4-2
メイジスがイトカに缶を渡すと、中身がからからと音をたてた。コーヒー豆が入っているらしい。
「たまには僕が二人いてもいいんじゃないですか」
「そうね。メイくんが二人いれば、きっと退屈しなくていいわ」
無垢な子供のように微笑む糸花に、メイジスも穏やかな笑みを返す。攻撃してくる気配は微塵もなかった。
それでもハゲタカは銃を脇に構え、ワルターはROPの照準を合わせる。下がっていてください、と気迫に満ちた祥子の声がうしろで聞こえた。白河を守ろうとしているのだろう。
「レイリーちゃん、ごめんね。もうちょっと待っててね」
緊迫した空気をものともせず、糸花が隣の部屋へ姿を消す。
完全に糸花が見えなくなったのを確認してから、メイジスは己の敵対者たちの顔を、一つ一つていねいに見つめた。
「役者はそろったようですね」
悠然と腕組みをするメイジスと対峙していると、まるで見下ろされているような気分になる。相手に悟られぬように静かに息を吐いたヴァレリーに、インサイド最大のシステムは仰々しいほどのお辞儀をしてみせた。
「申し遅れました。僕はメイジス。そこにいるU:ER型偵察機の本体です。そうしてインサイドのすべてを掌握し、実行しているシステムです。親愛なる母上のクローンにお目にかかれて光栄ですよ」
針金のように尖った赤い髪に、茶色の瞳、薄い唇。見れば見るほど、姿形はワルターに似ている。大きな違いと言えば口調と口数、表情くらいのものだ。
右腕をうやうやしく胸の前に伸ばす動きにも、宙に浮かんだROPがいちいち反応する。完全にメイジスを狙っている。
「糸花の前では何もしませんよ。銃を下ろしていただけますか」
ハゲタカが素直に銃を下ろしたのに驚いて、ヴァレリーは身体の重心を落とす。ROPは未だにヴァレリーのそばから離れない。メイジスの目がワルターと祥子の間をゆっくりと行き来した。祥子も同じように、臨戦体勢を保っているらしい。
気温も湿度も完璧に管理されているというのに、喉がかわいて仕方がない。ファウストを下りた今、ヴァレリーの武器は腰のホルスターにぶらさがった拳銃しかなかった。その頼りなさに冷や汗を流して、己も銃を構えるべきか迷う。
「武器を収めないのであれば、僕は糸花の身を守るためにあなた方と戦わねばならなくなる。……たとえば、こんなふうにね」
一度言葉を切ったメイジスの瞳が茶から金色に変化する。視線の動きで攻撃タイミングを計っていたヴァレリーが拳銃に手をかけた瞬間、がたんと派手な音がして二基のROPが床に落ちた。
「ROPの制御権を返してもらいました」
余裕の笑みを浮かべるメイジスに、ヴァレリーは全身の毛穴が一気に開くのを感じた。殺気をぶつけられたわけでもないのに、冷や汗が背筋を伝う。ワルターがROPに侵入したときとは比べ物にならない処理速度だ。今目の前にしている敵がシステム本体であることを痛感して、銃に伸ばした手さえも止まる。
ROPの援護がなくなったヴァレリーに、メイジスはにこにこと両手を開いて見せた。危険がないと言いたいらしいが、それでも偵察体たちは警戒を解かない。
「偵察機の君、君の《ココロ》は動いているんですね」
ふふ、と耳障りなメイジスの笑い声が空気を震わせた。
「僕は君の本体ですから、君の考えも行動も手に取るように分かりますよ。君は今、ヴァレリー・モーリスの前に立ちたい。そこからでは、彼女の盾になることができないから。けれども僕がこの部屋にやってくることを察知できなかった時点で、君の負けは確定しています。コピーは本体に敵わないなんて、子供にもわかることでしょう」
「黙れ」
ワルターの腹の底からしぼりだしたような苦い声は、メイジスの言葉が正しいことを報せていた。
以前、これと同じような体験をしたことがある。ヴァレリーは記憶を探ろうとする欲求をおさえた。悠長に思い出している暇はない。
少しずつあとずさるヴァレリーに、メイジスが笑みを見せた。メイジスの足が一歩前へ踏み出そうとした刹那、ヴァレリーはワルターに腕を引かれてバランスを崩した。顔を上げると、赤い髪の偵察機の背中が見えた。
インサイド最大のシステムはわざとらしく目を丸くした後、笑い声をこだまさせる。
「失礼。あまりにもレイリー博士に似ていたものだから、少し近くで見てみたくなったのですが、突然触れようとするなんて女性に対して失礼でしたね」
ワルターの背中越しに見えるメイジスは、あくまで紳士的な態度を崩さない。
象牙色の壁の奥で、コーヒーの豆を砕く音がする。糸花が早く来てくれればいいのにと、ヴァレリーは唇を噛んだ。
「困りましたね。そんなに警戒するようなことはしないのですが、どうしたらわかっていただけるんでしょうか。偵察機の君にも、親愛なら母上のクローンにも、僕は危害を加えるつもりがないのに」
大きなため息をつくと、インサイドを司る最大のシステムはようやく笑みを消した。
「僕が欲しいのは白河海。彼だけですよ」
つられてうしろに視線をやると、すっかり戦闘態勢に入った祥子が短刀と銃を構えている。
メイジスが白河海へと手を差し出す。ワルターの背中がヴァレリーを押した。扉の方へいつでも走り出せるようにしているらしい。小さな動きにも警戒するワルターを見て、ヴァレリーは自分たちがいかに不利な状況にいるのかを痛感せざるおえない。
「伊庭祥子さん。あなたにお会いするのは五年ぶりですね。アウトサイドでの生活は堪能できましたか?」
メイジスの言葉に、ヴァレリーは伊庭祥子の記憶を追体験したときのことをはっきりと思い出した。
口元の笑みはそのまま、メイジスの金色の瞳が鋭さを増していく。あまりの禍々しさに、ヴァレリーは再度拳銃の位置を確かめた。いつでも撃てるよう、心構えだけはしておく。いつ攻撃がはじまってもおかしくはない。
「先代の白河海を回収したときのことを思い出しますね。まったく、あなたもしつこい人だ」
「白河博士……下がっていてください」
武器を両手に持って身を低くした祥子は、うしろ手でかばうでもなく白河にそう告げた。白河は祥子の復旧作業以来開きつづけている端末とメイジスの間で視線を左右させる。
あくまでも戦闘する意思を見せる祥子に、メイジスは小さく笑った。
「旧型のあなたが、常に改造と増設をくりかえしている僕に勝てると? ロボットが合理的でなくてどうするんです。五年前だって敵わなかったじゃありませんか。早々に白河海を渡していただけませんか」
「そういうわけには、いかないんだよねぇ」
重苦しい空気の中に突如として割り込んできたハゲタカの声は、完全に浮いていた。
「あなたは……どなたですか。初めて見ますね。僕のデータにも……ない……?」
不審さを隠しもしないメイジスに、ハゲタカは大笑いして華々しくカツラを投げ捨てた。
「はじめまして!」
同時にマシンガンの銃口が向けられ、鉛の弾が銃口から射出される。
「ずいぶんせっかちな方ですね」
鉛の弾は見事にメイジスに命中したが、ロボットに通常の武器など効果がない。人工皮膚が破れただけだ。
「そうだねぇ。僕は改造されたクローンだから、君たちロボットのように過去に蓄積しといたデータを検索する手間もいらない。戦い方は身体に染み付いているからね、君たちから見ればせっかちなんだろうさ」
ハゲタカが尻ポケットから出した携帯端末のボタンを間髪いれずに押す。メイジスの顔から余裕の表情が消えた。
「こういうの、なんて言うか知ってる? 歴戦の猛者だよ。うぅん、自分で言うと流石に照れるね。狂戦士の方が似合ってるかも。でもこれも恥ずかしいなぁ。自分で言うものじゃないね」
象牙色に塗られた壁が急に音をたてて動いた。左右に開いた壁の中から大きなモニタが現れる。
黒々とした画面にすぐ光がともって、画面いっぱいに赤いブロックが表示される。画面の真ん中に、ヴァレリーの見知った顔が映った。
「ヴァーチャル・アウトサイドよりインサイドへの侵入、成功しました」
「フェシス!」
画面の中から、涼やかな瞳がヴァレリーに向けられる。その水色の瞳がわずかに微笑んだ気がして、ヴァレリーは強く勇気付けられた。
「メイジス君ね、君、自信家だから、きっと弾を避けないだろうと思ったんだけど、大当たりだったねぇ。いやぁ、ここまで見事に決まってくれるとうれしいなぁ。カツラを脱いだ甲斐があるね。その弾、イバ君の妹分だからね。すごいでしょう。対ロボット専用弾。インサイダーが馬鹿にしてるアウトサイドにも、そんな新技術があるんだよね。アウトサイドのロボットは近接戦闘に秀でるって聞いたことない? だからこういう開発が進んでるわけ」
「主任、機密をべらべら喋らないでください」
即座に指摘する祥子に、ハゲタカは「いつもの調子が戻って来てくれて、僕としてもうれしいよ」と快活に笑ってみせた。
液晶画面の赤いブロックは次々と青へ変わり、その数を増やしていく。
「今回の弾は特別製。アウトサイドのシステムちゃんの特製だからね。さすがの君でもこれはキツイだろう? 姉妹機ならぬ姉弟機だから、基本的な性能にはほとんど差がないらしいじゃない。特化した能力が違うだけでさぁ」
片膝をついたメイジスの目元が歪む。ワルターと同じ顔が苦しんでいるのがどうにも慣れない。ワルターの背中に触れると、視線をメイジスに固定したままで彼はうなずいた。
「戦うつもりはないと言っているのに、野蛮な人たちだ」
荒い息の下でうなったメイジスに、画面の中のフェシスが淡々と告げた。
「自我ブロックへの接続……排除されました。再接続します」
「さすがに自我は制圧できないかぁ。地道にやるしかないね」
ヴァレリーが肩から力を抜いた途端、つづき間の奥から湿気を伴ったあたたかな香りが漂ってきた。おそらく糸花のいれたコーヒーだろう。メイジスにばかり気をとられていた自分に苦笑する。
今の状況を糸花が見たらどう思うのだろう。ヴァレリーの心がざわついた。先ほど接した姿からは想像もできないが、インサイド総督としての顔になるのかもしれない。
「ヴァレリー……あなたは僕を攻撃するつもりがないのですね」
切れ切れの息の下で名前を呼ばれ、ヴァレリーはあわてて我に返った。
「今なら簡単にとどめが刺せる。あなたの嫌ったインサイドを動かしてきたシステムを壊せば、後はあなたが好きなように世界を作り上げることができます」
己を滅ぼすことをすすめるシステムに、ヴァレリーは眉を寄せた。
インサイドの管理制度に疑問を感じたのは確かだ。けれどもメイジスは与えられた役目をこなしているに過ぎない。実行者であるメイジスを破壊したところで、インサイドのあり方は変わらないだろう。そしてメイジスを破壊することが、白河海を救うことに繋がるとも思えない。
「それとも、自分の手を汚したくありませんか」
メイジスの言葉を鼻で笑って、ヴァレリーは薄い胸をはった。
「《ココロ》を持ったロボットを壊すのは、人間を殺すみたいだから……なんて言うつもりはないわ。生憎、人ならいっぱい殺してるの」
メイジスを壊せば、次はアウトサイドが白河海を狙うだろう。事態は何も変わらない。
口にしかけてやめた。手の内を知られるのは得策ではない。アーネスト・テイラーはアウトサイドの利益を考えて動く人間だ。伊庭祥子も元はと言えばフェシスの偵察体なのだから、どちらも味方であるとは言い切れない。インサイドから白河海を守るという目的のために、一時的に手を組んだのに過ぎない。インサイド最大のシステムすら苦しめる特殊弾を目にした今、ハゲタカを敵にまわすことは避けたかった。
ヴァレリーが言葉を選んでいるうちに、のんきな声が部屋の奥から届いた。
「ねぇメイくん、ちょっと手伝ってくれないかしら?」
メイジスの顔が強張った。
「今日はお客さんが多いから、一人じゃ持ちきれないの。お願い」
鼻歌まじりの糸花の声がつづく。インサイドを司るシステムは、己の破けた人工皮膚に指を差し入れ、特殊弾をえぐりだそうとする。
「ムダだよ。撃ち込まれた場所から侵食していくタイプの弾だからね」
「ねぇ、メイくんってば」
糸花の無邪気な声に、一度わずかに目を細め、メイジスは胸に根を張っていた弾丸を一気に引き剥がした。
絶句するハゲタカに、メイジスは殺意に満ちた視線を向ける。
「メイジスが防壁を展開中。これ以上の侵入は期待できません。制圧済みのブロックの保全を優先します」
フェシスが淡々と戦況を伝える。ハゲタカはマシンガンを構えたまま、舌打ちをした。
「なるほど、《ココロ》ってのは厄介なもんだ。糸花さんのためなら無理も押し通す。白河陸の情報通りだねぇ」
メイジスが乱れた赤い髪を手ぐしで直して、何事もなかったかのように立ち上がる。裾を払いながらも、視線はアーネスト・テイラーの動きを追っている。
「少し待っていてください、糸花。今、お客人の相手をしているのです」
「それじゃ仕方ないわね……」
ハゲタカが「お客人ねぇ」とにやつくと、メイジスが不敵な笑みを返した。互いの放つ殺意と圧に押しつぶされそうになって、ヴァレリーは細々と息を吐いた。
「どこかにトレイ、あったかしら」
部屋の奥から聞こえていた糸花の鼻歌が途切れた瞬間、ヴァレリーの目が小さな光をとらえた。
「熱源反応あり!」
フェシスとワルターが同時に叫ぶ。ヴァレリーは突き飛ばされながらも、視界の隅でROPが急浮上したのをとらえた。背中に床の固さが伝わるのと同時に、象牙色の部屋がさらに白く染まった。
「正当防衛ですよね、これ。僕は荒事をするつもりはない、と言ったのに」
「ヴァレリー! ケガはありませんか!」
液晶画面の中で取り乱すフェシスの声が聞こえる。
先ほどまで勝者として戦場を見下ろしていたハゲタカの胸を、鋭い閃光が貫いていた。




