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「ああ……糸花の前では物騒なことをしないと言ったのに、約束を破ってしまいましたね。でも彼が悪いんですよ」
ROPの放つエネルギー弾に貫かれ、ハゲタカは声もなく床に崩れ落ちた。肉を焦がす臭いがあたりを漂う。ワルターが格納庫で敵兵をしとめたときと同じ臭いだ。とうにおさまったはずの胸苦しさが再び蘇って、ヴァレリーの喉の奥に苦いものがこみ上げる。糸花のいる給湯室へつづく通路を封鎖すると、メイジスは不敵な笑みを浮かべた。
「次はどなたですか?」
これほど勝者があっけなく交代するさまを見せ付けられては、動くに動けない。そっと出口を確認したヴァレリーに気付いたメイジスが、小さく笑った。
「懸命な判断です。白河海の自由期間はじきに切れてしまいますからね。あなた方にわかりやすいように説明してさしあげると、リミッターがはずれる……ということです。そうなれば、白河海の肉体は白河空の意思でしか動かせなくなる。その前に、彼の能力をインサイドとアウトサイド、どちらの発展のために使うのかを決めなくてはならない」
悠然と腕組みをしたメイジスは一度言葉を切ると、祥子に微笑を向けた。祥子の構えた短刀が、特殊金属を切り裂くための光をまとって、青白く輝く。
「先代の白河海が設計していたものが、まだ完成していないんです。ですから博士には、インサイドのために才能を使ってもらわねば困る」
先代の白河海という言葉を聞いた祥子の瞳に怒りの色が満ちる。光によって長く伸びた刀が大きく弧を描く。刀は人間の身体では不可能な動きを繰り返して、休むことなく襲いかかる。
そのすべての攻撃をいとも簡単にかわして、インサイドを司るシステムはわざとらしくため息をつく。
「残念です。あなたは僕の敵になるというのですね」
祥子の短刀を間一髪のところでかわしたメイジスが、息を漏らすようにして短く笑った。
「博士、行って下さい!」
祥子の悲痛な叫びにも、白河は動かない。端末をにらみつけて何かの操作を続けている。キーボードを駆ける指の動きは滑らかで、一切のよどみがない。視線は手元の端末に固定され、情報を追って眼球が素早く上下していた。
「博士!」
もどかしげに、メイジスから視線をそらした祥子にROPが近付く。危険を訴えようと伸ばしたヴァレリーの手を、ワルターが阻んだ。瞳の色が茶色から金色へと変わっている。ヴァレリーが目をみはった瞬間、接射を狙っていたはずのROPが急にぐるぐると宙で回りはじめた。
メイジスが面白くなさそうに、赤い髪の偵察体に視線を向ける。
「偵察機の君も、僕に逆らうんですか?」
偵察機を見下す本体のまがまがしい笑みは、ヴァレリーの背中に悪寒を駆け上がらせた。
「ヴァレリー、あいつと逃げろ」
背中ごしにかけられた声は低く尖ったもので、ヴァレリーは暗澹たる思いにとらわれた。メイジスを壊せば、インサイドの全て──ボーダー要塞へと向かうエレベーターはもちろん、住人への酸素の供給までもが止まってしまう。
「俺にできるのは足止めだけだ。行け」
ファウストもない今、一人でできることなど限られている。たまらなく不安だが、腹を決めた背中にかける言葉は見つからない。ワルターの思いを無駄にすることもうなずくこともできずに、ヴァレリーは拳を固めた。メイジスは祥子の攻撃をかわしながら、ワルターを横目でにらむ。インサイド最大のシステムは、決して敵を見逃しはしないだろう。
「ヴァーチャル・アウトサイドからメイジス攻撃ツールに侵入します」
二基のROPがごとりと音を立てて落ちる。同時に象牙色の壁に埋もれた画面から淡々とした声が聞こえて、ヴァレリーは顔を上げた。
画面の中のフェシスと目が合う。黒髪のシステムはヴァレリーににこりと微笑んで見せた。穏やかで、頼りがいのある笑みだ。常に己を見守ってくれたフェシスに勇気付けられて、ヴァレリーは小さくうなずいた。
白河に駆け寄って腕を引く。それでも端末を手放そうとしない白河に、いらだちもあらわに叫んだ。
「白河、逃げるわよ」
「二度はいやだ」
返って来たのは白河のこわばった声で、隼の異名を持つ少女は目を丸くした。祥子の振るう刀の青白い閃光が、視界の隅で何度も弧を描く。
「似たことがあったんだろ? 同じことをもう一度しろっていうのか」
メイジスの目が祥子に向いている間に、ワルターがハゲタカの死体へと駆け寄る。二丁の銃を拾って即座に撃つ。特殊弾をかわしたメイジスに、つづけざまに通常弾を撃ち込む。通常弾はシステムの皮膚を貫く前に甲高い音をたててはね返った。頬のすぐ横をかすめた弾にへたり込むでもなく、白河は端末を操作しつづける。白衣の裾に隠れた膝が小さく震えているのに気付いて、ヴァレリーは白河の襟をつかんで引き寄せた。
「来なさい!」
「お前、何のためにインサイドまで来たんだよ」
手を振り払われて、ヴァレリーは眉をしかめた。ようやく端末から視線を外した白河は、今までに見たことのないほど鋭い視線でヴァレリーを射抜いた。
「伊庭祥子を助けに来たんじゃないのか」
「そうだけど、今逃げなきゃあの二人のやってることが無駄に……」
「あきらめたら水の泡だろ」
自分よりも幾分か背の高い科学者は、ヴァレリーの言葉が終わる前にはっきりと言い切った。端末に付属する小さなキーボードの上で、カタカタと指が動きを刻む。
「オレが聞きたいのはお前がどうか、ってことだ。オレは今ここであいつらを置き去りにしたら後悔する。だから逃げない。隼、お前はどうなんだ」
「後悔するわよ、間違いなく! でも勝算のない戦いをして何になるっていうの!」
腐れ縁の開発者に悔しさをぶつける。ヴァレリーとて、戦場に背を向けて逃げることに対する抵抗はある。それでも、今逃げなくてはワルターや祥子、フェシスの思いを無駄にすることになる。
躊躇なく前を見据えた隼に、金髪の科学者はひるむことなく答えた。
「勝機なら作ってやるよ。だから、オレに賭けろ」
どうやって、と問う前に、白河が端末のエンターキーを押す。ピピッと電子音がすると小さな液晶画面の上を、文字列がおそろしい速さで走りだした。
「メイジスの停止コードが要求されました。実行中……」
壁に埋まった液晶からフェシスが告げた。目を丸くするヴァレリーに、白河はにやにやと得意げに笑ってみせる。
祥子とワルターの二人を相手にしていたメイジスの動きが、極端に鈍くなる。ワルターは眼鏡を直し、祥子は間合いを計っている。メイジスの様子を探る二人の表情から、刺々しいほどの殺気が消えた。
メイジスさえ停止すれば、再びアウトサイドに逃げることもできる。肩から力を抜きかけたヴァレリーの耳に、壁を小さく叩く音が聞こえた。「開かないわ、どうしましょう」と白河糸花が困惑する様子が伝わってくる。
「停止コード、却下されました!」
フェシスの緊迫した声に再び二人の偵察体が攻撃を再開する。銀閃と特殊弾をかわしたメイジスが、くぐもった声で告げた。
「僕には、譲れないものがあるのです」
メイジスの視線がわずかに壁へと向かう。すぐに感傷を断ち切って二体の偵察型ロボットへと戻した視線には特別な殺意がこもっていた。
今のメイジスは《ココロ》で動いているのに違いない。メイジスにとって最も大切なものは白河糸花だ。彼女がインサイド総督である限り、メイジスはリミッターの切れた白河海を欲する。
白河糸花がインサイド総督でなくなれば、あるいは……。
メイジスを懐柔する方法を考えるヴァレリーの横で、白河がひっきりなしに端末を操作する。メイジスの停止コードを実行する方法を探して試しているのだろう。
──仕方ないことだと思うよ。自分の息子が変な実験に使われるなんて、普通の親なら我慢できないからね。
ふいにハゲタカと話した内容が思い出された。リミッターのはずれた息子が死んでいくことに耐えられず、糸花の時間が止まったのだとすれば……だとすれば、勝機はある。白河糸花を苦しめることは、メイジスの本意ではないはずだ。
「メイジス、待って! 私には、糸花さんが白河のリミッターを外すことに賛成するとは思えない!」
メイジスが目を細くして微笑む。懐かしいものを見る視線がヴァレリーに向けられる。レイリー・モーリスを思い出しているのに違いなかった。
「今している戦いが、無益なものだと仰りたいのですね」
近接戦闘型の祥子と、遠距離戦闘型のワルターを相手にしながら、メイジスは一度言葉を切り、小さく息を吐いて体勢を整えた。
「白河空のインストールされた白河海は、世界にとって必要不可欠なものです。もちろん、糸花は我が子を犠牲にすることに胸を痛めるでしょう。インサイド総督としての立場と母としての立場の間で、ジレンマに陥ることもある。けれども糸花は最終的に、白河海のリミッターを解除することを選びます」
銃弾を腕で弾いて、メイジスは眉を寄せた。
「なぜなら彼女にとって、白河空の稼動は夫との再会でもあるからです」
メイジスがゆっくりと発した彼女という言葉から、ヴァレリーはメイジスの嫉妬を感じ取った。銃声の後に薬莢の落ちる乾いた音が続き、刀のぶつかる音が混じる。切れ間なくつづく戦場の不協和音は、メイジスが感情を殺して笑みを装うのを阻む。
「世界のためと、自分のため。その二つの目的のために、彼女は白河海のリミッターを解除する」
メイジスが祥子の攻撃を白刃取りで止め、蹴りをくりだす。よろめいた祥子が体勢を整える前に、間合いを詰められた。攻撃を加えようと身構えたメイジスを特殊弾が襲う。かわされる。
「そうして糸花は、また絶望する。後悔する。壊れてしまう」
不自然なほどの無表情が、メイジスの思いをいっそう強く伝える。痛々しいほどの願いは決して叶うことがなく、終わりのない地獄が延々とくりかえされている。
「僕では彼女を慰めることもできません。彼女が最愛の息子を見殺しにしたという事実に変わりはないのだから」
象牙色の壁は数々の弾丸がめり込み、穴だらけになっている。フェシスの映る液晶画面にも、黒ずんだひびが入っていた。優しげな光を投げかけていた照明はところどころ割れ、観葉植物は倒れて土をぶちまけている。アーネスト・テイラーの死体から流れ出て広がる血の臭いが、硝煙の臭いに混ざる。平穏な日常は跡形もなく崩れ去った。
「僕にできるのは、白河空の作り出した計画通りにインサイドの支配を行い、糸花の負担を減らすことだけです。糸花が定期的に息子殺しの罪を負わねばならない世界を守りつづけることだとしても」
「知るかよ」
ヴァレリーの背後から聞こえた低いつぶやきは、戦場の音にかき消されることなく真っ直ぐメイジスを撃ち抜いた。
端末に向いていた白河の目が、ちらりとメイジスを一瞥して戻る。メイジスの内部に侵入する作業をつづけながら、今や世界の鍵となった開発者は声を荒げた。
「そんなに母さんを守りたきゃ、今みたいに閉じ込めて、オレを再生しなきゃいい」
「ロボットにとって、マスターの命令は絶対だ」
眼鏡をかけた偵察体が、いらだちを露わにして銃の引き金をひく。標的の皮膚は通常弾をあっけなく弾いた。
「そこの偵察隊の言う通りです。インサイドのシステムとして生み出された僕は、白河空の命令に背くことはできません。だから僕は白河空を恨む。彼を内包する白河海、あなたのことも憎む。白河空が糸花にインサイドの支配さえ託さなければ、あなたに白河空がインストールされていなければ、糸花は壊れずに済んだ」
ワルターとうり二つの顔が苦しみを吐露するのを見ていられなくなって、ヴァレリーは目を逸らす。
──誰も本当のことなんて知らない。人間に見えるものは人それぞれで、しかも刻一刻と変わっていくんだから仕方がない。惑わされればキリがない。だから誰も信じるな。
ROPを補給する間に、ワルターとかわした言葉を思い出す。余計なことを忘れさせてくれる愛機は、ここになかった。
「レイリー・モーリス」
こつ、と床を叩いた音に顔を上げる。メイジスの靴音だった。ヴァレリーに向いた空ろな目が、少しずつ歪みを増していく。
「なぜ、あなたは《ココロ》など作ったのですか」
レイリーのことを言われても困る。けれどもレイリーでないという理由でかわすには、メイジスの苦しみはあまりに深かった。
「自らマスターを選ぶことのできないロボットに、なぜこんなプログラムを組み込んだのですか」
額に張り付いた髪の先から、汗が滑り落ちた。身に覚えのない罵倒に身構えたところで、憎悪に満ちた金色の瞳をワルターの声がさえぎった。
「俺は《ココロ》がないと困る」
真っ直ぐに飛んでいくはずの特殊弾が急に軌道を変え、メイジスの額に飛んでいく。急所をかばった腕に銀色の弾がめり込み、根を生やす。メイジスは舌打ちをすると傷ついた己の腕をひねり、引きちぎった。
「メイジスへの直接侵入、失敗しました」
自分の左腕を投げ捨てたメイジスは、前衛を担当していた祥子との間合いを一気に詰める。ワルターが特殊弾を撃つが、メイジスは祥子の手の上から短刀を握りしめたまま刃を振るい、弾丸を斬った。つづけざまに腕をひねりあげて祥子を蹴ろうとする。黒髪の偵察体は刀から右手を離し、蹴りを防ぐ。上から握りしめられていたからだろう、祥子の対応に遅れが出る。後方へ飛ばされた祥子は、流れに逆らわずに壁に足をつき、もう一本の短刀に光を走らせる。
「私も、《ココロ》というプログラムを誇りに思うわ」
ばねのように身体をしならせて飛びかかる。空中での直線的な動きを援護すべく、ワルターが通常弾を撃つ。胸を深々と貫くはずだった祥子の短刀が、メイジスの右腕を切り落とす。床にめりこんだ短刀から手を離した祥子に、メイジスは余裕の笑みを浮かべてみせた。
「これであなたの武器はなくなりました」
「あなたの腕もね」
不敵に笑った祥子のうしろで、フェシスが淡々と戦況を伝える。
「メイジスが自己修復プログラムを要求。修復プログラムの実行を阻止します。白河海は引き続き停止コードを……」
「見つけた」
フェシスの言葉の途中でピピッと電子音がして、白河が薄く笑った。端末を操作する手がいっそう早くなる。
「メイジスへの停止コード、再度要求します」
フェシスの声と同時に、ワルターが祥子にマシンガンを投げる。宙で受け取って構え、着地後すぐに連射する。弾の跳ねる甲高い音が、あたりに響き渡った。
「停止コード実行中」
フェシスの声とともにメイジスの動きが鈍くなる。
白河海がわずかに片目を細くしたのに最初に気付いたのはワルターだった。




