第34話 上級魔族と進化②
魔界スキル商店。
静かな店内に、ヴァルドの声だけが響いていた。
「……代価を払えば、本当に進化できるのか?」
アルトは頷く。
「はい」
迷いのない返答だった。
「ただし、勘違いしないでください」
アルトは結晶を手に取る。
「このスキルは、強い力を与えるものではありません」
ヴァルドは眉をひそめる。
「違うのか?」
「はい」
アルトは続ける。
「現在の能力を十倍にするようなものではありません」
「お客様自身が持つ可能性を、新しい形へ変化させるものです」
ヴァルドは黙って結晶を見る。
【進化】
その言葉は簡単だった。
しかし。
込められた意味は大きい。
今の自分では届かない場所へ行く。
それは。
彼がずっと求めていたものだった。
◆
「代価を決めましょう」
アルトが言う。
ヴァルドは静かに息を吐いた。
分かっていた。
この店の商品が。
普通の商売ではないことを。
金だけで買えるなら。
誰も苦労しない。
「俺が最も価値を感じているもの……か」
ヴァルドは目を閉じる。
頭に浮かぶものはいくつもあった。
名門一族の誇り。
周囲からの期待。
自分が積み重ねてきた努力。
そして。
兄の存在。
◆
幼い頃。
兄はヴァルドにとって憧れだった。
何でもできる存在。
自分が追いかける背中。
兄がいたから。
努力する意味を知った。
兄がいたから。
強くなりたいと思った。
もし。
兄への憧れを失ったら。
自分は何を目指せばいいのか。
ヴァルドは考える。
そして。
あることに気付く。
自分は今まで。
兄を超えるために戦ってきた。
しかし。
本当に欲しかったものは。
兄を超えたという結果ではない。
「……」
ヴァルドはゆっくり目を開ける。
「決めた」
アルトを見る。
「俺が払うものは」
一瞬。
言葉が止まる。
「兄への執着だ」
◆
アルトは少し驚いた。
「それでよろしいのですか?」
ヴァルドは頷く。
「ああ」
「俺はずっと兄を追いかけていた」
「兄を超えることだけを考えていた」
拳を握る。
「だが、それでは駄目なんだ」
「兄の背中を追うだけでは、兄を超えることはできない」
静かな決意。
「俺は俺自身の力で進まなければならない」
アルトはヴァルドを見る。
そして。
一つ頷いた。
「承知しました」
◆
契約が始まる。
金貨百枚。
そして。
兄への執着。
二つの代価が結晶へ吸い込まれていく。
淡い光が店内を包む。
ヴァルドは目を閉じる。
何かを失う感覚。
しかし。
苦しくはなかった。
むしろ。
長年背負っていた荷物を下ろしたような感覚だった。
◆
気付くと。
店内は元の静けさを取り戻していた。
ヴァルドは自分の手を見る。
何も変わっていない。
身体も。
魔力も。
見た目も。
「……本当に効果があるのか?」
思わず呟く。
アルトは答える。
「変化はすぐには現れません」
「進化とは、時間をかけて起こるものです」
「お客様自身が、新しい可能性を選んだ時に」
ヴァルドは黙る。
以前なら。
すぐ結果を求めていた。
強くなった証を。
認められる証を。
しかし。
今は少し違った。
不思議と焦りがない。
◆
店を出る前。
ヴァルドは振り返った。
「一つ聞きたい」
「はい」
「お前は」
「今まで何人に、この力を売った?」
アルトは少し考える。
「数えるほどです」
「その中に」
ヴァルドは続ける。
「俺より強くなった者はいるか?」
アルトは答えた。
「分かりません」
ヴァルドは意外そうな顔をする。
「分からない?」
「私は未来を見ることはできません」
「ただ」
アルトは静かに言った。
「皆様が、自分自身の可能性を信じて購入されたことだけは分かります」
ヴァルドはその言葉を聞き。
少しだけ笑った。
◆
店を出る。
外の空気が冷たい。
しかし。
以前とは違う。
兄の背中を追う自分ではない。
誰かと比べる自分でもない。
自分だけの道を進む。
そのための力を手に入れた。
その瞬間。
ヴァルドの中で。
何かが変わり始めていた。
◆
魔界スキル商店。
アルトは契約記録を確認する。
新しい文字が刻まれていた。
【進化】
契約者:ヴァルド
状態:発動準備中
アルトは静かに帳簿を閉じる。
進化は。
力を与えるだけではない。
その者自身の在り方を変える。
それが。
このスキルの本当の価値だった。




