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暖炉の薪が子気味に音を立てる。
あるいは温かみまで空間の演出なのか。情報に雑味を混ぜるのは、他者が存在することへの自戒か。人間の性や名残とも称せる空間に、足を踏み入れる。
厚みの絨毯に、固有の木目ながら色調を同じくする家具の一切。薪火の揺らめきと古風な照明具に照らされる調度品の数々。
それら芳香に主人の存在がかすかに混ざる。
扉が開いた隙に入れ違いに一瞬だけ甘味を届けると、後には部屋の印象に隠れる。体臭と相乗させるといえば正しく、香水を身に着けただろう主人が、目を閉じた姿で椅子に身を落ち着かせている。
当時を受け継ぐような素朴な染色の衣服だからこそ、部屋の質感にも馴染む。主人を映えさせるのではなく、空間全体を含めて個人であるかのように。
入室の許可を得ていなければ、立ち入るべきでない場所に思える。
「慎重だね」
「必要なことです。導入直後は特に乱れる」
眠っていたように顔は動かず、横目に届く位置に来て、呼びかけることで初めて灰染め髪のその女性が瞳を見せる。
「新入りだからと、無理を通させてしまったかな」
「それも認めますが、貴方も思惑はあるのでしょう?」
「戦略の多様性が人間の認知を超える。実存に抗うには公平性を保つ努力は欠かせない。とはいえ、早まった気がしなくもない」
早めの後悔を告げれば、それ以上の追及はない。
事前に取り決めた内容だ。元々自分が持ち出さなければ相手も話題に挙げることがなかった。愛嬌の一種と許されれば上々、魔人になるような人間は同じような固執を持つのではなかろうか。
あるいは、目の前の女性が自らの過去を想い馳せるような行動だったとすれば面白いのだが、そのあたりは掴めそうにない。
「思考の及ばなさにより自らを殺しめ、後に他者を殺むる。……覚悟を求めるのは酷だろう。彼らの望むまま、主体さえ預けてしまえば尊厳のために自らを納得させてしまう生物だよ」
「それは貴方の持説ですか?」
「もちろん。……いや、高祖からの受け売りでもあるね」
外界の受け皿たる人の身を集団に組み入れる枠組みこそが主体だとすれば、小さな物事に依存するのも必ず悪い性質ではない。
全てが一様に平らなら摩擦も起こりえない。違いこそが他者を認識させ定義させうる。
「次代が訪れた時には、私も苦労させられる身か」
「私は起きているつもりなので、力添えはしますよ」
「それはそれで、任せきりになってしまいそうだから、お手柔らかにお願いしたい」
誘われて対面の椅子に着けば、提供された飲み物と共に昔語りに耳を傾ける。
生まれて数十年の自分に比べれば、遠い出来事だ。
それでも、なお過去から世界は在る。
「そういえば、以前の問いに進展があったよ」
一方的に口を疲れさせるのも失礼ならと、話の区切りに差し込む。
周知としては魔人祭だが、それ以前から魔人として交流は続けてきた。その中での依頼であり、認識としては彼女個人からの見極めとでも呼ぼうか。
事実、即座に答えられるような内容でもなかったため、いずれの機会に話題を持ち出す必要があった。
「……意外な答えでいいかな、引退するまでに利用規約を読んだ人というのはどうだろう?」
了承をもって伝えた仮説で、相手の瞳に驚きが宿る。
「……たしかに規約に反しようがない。ええ、盲点でした」
「有意差が見えた程度で、まだ条件を絞れるかもしれない。身内で調べるにはこれが限界だった。お気に召す答えだったなら良かった」
ディープセラは魔人の特権を得てすら広大なままだ。
全世界から一部の人間だけを抽出したミニマルモデルで運用されようと、数人で管理できるものではない。あるいは、この場にいない先人たちも眼前の女性から同じように過去の話を聞いて感じたのではないか。
「改めて、強制落札の一件は助けられた」
「あれは私も望むところでした」
「それでも私のアトラスでは、威圧感がなくて相手を騙すような試合になりかねなかった」
仕様書と空の席だけ置かれていても困ったが、数百年の余暇を眠らずに過ごしてきた存在とは他の魔人とも一線を画するのか、興味は尽きない。
「私も長らく俗世と関わりが途切れていたので、貴方の訪れに助けられていますから」
「それを言われてしまうと、何も言葉が継げなくなる」
意外でもないが、ディープセラを管理する魔人の一体である彼女と、ノード取引を交わしたことはない。
いずれも多大な貢献を行っている身で、必要ならば資産を引き出せてしまう。そもそも魔人の限りない寿命に、ノードによる決済が求められる場面は限られる。頼み事は、そのまま協力内容を記憶の帳簿に記していくだけだろう。
ディープセラの存続がお互いの利益なら、先の発言ではないが後進の出現こそ報酬であり、それ以上に価値あるものはない。その上で若輩が与えられるものといえば悪い話、退屈を埋めるために失敗を繰り返すくらいのものだ。
礼節というのは時代を経ても基本が変わらないといえ、初対面からそれなりに会話できたのもお互いが近い身分でだったゆえか。
現代では見知らぬ人間との交流も普通だが、彼女が生きた時代ではおそらく、その外見的な特徴も合わされば、未知と呼ばれるに相応しい。全てが作り話で、ここで暮らす内に培ったものでもなければ、遠からず。魔人に至るまでの経緯も、最初こそ夢見がちに過ごせたのだろうが。最期は決して喜ばしい結末ではなかったはずだ。
件の少年との会話では、わずかな応対でありながら意外なほど情報が漏れた。魔人といえど人間に変わりない。それは自覚の上でも同じ。
「下手なボードゲームに付き合わせるのも申し訳ないからね、悔しいけど、いつもどおり嗜好品に頼るとしよう。現代の堕落も決して侮れるものではないよ」
肉体に死がもたらされた後、その精神が追い求めるものは何なのか。
個人の時間を守るのも紳士のふるまいとして、次の機会を約束して席を立つ。
この場に存在するものに確かな実体があるかのように、歩く間に絨毯の織りを踏み、扉を使って談話室から立ち去る。
***
独自資産の換金性、試合の勝敗でディープセラの滞在期間が変わるとなれば、事前対策は必然だろう。
戦場も複数候補から選択される方式なら、全ての地形を覚えておけば、戦場を見回す手間もなく、主体となるセラフの能力を活かす立ち回りが可能になる。
当然、無作為抽選によって決められる対戦相手についても、戦績や知名度次第で対抗策が生み出されるため、賭け事以外の目的で、観戦所に足を運ぶ人間は少なくない。
姿を視認した瞬間から、対戦相手の戦術は予想できたはずだった。
廃工場を隣に置く、幅広の道で相対すれば相手の姿は隠しきれない。
「う、嘘!」
試合開始の合図から一気に距離を詰める相手に、ミセラが驚きつつも応じた。
対戦者本人が自身のセラフを差し置いて。
自分なら負傷以前に痛みで動けなくなるだろう剣の一撃を、至近距離で回避して、ミセラに蹴りを入れる。詳しくは剣の振りぎわに腕を掴まえてもいたか。
セラフの性能にも個体差がある。
基本的に人間より力強いという基準にミセラも当てはまるが、人型であると同時に体重も見た目の逆算から大きく外れない。
鍛えた人間なら、持ち上げたり突き飛ばしたりは可能でも、単純に体を押し返せるだけで、組み合っての対抗では、よほど筋力に分がなければ負傷時の修復速度を含めて人間は勝てない。
けれど、回避だけなら望めなくない。
大振りを狙えば姿勢を崩され、隙を減らせば距離を取られて、次第に剣の腹を弾かれて、剣ではなく鎚のように扱ってみたが、それすら受け身で威力を減らして即座に復帰される。
これらは後に知った内容だが、つまり、セラフを相手に時間稼ぎができるなら、反対に、対戦者にも曲芸じみた真似を要求することが可能になる。
理屈としては正しい。
ミセラの能力は、人間相手だと剣以上の性能はない。
となれば能力の全力使用は無駄なノード消費にしかならず、決定打はない。
それでも感謝しかない。
人間同士で戦えば即座に敗北していただろう。結果的にノード消費が少ないとしても、現実で暴行を受けるのと気迫は変わらない。
下手にセラフを温存しようとすれば、顔面に投石を浴びて敗北し、組み伏せられて窒息させられ、場合によっては己のセラフの体で押し潰されもする。
過去の対戦者の結果といえば散々なもので、おそらく、この地域では一番対戦したくない相手として周知されている。
人間が生身で戦う分、負傷によるノード消費は避けられないとはいえ、指名もなければ残虐性は低い。それでも的確に致命傷を狙ってくるだけで怖い。人間相手に力を振るえないからとセラフで戦闘の臨場感を味わっているとしても疑問はない。
むしろ個体差がある分、セラフ相手の方が楽しんでいるのかもしれない。
勝ち筋は、速度と精度を有するか、広範囲に攻撃手段があってようやくといった具合で、それでも意気込んで対戦を組んだ相手が正面からセラフを壊された例もあり、懸念があったとはいえ、賭けた観戦者が消沈する姿は記憶から消えていない。
特技を生かしているとしても、セラフ同士の戦いでないなら場違いというのは敗者の不満だろうか。
その状況で自分といえば、追ってくる相手のセラフから逃走を試みただけだ。
様子見する余裕はなく、開始から真っ先に逃げた。
対戦者から距離を取った後は密集した建物を盾に視線を断つ、当然隠れたところでセラフより能力の劣る人間の身では大した効果は得られず、高所に追い込まれた後には、無謀にも飛び移ろうとして誤って屋根を踏み抜いて落下した。
恐怖以上の感情が湧いたとて仕方ないと思う。
故意ではないが結果的に最低限の損失で済んだ。観客受けも悪く、相手の能力次第で勝敗が明白になるため大抵は賭けも成立しない、そんな相手だ。
見回した景色が戦場でなかった後の最初の呼吸も、決して落胆によるものではなく、地面に座り込んでいたのを支えられて立ち上がれば、ミセラに感謝を告げた。
「私、もっと戦えるようになる」
「そうだな。でも今日は慰労会として、何か食べたいものはあるか?」
「砂糖の。甘いのがいい」
お互い空虚に身を捧げている。
父親と再会できた今、ディープセラに留まる必要はない。
最初に目的を伝えたために、ミセラも知っている。
試合の過程に意味はなく、勝敗すら表面的な競争意識を喜ばせる程度。けれどセラフが活躍できる場がそこしかないなら、演じるしかない。
「なら、商店街を歩いて、ついでに家で食べる分も買い集めるか」
あるいは、ミセラに限れば魔人に譲渡することで以降も活動できる。魔人が本当に永遠に生きられるなら、短命はむしろ自分の側で、少しでも気に入られて譲渡が認められるために今の試合にも価値があるのかもしれない。
自分に残された価値もまた。短期間だろうと協力してくれた相手を切り捨ててしまえば自分の嫌悪することになりかねない。
お互いが自分のために関係を続けているなら、ある意味では良好だろう。譲渡を即決できない今が自分の身勝手なら、譲渡した後にミセラにどのような態度を取られても納得できてしまう。
そんな都合のいい言い訳を与えてくれる場所として、自分も結局、他の権利者と変わらず依存している。
提案に先走ったミセラがその場に止まる。こちらを待つ仕草に足早で追いつけば。その後は合わせた歩幅で、現実ではない景観を進んだ。




