第二十二話 立ち喰い蕎麦
カウンターの向こうで、手馴れた様子のアルバイトが平ザル湯切りをしていた。
並べた器の褐色のつゆに、麺を泳がせるように入れるとネギを乗せた。
「おまち」
そう言って食券と引き換えに蕎麦を二つ置くと、次の客の湯切りを始めた。
割り箸を手に取って割った。
隣でキーツが「あ」と小さく言った。
その様子を目の端で追うと、不格好に割れた箸が左右の指に掴まれていた。
「ドンマイ」
私もそう小さく言って、蕎麦を手繰った。
立ち上る湯気に、かつおの香りを微かに感じた。
立ち喰いの安蕎麦だ。
特段美味い訳でも無いが、食道から胃にかけて熱が降りていくのが良かった。
つゆを一口啜ってから、七味を振った。
静かに揺れるつゆの上で、エントロピーを増大させるように七味が散っていった。
その動きは誰にも予測など出来ない。
まして思い通りになど——
「私の人生は私の意思の結果だ」
「なんか言った、リヤ?」
「なんでもない。おいなりさんでも食ってろ」
私はカウンターに二百円を置いて、ショーケースのいなり寿司を取った。
「ありがとう」
キーツはそう言うと、不格好な割り箸で口に運んだ。
「あ」
今度は私が声を上げた。
店の壁の上の方に置いてあるテレビに、臨時ニュースのテロップが流れた。
それはあの代議士が、入院先の病院で亡くなったという速報だ。
会社と顧客にとって、最も望ましい結末だった。
これから汚職の証拠が次々と出てくるだろう。
首相とその後ろ盾の議員とは無関係の、重大で決定的な証拠が。
「顧客満足度は守られたな」
そう独り言ちるように言うと「玉子二つ」と言って二百円を置いた。
「祝勝会だ」
私たちは玉子を割入れると、黄身と一緒に啜った。
黄身の甘みが蕎麦とつゆに絡んで、舌の上を滑っていった。
「玉子が入るだけで、こんなに変わるんですね」
キーツが器を持って、つゆを飲み始めた。
のど仏を上下に動かしながら、実に美味そうに飲む。
「いやぁ、このつゆによって自分が生かされているような気がしますね」
「お前は釈迦か」
キーツの言葉は悟りを開いた時の釈迦だった。
スジャータ嬢からヤギの乳を貰った時の。
「バレましたか」
照れ笑いするキーツに「私たちが生かされているのは、本社の胸三寸さ」と私は言った。
太ももの傷が疼いた。
ただ——
生かされている理由がどうあれ、私が生きる理由は昨日、明確に変わった。
「なぁキーツ、私は釈迦とは別の悟りを見つけたぜ」
そう言ってつゆを飲み干すと、口元を手の甲で拭った。




