第10話 リッチと不死①
魔界東部。
死霊の谷。
生者が近寄ることを嫌うその土地に、一体のリッチが住んでいた。
名はノワール。
優秀な魔術師だった。
数百年を生きるリッチの中でも、特に知識量に優れている。
死霊魔術。
結界術。
呪術。
錬金術。
ありとあらゆる分野を研究し、その名は周辺地域でも知られていた。
だが。
「また失敗か……」
研究室の机に突っ伏し、深いため息を吐く。
床には魔法陣。
周囲には無数の魔導書。
そして中央には砕け散った水晶球。
研究は失敗だった。
これで今年に入って八回目。
ノワールは頭を抱えた。
「なぜだ……」
原因は分かっている。
時間だ。
圧倒的に時間が足りない。
◆
リッチが時間不足。
普通なら笑い話だった。
なにしろリッチは不死者である。
寿命がない。
老いない。
病にもならない。
だからこそ多くの魔術師が憧れる存在だ。
だがノワールには問題があった。
研究テーマが大きすぎたのだ。
彼が目指しているのは、魔界全土の魔力循環を解明すること。
数百年単位の研究。
いや。
下手をすれば千年でも足りない。
それでも進めたい。
知りたい。
解明したい。
だが現実は厳しい。
周囲の研究者は次々と成果を出している。
新たな魔法。
新たな理論。
新たな発見。
それに比べて自分はどうだ。
何百年も研究しているのに完成が見えない。
◆
その日。
ノワールは学術会議へ出席していた。
会場には多くの研究者が集まっている。
そこで発表されたのは若い悪魔族の研究だった。
画期的な成果。
大きな拍手。
歓声。
称賛。
ノワールも拍手を送る。
だが胸の奥は重かった。
「素晴らしい研究です」
誰かが言う。
「十年で完成させたらしい」
「天才だな」
十年。
ノワールはその数字に苦笑する。
自分は百年以上研究しているのに。
◆
帰り道。
ノワールは一人で歩いていた。
谷へ戻る途中。
ふと耳に入ったのは酒場から聞こえてくる会話だった。
「知ってるか?」
「魔界スキル商店だろ?」
「願いに合ったスキルを売ってくれるらしい」
またその話か。
最近よく聞く。
ゴブリン。
サキュバス。
オーガ。
様々な魔族の間で噂になっている店。
正直、興味はなかった。
ノワールは研究者だ。
努力や知識こそが力だと思っている。
だが。
「時間が欲しいなら行ってみればいいじゃねぇか」
酒場の客が笑いながら言った。
その言葉に足が止まる。
時間が欲しい。
その願い。
まさに今の自分ではないか。
◆
数日後。
ノワールは荒野を歩いていた。
結局来てしまった。
我ながら単純だと思う。
だが興味はあった。
本当に願いに合ったスキルを売るのか。
本当に人生が変わるのか。
やがて一軒の店が見えてくる。
木造の小さな建物。
看板にはこう書かれていた。
『魔界スキル商店』
ノワールは扉の前で立ち止まる。
少しだけ迷う。
そして。
カラン。
扉を開いた。
◆
「いらっしゃいませ」
店内には黒髪の青年がいた。
人間だった。
ノワールは少し驚く。
「君が店主か」
「はい」
青年は微笑む。
「アルトと申します」
ノワールは椅子に座った。
そして単刀直入に言う。
「時間が欲しい」
アルトは何も言わない。
ノワールは続ける。
「研究が終わらない」
「もっと時間が必要だ」
「何百年あっても足りない」
言葉が止まらない。
積み上げた焦り。
苛立ち。
不安。
全部吐き出していた。
◆
十分後。
話を聞き終えたアルトが紙を取り出す。
ペンを走らせる。
光が文字を刻む。
やがて一枚のカードが完成した。
そこにはこう書かれていた。
【不死】
ノワールは眉をひそめる。
「私は既に不死だが?」
リッチだからだ。
寿命など最初からない。
だがアルトは首を横に振った。
「いいえ」
「これは少し違います」
静かな声だった。
「このスキルは、お客様から“終わり”を奪います」
店内の空気が少しだけ重くなる。
ノワールは気付かなかった。
その言葉に含まれていた意味を。
まだ。




