第13話 リッチと不死④
夕暮れの荒野を、一体のリッチが歩いていた。
ノワールだった。
以前なら考えられないことだ。
研究を中断するなどあり得なかった。
論文がある。
実験がある。
解明すべき謎がある。
だが今は違う。
研究室を出てから三日。
久しぶりに魔界の景色を見た。
市場を歩いた。
酒場の喧騒を聞いた。
子供たちが遊ぶ姿を眺めた。
どれも何年も見ていなかった光景だった。
いや。
正確には見えていなかった。
研究しか見ていなかったのだ。
◆
やがて小さな店が見えてくる。
木造の建物。
見慣れた看板。
『魔界スキル商店』
ノワールは扉の前で立ち止まった。
前回来た時とは気持ちが違う。
あの時は希望を抱いていた。
今は答えを求めている。
カラン。
扉を開く。
「いらっしゃいませ」
アルトが本を閉じる。
驚いた様子はない。
まるで来ることを分かっていたようだった。
◆
「久しぶりだな」
「お元気そうで何よりです」
アルトは穏やかに言う。
ノワールは苦笑した。
「そう見えるか?」
「少なくとも壊れてはいません」
「なるほど」
その返答は妙にアルトらしかった。
◆
席へ座る。
しばらく沈黙。
やがてノワールが口を開く。
「私は失敗したのか?」
アルトは少し考える。
そして首を横に振った。
「いいえ」
「だが私は多くを失った」
「それも事実です」
即答だった。
◆
ノワールは思わず笑う。
相変わらずだ。
慰めない。
取り繕わない。
事実だけを言う。
「ではなぜだ?」
「なぜこんな結果になった」
アルトは静かに答えた。
「お客様の願いが叶ったからです」
ノワールは黙る。
「研究したかった」
「研究を続けたかった」
「その願いは叶いました」
反論できない。
実際に叶った。
成果も出た。
評価も得た。
研究者としては大成功だった。
◆
「だが」
アルトが続ける。
「願いと幸福は別です」
店内が静かになる。
ノワールはその言葉を噛み締めた。
どこかで聞いた気がする。
きっと他の客にも同じことを言ったのだろう。
◆
「私は勘違いしていた」
ノワールが呟く。
「時間が欲しいと思っていた」
アルトは何も言わない。
「だが違った」
研究を振り返る。
若い頃。
仲間たちと議論した日々。
弟子が初めて成功した日。
失敗して皆で笑った日。
研究発表の後に飲んだ酒。
思い出す。
本当に楽しかった。
◆
「私は研究だけが好きだったわけではない」
言葉が自然に出てくる。
「研究を通して誰かと何かを作るのが好きだった」
アルトは静かに頷いた。
「それが答えでしょう」
◆
しばらく沈黙が続く。
やがてノワールが尋ねた。
「このスキルは消せるのか?」
アルトは首を横に振る。
「できません」
予想していた答えだった。
少し残念だが、不思議と落胆はない。
「そうか」
「ただし」
アルトが言う。
「使い方は変えられます」
ノワールは顔を上げた。
◆
「使い方?」
「はい」
アルトは紅茶を注ぐ。
湯気が立ち上る。
「道具は使う人次第です」
「スキルも同じです」
ノワールは考える。
確かにそうだ。
【不死】が悪いわけではない。
自分が研究以外を切り捨てただけだ。
研究を続けながら弟子と向き合うこともできた。
仲間と過ごすこともできた。
選ばなかったのは自分自身だった。
◆
「随分と高い授業料だったな」
ノワールが笑う。
アルトも少しだけ笑った。
「研究者らしい考え方ですね」
「失敗から学ぶのが研究だからな」
◆
席を立つ。
今度は前回とは違う。
迷いはなかった。
研究を辞めるつもりはない。
むしろ続ける。
何百年でも。
何千年でも。
【不死】があるのだから。
だが。
今度は違う。
一人ではなく。
誰かと共に。
◆
扉へ向かう途中。
ノワールは足を止めた。
「そういえば」
「何でしょう」
「研究日誌だ」
アルトを見る。
「あれは返ってこないのか?」
少しだけ期待していた。
アルトは引き出しを開く。
そして一冊の本を取り出した。
◆
ノワールは固まった。
見覚えのある表紙。
見覚えのある傷。
見覚えのある文字。
「なっ……」
「お忘れ物です」
アルトが言う。
どこかで聞いた台詞だった。
◆
ノワールは慌ててページを開く。
若い頃の文字。
失敗だらけの研究。
夢ばかり語っていた自分。
全て残っていた。
「なぜだ?」
アルトは肩をすくめる。
「もう必要ありませんでしたので」
ノワールは思わず吹き出した。
どこまでも変な商人だった。
◆
店を出る。
空には夜空が広がっている。
研究日誌を抱えながら歩く。
ふと最初のページを開いた。
そこには若き日の自分が書いた一文があった。
『研究とは世界を知ること。そして誰かと共有すること』
ノワールは立ち止まる。
しばらくその言葉を見つめる。
そして静かに笑った。
「全く」
何百年も前の自分の方が賢かったかもしれない。
◆
数日後。
死霊の谷にある研究室へ、一通の手紙が届く。
差出人はアリア。
ノワールは迷わず返事を書いた。
内容は短い。
『もしよければ、また研究を手伝ってくれないか』
その手紙を書き終えた時。
リッチの研究者はようやく気付いた。
自分が本当に欲しかったのは。
終わらない時間ではない。
共に歩く誰かとの時間だったのだと。
そして荒野の外れでは今日もまた。
魔界スキル商店の鈴が静かに鳴っていた。




