31 戦の噂
冬の終わり。
村にはまだ雪が残っていた。
だが風は少しだけ柔らかい。
春が近い。
「…………」
その日、村は妙にざわついていた。
理由は単純。
戦争が終わるかもしれない。
そんな噂が流れてきたのである。
「本当か?」
「停戦だとか……」
「いやまだ分からん」
「でも徴兵減るって話もあるぞ」
農奴たちは半信半疑だった。
長かった。
本当に。
何年も。
男たちが取られ。
帰ってこず。
手紙も少ない。
村の畑には女と老人と子供ばかり残った。
「…………」
マリアは薪を割る手を止めていた。
胸がざわつく。
期待してはいけない。
そう思っている。
でも。
「…………」
もし生きていたら?
もし帰ってきたら?
その考えを、完全には捨てられない。
すると。
「のだぁ?」
後ろでレイが首を傾げていた。
現在八歳。
背は伸びた。
魔力も増えた。
でも。
こういう時だけは、妙に幼かった。
「戦争終わるのだぁ?」
「……そういう話があるだけだよ」
「…………」
レイが固まる。
「…………」
数秒。
「のだぁ……っ!」
顔がぐしゃっとなる。
「のだぁ……っ!のだぁ……っ!」
震えていた。
マリアが目を見開く。
「レイ?」
「パパのだぁあああああ!!」
絶叫。
ロイがびくっと飛び上がる。
「に、にいちゃん!?」
「パパのだぁあああああ!!」
レイは泣き始めた。
本気で。
ぼろぼろ。
「うぇえええええん!!」
マリアが慌てて抱きしめる。
「レイ!」
「パパなのだぁあああ!!」
レイは完全に感情が爆発していた。
普段。
レイはあまり父親の話をしない。
もちろん覚えている。
ちゃんと。
でも。
農奴の家では、“帰ってこないかもしれない人間”の話をあまりしない。
辛いからだ。
「のだぁぁぁ……」
レイはマリアへしがみついた。
「帰ってくるのだぁ……?」
その声が小さい。
マリアの胸が痛む。
「…………」
分からない。
本当に。
徴兵された男たちは多い。
だが帰らない男も多い。
死体すら来ないこともある。
「…………」
マリアは、ゆっくりレイの頭を撫でた。
「帰ってくるかもしれないねぇ」
それしか言えなかった。
嘘はつきたくない。
でも。
希望を壊したくもない。
「のだぁ……っ!」
レイは涙をぼろぼろ流していた。
八歳なのに。
普段は、
「害獣がぁああ!!」
とか、
「もっと耕すのだぁ♡」
とか言っているのに。
今は完全に子供だった。
「パパぁぁぁ……」
ロイも不安そうに近づいてくる。
「パパ帰ってくる……?」
「…………」
マリアは答えられなかった。
すると。
レイが急に顔を上げた。
「のだっ!」
「?」
「吾輩、もっと働くのだぁ!!」
涙だらけのまま叫ぶ。
「パパ帰ってきた時、びっくりさせるのだぁ!!」
「…………」
マリアが固まる。
レイは本気だった。
「畑いっぱいにするのだぁ!!」
「レイ……」
「家も直すのだぁ!!」
ぼろぼろ泣きながら。
それでも目だけは真剣だった。
「吾輩、いっぱい働いたのだぁって見せるのだぁ!!」
その言葉に。
マリアはとうとう涙が出そうになった。
「…………」
この子は。
ずっと待っていたのだ。
ちゃんと。
口にしなかっただけで。
働いて。
畑を増やして。
家を守って。
全部。
“父親が帰ってくるかもしれない”
がどこかにあった。
「のだぁ……っ!」
レイは袖で涙を拭った。
「パパに見せるのだぁ……」
声が震えている。
「吾輩、超働けるようになったのだぁ……」
マリアは、ぎゅっとレイを抱きしめた。
細い。
働きすぎで少し硬くなった腕。
でもまだ小さい。
まだ八歳だ。
「…………」
外では風が吹いている。
戦争は本当に終わるのか。
父親は生きているのか。
何も分からない。
でも。
小さな希望だけは、村中へ広がり始めていた。
「のだぁ……」
レイはまだ泣いていた。
そして。
ぽつりと言う。
「……パパ、吾輩のこと忘れてないのだぁ?」
「そんなわけないだろ」
マリアは即答した。
少し強めに。
「絶対に忘れてないよ」
「…………」
レイはしばらく黙った。
それから。
またぽろっと涙を落とす。
「のだぁ……」
その夜。
レイは久しぶりに、秘密の木片へ詩を書かなかった。
代わりに。
毛布へくるまりながら、何度も小さく呟いていた。
「パパなのだぁ……」
その声は。
いつもの悪ガキの声ではなく。
父親を待っていた、ただの子供の声だった。




