第45話 魔王軍幹部と観察③
魔王城の朝は早い。
まだ日が昇り切る前から、多くの魔族たちが働き始める。
兵士たちは訓練を行い、文官たちは書類を整理し、各地から届く報告が本部へ集まる。
その中心にいるのが魔王軍幹部たちだった。
セレナもまた、その一人として朝から執務室に座っていた。
机の上には大量の書類が積み上がっている。
北部防衛線の補給計画。
南方地域の治安報告。
魔獣被害の統計資料。
人材配置の再編案。
どれも重要な案件ばかりだった。
一つずつ確認し、判断を下し、必要なら修正指示を出す。
その作業は正確だった。
速かった。
そして何より無駄がなかった。
だからこそ周囲から高く評価されている。
魔王軍幹部セレナ。
優秀。
冷静。
公平。
失敗が少ない。
誰もがそう評価する。
しかし本人は知っていた。
それは褒め言葉であると同時に、停滞の証でもあることを。
◆
昼過ぎ。
一通りの業務を終えたセレナは、窓の外へ目を向けた。
城下町が見える。
多くの魔族が生活している。
商人が商品を売る。
職人が道具を作る。
冒険者が依頼を受ける。
ありふれた日常。
平和な光景だった。
それは本来、彼女が守ろうとしているものでもある。
だが。
最近はその光景を見ても心が動かなかった。
昔なら違った。
魔王軍へ入った頃。
全てが新鮮だった。
任務も。
責任も。
仲間も。
未知ばかりだった。
だから必死になれた。
失敗もした。
怒られもした。
それでも楽しかった。
成長している実感があったからだ。
◆
「人は変わるものですね」
誰もいない部屋で呟く。
今では多くの部下がいる。
権限もある。
信頼もある。
だが、その代わりに失ったものもある気がしていた。
挑戦する機会。
未知への好奇心。
失敗する自由。
そういったものだ。
◆
その日の夕方。
セレナは城の図書館を訪れていた。
巨大な施設だった。
古代魔法。
歴史書。
戦術理論。
魔界中から集められた知識が保管されている。
若い頃はよく利用していた場所だった。
だが最近はほとんど来ていない。
必要な知識は既に身につけている。
新しく学ぶことも少なくなった。
そう思っていた。
◆
何気なく本棚を眺める。
すると、一冊の古い本が目に入った。
魔王軍創設期の記録だった。
興味を引かれ、手に取る。
そして読み始める。
そこには初代幹部たちの記録が残されていた。
◆
驚いた。
今では伝説として語られる人物たちが、若い頃は失敗ばかりしていたのだ。
補給線を間違える。
作戦に失敗する。
交渉を失敗する。
部下に逃げられる。
今の魔王軍なら考えられないような失態が並んでいる。
しかし。
同時に感じた。
彼らは生きていた。
必死だった。
失敗しながら前へ進んでいた。
◆
セレナは本を閉じた。
胸の奥が少しだけ痛む。
いつからだろう。
失敗しないことばかり考えるようになったのは。
幹部だから。
責任者だから。
立場があるから。
そうやって自分を縛ってきた。
◆
図書館を出る頃には夜になっていた。
帰り道。
ふとガルムの報告書を思い出す。
魔界スキル商店。
そして店主アルト。
あの男なら何と言うだろう。
今の自分を見て。
◆
翌日。
セレナは珍しく休暇を申請した。
周囲は驚いた。
幹部が自ら休暇を取ることは少ない。
ましてやセレナほど真面目な人物ならなおさらだった。
「体調でも悪いのですか?」
部下が心配そうに聞く。
「いいえ」
セレナは笑う。
「少し考え事をしたいだけです」
◆
休暇初日。
彼女は一人で城下町を歩いていた。
変装もしている。
幹部だと気付かれないように。
久しぶりだった。
任務でも仕事でもない外出は。
市場を歩く。
商人の声が聞こえる。
子供たちが走り回る。
露店では珍しい果物が売られている。
どこにでもある光景。
なのに。
少しだけ新鮮だった。
◆
歩きながら考える。
自分は何を求めているのだろう。
強さではない。
権力でもない。
金でもない。
それらは既に持っている。
では何か。
答えはまだ見つからない。
だが。
一つだけ確かなことがあった。
今のままでは駄目だということだ。
◆
その夜。
宿に戻ったセレナは決意する。
行こう。
一度だけでも。
魔界スキル商店へ。
客として。
幹部としてではなく。
一人の魔族として。
◆
同じ頃。
魔界スキル商店。
アルトは契約帳簿を見つめていた。
ページが淡く光る。
【魔王軍幹部 セレナ】
状態:来店決意
到達確率:100%
◆
そして。
これまで空白だった商品欄に、ついに文字が浮かび上がる。
【適性商品確定】
アルトは目を細めた。
珍しい。
本当に珍しい商品だった。
◆
浮かび上がった文字。
それは。
【可能性】
◆
アルトは小さく息を吐いた。
「なるほど」
確かに彼女らしい。
力を求めているわけではない。
才能を求めているわけでもない。
彼女が失ったのは未来への期待だった。
だから。
必要なのは強さではない。
再び前へ進むための力。
◆
翌朝。
セレナは旅支度を整えていた。
魔王軍幹部としてではなく。
一人の客として。
魔界スキル商店へ向かうために。
そして。
その選択が。
後にアルトの店へ大きな変化をもたらすことになるとは、まだ誰も知らなかった。




