ではない。
失敗も多かった。
任務で迷惑をかけたこともある。
上官に怒鳴られたこともある。
作戦を失敗させて落ち込んだこともある。
それでも毎日が楽しかった。
明日はもっと上手くやれる。
来年はもっと強くなれる。
そんな期待があった。
だが今はどうだろう。
幹部として成功している。
誰もが羨む地位にいる。
それなのに胸の奥は満たされていない。
未来が見えているからだ。
このまま仕事を続ける。
功績を積む。
さらに評価される。
それは悪い未来ではない。
だが驚きもない。
「お客様は優秀な方です」
アルトが静かに言った。
「そうでしょうか」
「少なくとも周囲はそう評価しています」
セレナは苦笑した。
否定できない。
実際に高く評価されている。
だが。
だからこそ窮屈だった。
◆
「優秀な者ほど可能性を失います」
アルトは続ける。
「失敗しなくなるからです」
その言葉にセレナは目を細めた。
「失敗しないことは良いことでは?」
「もちろん良いことです」
アルトは頷く。
「ですが失敗しない人間は挑戦もしなくなります」
セレナは言葉を失う。
図星だった。
新しい魔法を研究していない。
未知の土地へ行っていない。
無茶な挑戦をしていない。
全て合理的な判断だ。
しかし。
その結果として人生が固定されている。
「可能性は才能ではありません」
アルトは結晶を見ながら言う。
「未来を選ぶ権利です」
◆
その言葉が妙に心に残った。
◆
長い沈黙の後。
セレナはゆっくりと結晶へ手を伸ばした。
「購入します」
◆
アルトは小さく頷いた。
契約書が用意される。
代価。
金額。
契約内容。
一つずつ確認する。
問題はない。
◆
金貨五万枚。
そして代価は諦め。
◆
署名が終わった瞬間。
銀色の結晶が光を放った。
優しい光だった。
激しい変化ではない。
体が強くなる感覚もない。
魔力が増える感覚もない。
しかし確かに何かが変わる。
胸の奥に積もっていた重い霧。
それが少しずつ晴れていく。
諦め。
仕方ないという感情。
もう遅いという思い込み。
立場があるから無理だという自己制限。
そういったものが静かに消えていく。
すると。
忘れていた記憶が浮かび上がった。
若い頃の夢だった。
魔界各地を旅したい。
古代遺跡を巡りたい。
未知の魔法を研究したい。
世界を見て回りたい。
◆
いつの間にか捨てていた夢。
正確には。
捨てたと思い込んでいた夢だった。
「なるほど」
セレナは思わず笑った。
「これは確かに面倒ですね」
アルトも小さく笑う。
「お客様の場合、かなり効果が出ています」
「そうみたいですね」
◆
その後。
二人はしばらく雑談を続けた。
魔界の情勢。
最近の流行。
各地の噂話。
特別な話ではない。
だが久しぶりに肩の力を抜いて会話できた気がした。
そんな中で、セレナは一つのことに気付く。
広い店内。
大量の商品。
契約管理。
売上管理。
会計。
清掃。
接客。
全てアルト一人で行っている。
「大変ではありませんか?」
思わず尋ねた。
◆
アルトは少し考える。
「忙しい時はあります」
◆
それだけだった。
◆
セレナは周囲を見る。
整理整頓は完璧だった。
しかし人手不足なのは明らかだった。
◆
「従業員は?」
「いません」
即答だった。
「募集は?」
「したことはありません」
◆
セレナは少し驚く。
「なぜです?」
「信頼できる人材が見つからないので」
その答えは理解できた。
この店には秘密が多い。
普通の店員では務まらないだろう。
そこで、ふと一つの案が浮かぶ。
◆
魔王軍として監視したい。
同時に関係も築きたい。
そして店側も人手を求めている。
◆
条件は揃っていた。
◆
「一人、心当たりがあります」
アルトが首を傾げる。
「補佐妖精です」
セレナは続けた。
「事務処理が得意で、情報整理能力も高い種族です」
「戦闘能力は高くありませんが、補助能力は優秀です」
アルトは興味深そうに話を聞いていた。
◆
「もっとも」
セレナは少し笑う。
「本人が納得すればの話ですが」
アルトも笑う。
「面接が必要ですね」
こうして契約は終わった。
しかし。
セレナ自身もまだ理解していなかった。
今日の契約で得た【可能性】が。
自分だけではなく。
魔界スキル商店の未来まで動かし始めていることを。
そして。
後にアルトの最初の従業員となる補佐妖精が、まさにこの瞬間も魔王城のどこかで退屈そうに書類整理をしていることを。




