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07



帰宅直後には、部屋の備蓄にないラーメンの臭いを衣服から嗅ぎとる。

仮想現実内での行動の余波が現実に戻った後にも続いた。自宅から一歩出るだけで入れてしまう、それは存在しない世界であるはずで、各人に与えられるセラフもまた架空の存在でしかない。


その境界が失われていることが何を意味するのか。


「へー。初戦、勝ったんだ。おめでと」

「ああ、ありがとう」

「それで、どんな風に戦ったの?」


毎度のように食堂を訪れて昼食をとるのも、それが人間にとって必須の行為だからだ。

ディープセラに存在した料理店もあくまで人間のためのもので、食事が取れるという以上の意味はない。

人間がラーメンによってカロリーと栄養素を得るなら、試合後にミセラが要求したそれは、どちらかといえばコミュニケーションの延長に近い。


入手の限られるノード資産ではなく現金払いにしてほしかったとは内心。だがしかし、ディープセラのどこかに存在しているだろう換金所を見つけたところで、はたして自分の食事の彩りが増すかと言われれば頷きかねる。


けれど、こうして現実で会って話している人間から話題に挙がる。ディープセラ内部で出会ってしまったため、あるいはその以前に自分が参加した時点から。

思い違いだろうと、その思考は現実に存在する。


「大抵はそうだよ。他の試合は見てないの?」

「貧乏学生に観戦する暇なんて、ないぞ」

「セラフを除けば、どこにでもいる人間だよ。セラフ同士の戦いが主軸で、人間同士が戦う状況にはなるくらいなら、その前に試合が決着してる」

「それもそうか」


最初に渡される資産は、生涯に渡っての労働を換算したものだと案内人は説明した。

父親を見つけたからといって、その契約は断ち切れない。たとえディープセラを去ったとしても、確実に以前の生活から何かが失われている。


その何かに気付くことはない。

対面に座っている相手が、いつからディープセラに参加しているのか知らなかったように、日常の変化に溶け込む。


「にしても、光輝は良い時期に入ったね」

「時期というと、近い内に何かあるのか?」


切り替えられた次の話題で、語る直前に間を置く。


「『魔人祭』っていう特別なイベントがあるらしいよ。個人企画や年中行事と違って、運営側が企画するもので、前回が五~六十年前なんて話だから、生きてるうちに見られる人の方が少ないってこと。運がいいのは私も同じだけどね」

「すごいなそれ。……ちなみにどんなものか知ってたりするのか?」

「私もさっぱり。でも、地域単位で活動している普段と違って、世界中からアクセスできる専用空間が用意されるみたい」


真矢が見上げる先に思い浮かべただろう想像は知りえない。

視線を天井に向ける意味も、誰かがそう定めて、こちらが相手の動作に勝手な解釈しているだけだ。




 ***




「勝ったあ!」

「危ない、……と言っても、力は加減されているのか」


戦闘フィールドから離脱すると、途端に正面からミセラに飛びつかれる。勢いに反して衝撃は少なく、それが制御されたものだと分かれば、身構えた姿勢を解く。


「当たり前よ。人間はセラフより、ずっと壊れやすいんだから。それより、ちゃんと一度も剣を手放さずに戦えたでしょ?」

「そうだな。正直、助かる」


とはいえ、いくら人通りが少ないとしても、人型に近いセラフを飛びつかせるのは、命令できる相手で、なおかつ目撃した他者もそれを理解しているとなると外聞が悪い。


「ごほうび、ごほうび」


直前に怒声を上げた負い目もあり、突き放すことはできず、距離を空けるために胴らしき部分を掴んで持ち上げようとすれば、非力なこちらの動きに合わせて、浮遊を保ったミセラが背に回した腕を解く。


「あまり、高いのは用意できないからな」

「コウキが普段食べてるラーメン食べたい」

「言っておくが、たぶん、こっちで食べる物より、おいしくないぞ」

「美味しくなくてもいい」


手を離せば、見上げる視線が水平近くに降りる。


「分かった。試合のない別の日に時間を作る。その時に持ってくるよ」

「約束ね」


所有者がディープセラに留まらない間、セラフは何もない空間に留まるらしい。


いわゆる個人用スペースの一種で最低限の機能しかないそこに閉じ込められる話は情報端末のアプリ上の会話で聞いた。ノード資産を消費することでディープセラを利用できるなら、その機能の一つでしかないセラフ自身も、利用者がいない間は不要だ。


「そういえば、ミセラは『魔人祭』って知っているか?」

「知ってる」


こうして設計された街並みを歩くことすら、ミセラにとっては娯楽になるらしく、人捜しをする自分としても都合が良かった。


「権利者の中で、特に資産を保有している人物が魔人になる。ディープセラ運営に加わって、機能改善に務めることになる、そのお祝い」

「そんな面倒なことしたい人がいるのか?」

「他者より資産を保有する中で、少なからず似た作業をすることになる。その延長でしかない……と思う。それに魔人には特権が与えられる」


いや、今の時間も自分の言い訳でしかない。

ミセラの心情を尊重しているようでいて、自分の結論を避けている。


いくら現実よりディープセラ内の人口が少ないとしても、日常の合間に訪れるだけで見つかると期待するのは誤りだ。当たり前だ。そもそも父親と会ったところで、責める根拠はない。写真の件も不貞ではなく、今となれば別の所帯を持ったところで法的な問題もない。


「どんなものなんだ?」

「現実で死んだ後でも、ディープセラの中で生き続けられる」

「入れ込んでいる人なら、それだけで十分報酬になるのか。人並みの生活もここなら再現できるし、人間に混ざって生活していると考えられなくない。死後の保証だとすれば、下手な死生観より信用できるのか?……待ってくれ、なら魔人は過去に死んだ人が元になっているのか?」


結局のところ、自分個人の憂さ晴らしである。たとえ父親を見つけたところで何ができるわけでもない。


「人間が百年二百年も生きられないなら、そうよ」

「死者に支配されていると聞けば、恐ろしいな」

「でも、人間社会も、ルールを作った人はみんな昔に死んでいるでしょ?」

「まあ、そうだけど」


自分もまた、この死者と生物ですらない存在が占める場所を、娯楽として使っている。ここで稼いで生計を立てようとする人間の方が、見下すだけの自分より、よほど真っ当に人生を生きている。



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