第11話 リッチと不死②
店内に静寂が落ちる。
ノワールはカウンターの上に置かれたカードを見つめていた。
【不死】
どう見ても妙だった。
自分は既にリッチである。
老いない。
寿命もない。
今さら不死のスキルなど必要ない。
「説明してもらおうか」
ノワールが言う。
アルトは頷いた。
「このスキルは寿命を延ばすものではありません」
「では何だ?」
「終わりを遠ざけるスキルです」
ノワールは眉をひそめる。
抽象的な説明だった。
アルトは続ける。
「疲労、老化、精神摩耗、魔力枯渇」
「お客様が研究を続ける上で障害となる要素を極限まで抑制します」
ノワールの目が見開かれる。
それは。
まさに欲しかった能力だった。
研究者にとって最大の敵は時間だけではない。
集中力。
精神力。
継続力。
長い年月の中で蓄積する消耗。
それらが積み重なり研究を妨げる。
だが。
このスキルが本物なら。
◆
「価格は?」
ノワールは即座に尋ねた。
アルトは答える。
「金貨五十枚」
高額だった。
だが問題ない。
数百年生きた研究者だ。
蓄えはある。
「それと」
アルトが続ける。
ノワールは少し笑う。
「やはり追加条件があるか」
「はい」
「何だ?」
アルトはしばらく黙った。
そして言った。
「研究日誌を一冊」
ノワールは固まる。
研究日誌。
それは研究者の人生そのものだ。
失敗。
発見。
仮説。
努力。
全てが詰まっている。
「どの程度の物を?」
「お客様が最も大切にしているものを」
即答だった。
◆
店内が静かになる。
ノワールは考えた。
数百冊ある。
その中でも最も大切な一冊。
最初の研究成果を書いた日誌。
魔術師だった頃の夢が詰まった記録。
今でも宝物だった。
「それが必要なのか」
「はい」
アルトは答える。
「このスキルを形にするために」
ノワールは目を閉じる。
迷いはあった。
だが長くは続かなかった。
研究のためだ。
未来のためだ。
失う価値はある。
「持ってこよう」
◆
翌日。
ノワールは再び店を訪れた。
腕には古びた日誌が抱えられている。
何度も読み返した本。
擦り切れた表紙。
色褪せた文字。
長い時間を共にした相棒だった。
「持ってきた」
アルトは受け取る。
静かにページをめくる。
そこには若き日のノワールがいた。
夢を語り。
失敗に悩み。
成功に喜ぶ。
そんな記録。
アルトは本を閉じた。
「確かに受け取りました」
ノワールは少しだけ寂しさを感じた。
だがすぐに振り払う。
未来のためだ。
研究のためだ。
◆
契約は成立した。
金貨五十枚。
研究日誌一冊。
そして。
【不死】
ノワールは迷わずカードへ触れる。
光が溢れる。
体の奥へ流れ込む。
冷たいような。
暖かいような。
奇妙な感覚。
やがて光が消えた。
「これで終わりか」
「はい」
アルトは頷く。
「お客様の願いは叶いました」
その言葉にノワールは満足そうに笑った。
久しぶりだった。
何かが前へ進んだ気がした。
◆
それから一か月後。
研究は劇的に進んだ。
驚くほど集中できる。
疲れない。
眠る必要もほとんどない。
魔力回復も早い。
何より。
研究以外のことが気にならなくなった。
雑音が消えたようだった。
「素晴らしい……」
ノワールは感動していた。
これだ。
これこそ欲しかった力。
数百年求め続けた環境。
研究だけに没頭できる。
完璧な状態だった。
◆
三か月後。
成果が出始める。
新たな論文。
新理論。
学会での発表。
周囲からの評価も上がった。
弟子たちも喜んでいる。
はずだった。
「先生」
ある日、一人の弟子が声を掛けてきた。
「何だ」
「少し休んではどうですか」
ノワールは顔を上げない。
「必要ない」
「ですが」
「研究の方が大事だ」
即答だった。
弟子は何か言いたそうだった。
だが結局黙って去っていく。
◆
その夜。
研究室に一人残ったノワールはふと思う。
妙な話だ。
昔なら弟子の言葉を気にしたはずだった。
相談にも乗った。
食事にも誘った。
だが今は。
研究の方が重要に思える。
優先順位が変わったのだろう。
それだけだ。
きっと。
ノワールはそう結論付ける。
そして再び机へ向かった。
研究は進んでいる。
過去最高の速度で。
だから問題ない。
何も問題ないはずだった。
まだ彼は気付いていない。
【不死】が奪った”終わり”は。
疲労や老化だけではなかったことに。
そして少しずつ。
人生の大切な何かも失われ始めていることに。




