第44話 魔王軍幹部と観察②
魔王城での業務を終えたセレナは、自室の窓から夜の魔界を眺めていた。
赤黒い月が空に浮かび、その光が城下町を静かに照らしている。
昼間は無数の魔族で賑わう街も、この時間になると落ち着きを取り戻していた。
だが、セレナの心は妙に落ち着かなかった。
原因は分かっている。
机の上に置かれた一冊の報告書。
ガルムが提出した魔界スキル商店の調査記録だった。
普通なら読み終えた時点で終わる案件だ。
危険性を評価し、必要なら監視を続ける。
それだけの話だった。
しかし、なぜか気になって仕方がない。
書類を閉じても思い出す。
訓練をしていても思い出す。
食事中でさえ頭の片隅に残り続ける。
まるで心のどこかが引っ掛かっているようだった。
「私らしくありませんね」
小さく苦笑する。
魔王軍幹部という立場になってから何百年も経つ。
好奇心で動くことなどほとんどなかった。
必要だから動く。
利益になるから動く。
合理的だから動く。
それが当たり前になっていた。
だが今回だけは違う。
理屈ではなく興味だった。
それが余計に気持ち悪かった。
翌日。
セレナは魔王軍本部の会議へ出席していた。
各地の防衛状況。
人間界との国境監視。
補給線の管理。
重要案件が次々と報告される。
誰もが真剣だった。
もちろんセレナもだ。
だが会議の途中、ある若い将校が口にした言葉が妙に耳に残った。
「最近は何をしても代わり映えしませんね」
周囲は苦笑した。
平和だからだ。
大きな戦争もない。
大規模侵攻もない。
魔界全体が安定している。
本来なら喜ぶべき状況だった。
しかし、その言葉がなぜか胸に刺さる。
代わり映えしない。
それはまるで自分自身のことだった。
会議終了後。
セレナは一人で訓練場へ向かった。
巨大な訓練施設には多くの兵士が集まっている。
魔法訓練。
剣術訓練。
模擬戦。
様々な訓練が行われていた。
彼女は訓練用の剣を手に取る。
そして模擬戦を開始した。
相手は精鋭部隊の隊長。
普通なら圧倒できる相手ではない。
しかし結果はあっけなかった。
数分後には勝負が決まる。
続いて二人。
さらに三人。
全員に勝利する。
周囲から歓声が上がる。
「さすがセレナ様だ」
「やっぱり強いな」
「幹部は格が違う」
そんな声が聞こえる。
だが本人は少しも嬉しくなかった。
勝つことが当然になっている。
驚きも発見もない。
ただ結果だけが積み重なっていく。
訓練を終えたセレナは椅子に腰掛けた。
汗を拭きながら空を見上げる。
昔は違った。
強くなることが楽しかった。
新しい魔法を覚えるだけで嬉しかった。
難しい任務に挑むだけで胸が高鳴った。
だが今はどうだろう。
成功しても予想通り。
失敗しても想定内。
人生が完成しすぎている。
「贅沢な悩みですね」
そう呟くが、空しさは消えなかった。
その日の夜。
魔王城の執務室にガルムが呼ばれていた。
「報告を聞かせてください」
セレナが言う。
ガルムは簡潔に説明した。
店の場所。
店主アルト。
商品の存在。
そして実際に見たスキル。
セレナは静かに耳を傾ける。
「危険性は?」
「現状では低いと思われます」
「理由は?」
「商売だからです」
ガルムは真顔で答えた。
セレナは思わず笑いそうになった。
だが次の言葉で真顔に戻る。
「ただし、商品は本物です」
「本物?」
「はい」
ガルムは続ける。
「代価を支払い、力を得る」
「そして料金も支払います」
「料金?」
「当然です」
ガルムは頷いた。
「客は代価だけでなく金銭も支払っています」
「店主は慈善事業ではなく商売としてやっています」
その言葉を聞いた瞬間。
セレナの中で何かが妙に納得した。
だからこそ信用できるのかもしれない。
無償で力を与える者は危険だ。
必ず裏がある。
だが対価と金を要求する商人なら話は別だった。
利益を求めるからこそ行動原理が分かりやすい。
「変わった店ですね」
「同感です」
ガルムも珍しく苦笑した。
話が終わり、ガルムが退室する。
セレナは再び一人になった。
そして無意識に呟く。
「もし私が客なら」
どんな商品を勧められるのだろう。
強さではない気がする。
権力でもない。
財産でもない。
なら何だろうか。
答えは分からない。
だからこそ知りたくなる。
その頃。
魔界スキル商店では、アルトが一日の売上帳簿を確認していた。
契約金。
商品代金。
設備維持費。
仕入れ記録。
商人として当然の業務だ。
スキルを売る店であっても商売は商売である。
利益がなければ店は続かない。
アルトは帳簿を閉じると、契約帳簿へ視線を移した。
そこには新しい変化が記されていた。
【魔王軍幹部 セレナ】
状態:来店準備段階
到達確率:91%
さらにその下。
【適性商品候補】
【保留】
【再選定中】
アルトは珍しく首を傾げた。
セレナに合う商品がなかなか決まらない。
それは彼女が単純な願いを持つ客ではない証拠だった。
力が欲しいわけではない。
地位が欲しいわけでもない。
もっと別の何か。
本人ですら言葉にできていない願いがある。
だから帳簿も迷っている。
「さて」
アルトは静かに笑った。
「どんな商品になるのでしょうか」
魔王軍幹部セレナ。
彼女の来店は、これまでの客とは少し違うものになりそうだった。




