19
夕暮れの川は冷たかった。
夏の終わりとはいえ、日が沈み始めると水はかなり冷える。
「のだぁぁぁ……」
その川の中で、レイはしょんぼりしていた。
頭から水をかぶっている。
何度も。
かなり念入りに。
「臭いのだぁ……」
半泣きである。
カレーじごく鳥の糞は本当に臭かった。
しかも頭へ直撃した。
農奴の五歳児にとって、かなり深刻な事件である。
「のだぁぁ……」
レイは川の中で髪をわしゃわしゃ洗った。
すると近くで、サモサが笑いを堪えていた。
「……まだ気にしてる」
「当然なのだぁ!!」
レイは即座に振り向いた。
「吾輩の綺麗な服がぁああ!!」
「綺麗……?」
サモサは微妙な顔をした。
レイの服は、普通にぼろぼろだった。
ただし。
農奴基準ではかなり“マシな方”だった。
穴が少ない。
泥が落ちやすい。
布がまだ柔らかい。
つまりレイのお気に入りである。
「あーあ……」
レイはしょんぼりした。
「貴重な服が汚れちゃったのだぁ……」
その声が妙に本気だったので、サモサは少し黙った。
「…………」
農奴にとって服はかなり大事だ。
何着も持っているわけじゃない。
基本的に毎日同じ服。
破れたら縫う。
汚れたら洗う。
さらに破れたら継ぎ接ぎ。
それを何年も使う。
だからレイが本気で落ち込むのも分かる。
「……洗えば?」
「洗ってるのだぁ!」
レイはぷんすか怒った。
「でも臭いのだぁ!!」
ばしゃっ!!
さらに水をかぶる。
その姿が妙に必死で、サモサはまた笑いそうになった。
「ぷっ……」
「笑うななのだぁ!!」
「ご、ごめん……」
全然反省してない顔だった。
「のだぁ……」
レイは川へぷかぷか浮いた。
犬かき。
背泳ぎ。
意味不明な泳ぎ。
最近、川遊びの時間がかなり増えていた。
なにせレイは水が好きなのだ。
「のだぁ〜〜」
空を見上げる。
夕焼け。
雲。
虫の声。
村は貧しいが、自然だけは広かった。
「…………」
サモサも川辺へ座った。
靴を脱ぎ、足だけ水へ入れる。
「冷たい」
「のだっ♡」
レイはすぐ復活した。
「気持ちいいのだぁ♡」
単純である。
さっきまで大激怒していたのに、もう機嫌が戻り始めている。
「のだっ♡」
レイは急に川へ潜った。
ぼちゃん。
「…………」
数秒。
浮いてこない。
サモサが少し不安になる。
「……レイ?」
すると。
ばしゃぁっ!!
「のだぁっ♡」
レイが飛び出した。
手には魚。
「捕まえたのだぁ♡」
「うわっ」
サモサがびっくりする。
レイは超得意げだった。
「吾輩、水の王だからなぁ♡」
「また言ってる」
しかし魚を素手で捕まえるのは普通に上手かった。
村の子供たちの中でもかなり上手い方である。
「のだっ♡」
レイは魚を岸へ投げた。
ぴちぴち跳ねる。
「夕食追加なのだぁ♡」
完全に農奴の思考だった。
食えるなら嬉しい。
「…………」
サモサはそんなレイを見ていた。
不思議だった。
最初は怖かった。
魔法。
ゴーレム。
土を動かす力。
でも今は。
「…………」
レイは普通に川で遊んでいる。
鳥に怒る。
服を気にする。
魚を捕まえて喜ぶ。
やってることは、ただの村の悪ガキだった。
「のだぁ〜♡」
レイは川を漂っていた。
「平和なのだぁ♡」
すると。
サモサがぽつりと言った。
「……でも、最近いっぱい貴族来るよね」
「のだ?」
レイはぷかぷか浮きながら首を傾げる。
「また来ると思う?」
「来るのだっ♡」
即答。
「なんでそんな平気なの」
「のだぁ?」
レイは真顔になった。
「だって媚びればいいのだぁ♡」
「…………」
サモサは数秒黙った。
「それでいいの……?」
「農奴は媚びるのだっ♡」
完全に自然な価値観だった。
「あと適当に転ぶのだぁ♡」
「それ絶対変」
「のだぁ?」
レイは本気で不思議そうだった。
そしてまた空を見る。
「でも吾輩、今の方が好きなのだぁ」
「今?」
「うむ♡」
レイは水へぷかぷか浮きながら言った。
「畑もあるし、魚もいるし、遊べるのだぁ♡」
それは、本当に農奴の子供らしい感想だった。
豪華さも。
夢も。
野心もない。
ただ。
今日食べられて。
今日遊べて。
明日も川へ行ける。
それだけ。
「…………」
サモサは少しだけ笑った。
「……変なの」
「のだっ♡」
レイはまたどや顔をした。
「吾輩、超変なのだぁ♡」
それは否定できなかった。
夕陽が少しずつ沈んでいく。
川面が赤く光る。
レイはまた魚を追いかけ始めた。
「のだぁああ!!待つのだぁああ!!」
ばしゃばしゃ暴れる。
魚、普通に逃げる。
「のだぁ!?」
サモサが笑う。
レイもつられて笑う。
川辺には、子供たちの笑い声だけが響いていた。




