36
夜。
小屋の中には、静かな火の音が響いていた。
ぱち、ぱち。
薪が燃える。
外は冷えている。
だが今日は少し暖かかった。
理由はもちろん。
あの布である。
「…………」
マリアは、火の近くで針を動かしていた。
貴族令嬢から貰った布。
あまりにも質が良いので、最初は触るのも怖かった。
しかし。
農奴の家である。
飾る余裕などない。
使う。
ちゃんと。
「…………」
布を切る。
縫う。
糸を通す。
ロイは横で目を輝かせていた。
「ほんとに服になるの?」
「なるよ」
「すごい……」
ロイはまだ信じられない様子だった。
いつもの継ぎ接ぎ服とは全然違う。
色も綺麗。
肌触りも柔らかい。
「のだっ♡」
一方。
レイはその横で、妙に静かだった。
珍しく。
現在八歳。
最近は背も伸び、手足も長くなっている。
しかし今日も泥だらけだった。
「…………」
レイは床へ座り込み、木片へ炭で何かを書いていた。
さらさら。
さらさら。
相変わらず、誰も読めない文字。
「…………」
マリアは時々それを見ていた。
不思議な字。
神殿の文字とも違う。
何を書いているのか、全く分からない。
ただ。
レイ本人だけは、妙に真剣だった。
「のだぁ〜♡」
しかも今日は機嫌が良い。
鼻歌まで歌っている。
どうやらかなり満足しているらしい。
「何書いてるの?」
ロイが覗き込む。
「詩なのだっ♡」
「また?」
「うむ♡」
レイは得意げだった。
「芸術なのだぁ♡」
「全然読めない」
「高度なのだぁ♡」
完全に開き直っている。
「…………」
実際。
内容はいつも通りだった。
『本日のレイ、家族へ高級布を持ち帰る』
『偉すぎる』
『たぶん村で一番偉い』
『接待の神』
相変わらず酷い。
しかし。
本人だけは本気で文学だと思っていた。
「のだっ♡」
レイは満足そうに続きを書く。
『ロイ、大喜び』
『ママ、服を作る』
『つまり吾輩は家族を幸福にした』
かなり真剣だった。
「…………」
マリアは、そんなレイをちらりと見る。
最近。
レイは本当に、
“家族の生活”
ばかり見ていた。
食料。
薪。
服。
畑。
そこには異常なほど興味を示す。
しかし。
「…………」
貴族そのものには、あまり興味がない。
不思議なくらい。
貴族令嬢の服を見ても、
「高そうなのだぁ」
程度。
豪華な馬車を見ても、
「薪いっぱい積めそうなのだぁ」
くらい。
欲しがるのはいつも。
家族が楽になるものばかりだった。
「のだぁ〜♡」
レイはまた書いていた。
さらさら。
炭が動く。
「…………」
ロイは服を見ながら、小さく笑っていた。
「にいちゃん」
「のだ?」
「これ着たら貴族みたいかな」
「のだぁ?」
レイは少し考えた。
それから。
「ロイはロイなのだっ♡」
「?」
「貴族じゃなくても可愛いのだぁ♡」
「…………」
ロイが少し照れる。
「な、なにそれ」
「事実なのだぁ♡」
レイは普通に言った。
悪気ゼロ。
「…………」
マリアはその会話を聞きながら、少し安心していた。
レイは変わっていく。
確実に。
でも。
根っこの部分は、まだここにある。
「のだっ♡」
レイは急に立ち上がった。
「ママ!」
「ん?」
「吾輩の服、ちょっとかっこよくするのだぁ♡」
「どんな風に?」
「偉そうに」
「無理だよ」
「のだぁ!?」
レイがショックを受ける。
ロイが笑う。
「にいちゃんもう偉そうじゃん」
「うむ♡」
レイは即復活した。
「吾輩、超偉そうなのだぁ♡」
「そこは認めるんだ……」
小屋の中へ笑い声が広がる。
外は寒い。
でも。
火の近くは暖かかった。
「…………」
マリアは針を動かし続ける。
布が少しずつ形になる。
レイとロイの新しい服。
「…………」
その横では。
レイがまた、自画自賛の詩を書いていた。
『本日のレイ、文化人』
『高級布を獲得』
『家族を幸福にした』
『そろそろ銅像が必要』
やっぱり内容は酷かった。
しかし。
炭を握るその顔だけは、妙に満足そうだった。




