04
前回と同様に、ディープセラへの切り替わりに気付けない。二階にあるはずの自室の扉を抜けた先に、知らない街並みが広がっているのを見ることになった。
自分が出てきた扉のある建物、見渡す建物に窓明かりがあれば街には街灯が点る。
住民がいれば当然の景色も、空中に浮かぶその場で回転してみせる文字や広告の存在は、現実では細工なしにありえない。
そして自分が自宅から入場できたように移動の手間が少ないためなのか、現代の都市景観に見合わず車両等の姿がなく、不必要に広い道路には人々の往来が見える。
「前はもっと質素な見た目じゃなかったか?」
「あちらは試験的に作成されたもので、リソース消費も最小限のものです。日常的に利用するなら、こちらの方が快適でしょう」
そんな仕様の一言で言い切られる変化。
はたして遠方に見える高架道路に需要はあるのか。目の前の現実感が一様に広がっているなら、景色を見るだけの目的でも移動手段に価値は生まれるはずだが。
疑問を抱こうとも視界に移る人々が作り物とは思えず、少ないながらも仮装じみた存在が見えていることから、父を被写体とした写真との類似を既に感じていた。
「あれがセラフなのか?」
「ええ、あれらは各権利者様が所有するセラフです。光輝サマも参加なされた時点でお持ちになっていますよ」
単に人間に装飾を過度に足しようなた姿から、複雑な機構を持った着ぐるみもどきの存在まで。断言するからには人でない存在が含まれるのだろう。
見えているセラフが大小様々なら連れ歩かない選択もありうる。屋台で買い食いする様子もあれば、少なくない人間がディープセラに参加していることになる。
「ここで過ごす上での大切なパートナーになりますから、一度、落ち着いた場で説明できれば、と思うのですが、これからいかがです?」
「そうしてもらえるのは助かるけど……」
「今の時間帯なら人混みも避けられますからね」
隣で歩いていた入鹿が交代して先行する。知らない道程で背を追いかける間にも、精巧な街の景観は変わらず眼前に存在していた。
仮想現実をうたうディープセラの規模と実態。
事前に受けた紹介も話半分に聞いていたように思えてくる。
案内されたカフェで足を休める中、提供された飲み物も最初は飲み込むのをためらう。舌先で味わう感覚が現実と大差ないものだとしても、この場で経験できることには違和感を覚えずにはいられない。
「権利者様は、ここディープセラの継続的な利用が可能です。最初にお伝えしたものでもありますが、何より提供するものの性質から、賛同いただく権利者様ご本人に実感してもらうことが重要ですので」
取引そのものに限らず介する存在に付加価値が生まれる話は、通貨を思えば納得できる。取引の規模が担保になるのは国家規模で日々行われており、企業と銀行の前にも、個人単位でも信用と言い切れる形でそれが存在する。
ディープセラ内部で行われるノード資産による取引。自分も学問の一片を学んだ身であるが、それが通貨ではなく仮想空間ともなれば縁遠い話になる。
たとえディープセラにおいて不可欠でない消費に、例えば今飲み干しつつある嗜好品が含まれているとしても。改めて目の前で説明されても、自分の行動が少なからず世界に影響を与えている事実は言葉として知っていても実感は難しい。
「これは権利であり義務でもあります。賛同と同時に確かな存在であると認識してもらうこと。最低でも七日に一度の頻度で、こちらから利用機会を設けさせていただいております。これらを放棄する手段はありますが、私からお勧めすることはできません」
聞けば、義務の放棄も可能という。
その方法も単純で、義務を繰り返し果たさなければ最終的には権利を失う。
以降はディープセラに入場できず権利の再取得する方法もないわけだが、参同しない以上、参加する必要もない。
言ってしまえば参加する以前の日常に戻るだけ。正確には参加の時点で対価を支払っているはずだが、参加を告げてから今までに自覚できるほどの体の変化はない。
「光輝サマの場合、どうしても時間的都合で他の方と比べて、ディープセラで過ごす時間が義務の方に割かれてしまいますが、それでも新しい体験を約束しますよ」
「まあ、父親の手がかりになると思っただけだし、それ以上は求めない」
「さいでございますか……」
煮え切らない言葉に無念を示した相手に、説明の続きを求める。
仮想現実という呼ぶ以上、現実に即した実態が大半となる。事前準備もなく訪れてしまえる場所であり、案内を受ければ素人が歩き回れる程度に常識と似通った場所なら極端な苦労もないはず。
言葉一辺倒になるのを嫌った短い言い回しに、業務としての説明が進むよう協力する。飲み物で稼いだ時間で十分に足りるものとなった。
「具体的な話は、これからお会いになるセラフからお聞きいただく方がよろしいかと。これから共に過ごす相手でもありますし、話題の一つになりますよ」
「そっか、会話ができるんだったな」
極論、自身に求められるのはディープセラで過ごすこと。
そのための最低限の方法は文化的に存在しており、先行者の真似をするだけで問題ない。最初に提示されたノード資産が尽きるまで、この関係が継続するだけのこと。
「ええ。まあ実体化となると、現在はディープセラ内に限られますが」
「現在って、そんな勿体ぶった物言いをするなら、現実でも可能になるのか?」
「そういう未来もあるという話です」
「まあ、そう言えるくらい、……これが凄い技術なのは分かる」
ディープセラに侵入した時のように入鹿が携帯端末の提示を求めて、専用の待機画面が表示されると操作手順を教わる。
画面上で指を動かせば、端末から光の塊が飛び出す。
それがテーブル横に移ると膨れ上がった次に人型を成し、輪郭が定まった頃には発光も失せて、一人の立っている女性らしき姿に変わる。
「それでは、後はパートナー同士の語らいということで、私は失礼させていただきますね」
「あ、……ああ」
目の前で姿を消した相手に去り際の挨拶は追いつかない。
しっかり飲み干されたカップと、支払いへの感謝の言葉を見送って口を閉じれば、隣に立つ相手を視界に入れた。
「何?」
「えーっと、名前とかある?」
「画面」
「は?」
指摘に端末へと目を向ければ、画面の表示中央には文字がある。接続中という文字と区切り記号の先、相手を示すと思われる多国語の文字の並びを読み上げた。
「ミセラ?」
「そう、ミセラ」
画面から目を離せば、同じように覗き込む姿があり、思わず息が詰まる。
睫毛のそれぞれを数えられるまでに精巧な容姿。不要な目の潤い、瞬き。衣装の繊維の一部を切りとっても、それぞれで存在できそうな確かな現実感がそれにはある。
だが、それでも人間と必ず見分けがつくような特徴を持っている。遠目に人間に見えても、どこかで違和感を抱かせるそれは意図的なものに思えた。
写真で見た彼らを仮装パーティーの一団と評したように、同じく目の前のそれにも現代常識とは逸した華美な衣服があり、あくまでもディープセラが在るように見せている架空の存在だと思い起こせば、止めた息も戻る。
「よろしく」
「こちらもよろしく、……でいいんだよな?」
「知らない。私はあんたじゃないんだから」
投げやりに答える様子に湧いた先行きへの不安も、相手が分かりやすく人型であったために気付けたものだとすれば、誘われるままこの場を訪れて当たり障りのない返事をする自分が目的を果たせるか疑問を感じずにはいられなかった。




