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4-1

 目を凝らしてみると、殺風景な部屋の中心に座り込んだ蜂蜜色の髪の女がふと笑った。女の膝の上に黒髪の女性型ロボットが力なく横たわっている。ヴァレリーの背筋にぞくりと悪寒が走った。


「祥子さん……!」


 思わず駆け寄ったヴァレリーの顔を見て、女は焦げ茶色の瞳を見開く。膝の上に乗った伊庭祥子に見入るヴァレリーに、見知らぬ女が恐々と手を伸ばす。触れた指先の冷たさに、ヴァレリーは思わず身を退いた。


「レイリーちゃん? レイリーちゃんよね」


 白河の母……白河イトカが呼んだのは、試験管から生まれたヴァレリーたちの元となった人物の名だ。オリジナルの記憶など、当然ヴァレリーは持っていない。追体験したことすらない。身に覚えのない過去を問いかけられても戸惑うばかりだ。


「メイくんもどうしたの? 眼鏡なんてかけて」


 ワルターを見て無邪気にくすくすと笑うと、イトカは膝の上で眠る祥子の額をそっとなでた。


「フェスちゃん、起きて。皆来てくれたわよ。……困ったわね、起きてくれないわ。メイくんが連れてきてからずっと眠ったままなのよ。でも疲れてるなら、こうして寝かせておいた方がいいのかしら」


 微笑みとともに祥子の頭をなでる優しげな手は、ヴァレリーが先ほど触れた冷たさとはなかなか繋がらなかった。私はレイリーじゃない、人違いだと言いそびれてしまった。眠る祥子の様子が聞きたくて振り向くと、白河がうなずいた。


「母さん、ちょっといい? 彼女、整備した方がいいかもしれない」


 祥子に手を伸ばした白河を、ワルターが「オレがやる」と制止する。白河海のリミッターのことを気にしているのに違いない。


「フェスちゃん、壊れてるの?」


 驚きに目を丸くしたイトカからはインサイド総督としての印象はまるで感じられなかった。床に広がったイトカのスカートは大輪の花のようで、そこから支配者の影は微塵も感じられない。けれども彼女に対する警戒を、ヴァレリーは消すことができなかった。疑心暗鬼に駆られたというより、本能がある種の警告をしていた。

 まずは人違いを正そうと顔を上げた。レイリーに間違えられたままでは落ち着かない。ヴァレリー・モーリスはレイリーのクローンなのだから間違えられるのは仕方がないと頭では分かっていても、これ以上そっくりだと思い知らされるのは癪だ。

 声をかけようと息を吸い込んだヴァレリーの背後に、そっとハゲタカが立った。


「イトカさんは壊れているから、何を言っても無駄だよ」


 瞬時に言葉を飲み込んだ。壊れているとはどういうことだろう。そういえば伊庭祥子の記憶を見たときに、メイジスもそのようなことを言っていた気がする。視線でたずねると、ハゲタカは薄く笑った。


「彼女にとって伊庭君はフェシスだし、ワルター君はメイジスでしょ。海君も、クローニングされてない一番初めの白河海のまま。隼のお嬢ちゃんをレイリー・モーリス博士でないと認識するのは無理だよ。わかるかい。彼女の時間は止まっているんだ」


 イトカの横顔を盗み見た。その目は不安におびえることなく純粋に輝いている。白河海とメイジスに対する絶対の信頼がうかがえた。


「仕方ないことだと思うよ。自分の息子が変な実験に使われるなんて、普通の親なら我慢できないからね。海君はリミッターをつけられて白河空をインストールされ、白河陸は機械の身体にされてしまった。イトカさんは、白河陸が自分の意思で動いているって信じられないんだよ。白河陸が空さんの研究に協力するはずがないと思っている。だからイトカさんにとって、アウトサイド代表の白河陸は、かわいい息子を殺した仇そのものなんだ。イトカさんだって全身機械なんだから、白河陸に自分の意思が残っていることくらい、わかりそうなものなのにね」


 ハゲタカはいつもより声を抑えたまま小さくため息をついた。そこに一抹の寂しさを見て、ヴァレリーは何も返事できぬままに母と二人の息子たちを見た。


「アウトサイド代表とイトカさんが対立するのはそんな理由だよ。科学の発達に、人の心はついていけない」


 イトカの横顔が笑う。世間話をしているらしい平和な声が聞こえて胸が痛んだ。ハゲタカの様子をそれとなくうかがうと「慣れてるよ」と短い答えが返って来た。


「白河陸のあだ名がマサムネというのは知っているよね」


 ヴァレリーがうなずいたのを目の端でとらえたのだろう、ハゲタカはイトカの横顔に視線を向けたまま言葉をつづけた。


「白河陸は自分のことをマサムネと呼んだ。それはね、昔、日本地区にいた、伊達政宗という強いサムライになぞらえてのことだ」


 ハゲタカの短いため息に気付かないふりをして、ヴァレリーは言葉のつづきを待った。


「伊達政宗は、弟を領主にしようとした母親に毒殺されかけた。僕は末端組織だから、本体である白河陸の情報をすべて知っているわけではないけれどね……きっと、白河陸にとっての家族はそういう、油断のならないものだったんじゃないかな。だからマサムネって呼び名は、自虐的な意味合いだ」


 遠くで火花が散った。伊庭祥子の修理がはじまっているらしい。ワルターが修理の途中でちらりとヴァレリーに視線を戻して、何か言いかけてやめた。心配してくれているのだろう。ヴァレリーが小さく手を上げてこたえると、赤い髪のロボットはそのまま修理へと戻った。

 傍でくすくすと空気が揺れたのに視線を戻す。テイラー主任が自嘲とも違う穏やかな笑いをもらしているのに、ヴァレリーは面食らった。


「伊達政宗は片目に眼帯をしている。志半ばで殺された父の遺志を継いで、領地を治めた。そんな強い男に自分をなぞらえることで、白河陸は強くあろうとしたんだろうねぇ。かわいいじゃない」

「それ、自分で言う?」


 言うか言うまいか迷って口にする。ハゲタカが話を茶化したということは、話がここで終わりだということだ。語り手がこの先の話を望んでいないのであれば、それでいいだろう。


「隼のお嬢ちゃんのそういうとこ、おじさんは好きだなぁ」


 頭頂部が見事に禿げ上がった中年男性の言葉なのにも関わらず、ヴァレリーは小さくうなって身構えた。ワルターの一件ですっかり過敏になっている。じりじりと距離をとると、ハゲタカが満面の笑みで「ないない」と手を振った。顔を伏せて視線を合わせず、早足で祥子のところへ向かう。復旧作業は順調なようだった。


「具合はどう?」


 ワルターの瞳がいつもと違う金色になっているのに気付いて、途中で声をひそめる。白河はどっかりと床にあぐらをかいて生返事をした。ワルターが顔を上げて白河を一瞥するが、ヴァレリーへの説明を期待できないことを悟ったらしい。代わりに説明してくれた。


「フェシスから渡された近接戦闘用の蓄積データを複写してるところ」

「まだかかりそう?」


 よく見るとワルターの眼鏡の裏側に、祥子のデータらしき数字の羅列が見える。横の長さの違う数列がかなりの速度で流れていく様子は、音声グラフに似ていた。


「伊庭祥子は旧式だから時間がかかったけど……あと五分以内には終わる」


 ワルターの言葉に安心して、そっと白河イトカの様子をうかがう。目が合うとにこりと笑みを返された。


「レイリーちゃん、久しぶりね。メイくんもフェスちゃんも元気よ」


 イトカは伊庭祥子をフェシスだと勘違いしている。目の前で横たわる祥子が元気だとは到底思えずに、ヴァレリーは曖昧な笑みを返した。イトカの真っ直ぐな髪が太陽光を真似た人工の光を反射して、輝いて見える。無邪気で清らかな微笑は壁画を見ているような気にさせられた。支配者らしい点といえばかろうじてそんなものを見つけられる程度で、イトカはとてもアウトサイドと戦争をしている人間には見えなかった。

「イトカは壊れている」というハゲタカの言葉を思い出して視線を左右に走らせる。白河は伊庭祥子の復旧作業に集中していて、ヴァレリーに気付きもしない。ワルターはほんの少し気にする気配を見せたが、すぐに作業に戻った。


 ──イトカさんにとって、アウトサイド代表の白河陸は、かわいい息子を殺した仇そのものなんだ。


 白河イトカという人はどこまでも母親なのかもしれないと、ヴァレリーは小さく息を飲んだ。息子の仇ともなれば、目の前で優しく微笑んでいるイトカも豹変し、躊躇なく人を殺すのだろう。ヴァレリーはそれをおかしいとは思わない。操縦桿を握った自分と同じだ。


「複写完了。白河海、プログラム実行のための最終確認を」


 淡々とした声がヴァレリーの思考を破った。白衣の男が大袈裟に目を丸くしたのも気にせず、ワルターは祥子に繋げていたコードを抜いて耳の裏に格納している。


「え? マスターコード偽造すんの? 俺がマスターって」

「違う。彼女のマスターはあんたのままだ」


 白河が興味なさそうに「ふうん」と唇をとがらせて、伊庭祥子に接続した端末を操作する。とん、と実行キーを叩くと、ほどなくして稼動音がした。

 響く処理音に不安をかきたてられて祥子をのぞきこんだヴァレリーに、イトカがつづけて顔を出す。起動を報せる音がして、伊庭祥子の薄く閉じられたまぶたが小さく動く。天井の人工太陽の光に、一度目を細める。知覚明度の調節をしたのだろう。


「起動完了しました」

「よかった。おはよう、フェスちゃん。メイくんも海くんもありがとう」


 にこやかに両手を叩くイトカの横で、ヴァレリーはこみあげる言葉を飲み下して、ひそかに息を吐いた。伊庭祥子の声は平坦で機械的だ。記憶の復旧に成功したのかを聞きたいヴァレリーの気持ちは、わずかばかり暗くなる。


 ──もし、彼女が大切にしてきたものを忘れてしまっていたら?


 伊庭祥子が蓄積してきたデータはちゃんと復元できたのだろうか。祥子の記憶を追体験したとき、彼女の記憶は確保した。けれどもその記憶が実際に復旧されているかの保証はない。白河に視線で問いかけるが、端末の画面に集中しているらしく、気付いてさえもらえなかった。軽く舌打ちしてワルターへ顔を向ける。祥子の起動が済んで安心したのか、肩から力を抜いてため息をついているところだった。

 黒髪の女性型ロボットは何度かまばたきをして、床に触れた指に力をこめた。ゆっくりと上半身を起こしてあたりを確認する。表情は読めないが、自分の置かれた状況にずいぶん戸惑っているようにも見えた。

 祥子さん、と呼びかけようとしてやめた。もしもこれまでのデータが再現されているのなら、最初に声をかけるのにふさわしいのは白河だ。当の本人はいつまでも携帯端末の画面をにらんでいる。いらだちもあらわにわざとらしくため息をつくと、何を思ったのかイトカが勢いよく立ち上がった。


「気付かなくてごめんなさい! レイリーちゃん、お茶ね!」


 予想もしなかったことをはつらつとした明るい声で言い切られ、とっさに否定もできずにヴァレリーは困惑した。端末の画面をにらみつけながら、使い終えたコードの片付けをはじめた白河が「オレ、番茶がいい」と主張する。


「海くんは番茶、私は紅茶、レイリーちゃんはコーヒーでいいかしら? メイくんとフェスちゃんもいる?」


 指さし確認をしていた白河イトカの動きが、ハゲタカのところで止まる。


「……あなた、誰?」

「今気付いたの……?」


 思わずツッコミを入れたヴァレリーに、ハゲタカはけらけらと「存在感を消すのが仕事みたいなもんだからねぇ」と笑い声をあげた。


「はじめまして。白河イトカです。糸の花と書いて糸花。変わった名前でしょう? でもこれは当て字なんですよ。日本出身の主人が、出会った頃に私の名前に漢字を当ててくれたんです。主人は研究者ですから現実的な人だと思っていたんですけれど、糸の花だなんて、ロマンチックなところもあるでしょう。結婚してみて、もっと驚きました。本当に夢見がちなんですもの。研究者に夢見がちな人間なんていないと思われるかもしれませんね。私もね、ずっとそう思っていました。でもね、研究というお仕事は夢を現実にするものなんだって主人に言われて、目から鱗が落ちました。あ、目から鱗が落ちるというのは旧約聖書から生まれた表現ですね。あなたの国ではなんと言うのかしら。真実を知る……ううん、少し違うわね……メイくん、調べておいてくれない? あら、私ったらまだお名前を聞いていませんでしたね。ごめんなさい。あなたのお名前を教えてくださいな」


 口をはさむ暇を与えず、一方的に喋りつづけた糸花がようやく口をつぐむ。慣れぬヴァレリーは一人で顔をひきつらせた。白河は慣れているらしく、またかと呆れている。伊庭祥子やワルターもやはり驚かなかった。ハゲタカは苦笑いもせず、さわやかに「アーネスト・テイラー。イギリス地区出身です」と答えた。


「まあ、イギリス……やはり諜報活動がお得意ですの?」


 何かに感づいたのか顔を曇らせてそんなことをたずねた糸花に、ハゲタカはにこやかな笑みを浮かべたまま、薄く目を細めた。


「まさか。イギリス地区が諜報活動に秀でていたのは何世紀も昔の話です。今は、そんなこともないですよ。二十一世紀に間違った情報でアメリカを戦争に駆り立ててからというもの、諜報活動が得意だと胸をはるわけにはいかなくなりましたしね」


 いつものハゲタカの口調とは全く違った受け答えに、ヴァレリーは小さく目をみはった。偵察を生業とするハゲタカだ。身分も口調も経歴も、あっさりと偽ることができるのに違いない。


「イギリスの方なら、紅茶がいいかしら?」

「ええ、よろしく」


 にっこりと微笑んだ白河糸花は、ハゲタカが己の息子を元にして作られた偵察体だと、微塵も疑っていないようだ。


「じゃあ、少し待っていてね」


 そう告げて五人に背を向けた糸花が、給湯室らしきつづき間に消えていく。壁に備えつけられたインターホンでメイドロボットを呼ぶものだとばかり思っていたヴァレリーは面食らった。


「あら……コーヒーがないわ」


 戸棚を開けてあちこちを探し回る音がする。それなら紅茶でいいと伝えようとしたら、給湯室からひょっこりと糸花の顔が出てきてインターホンを押した。


「コーヒーを持ってきてくれないかしら。切らしちゃったみたいなの。……うんそう、お客さん用」


 のんびりしているようで、意外に動きが素早い。ちょっと待っててね、とにこやかに言われてしまっては、うなずくよりない。ヴァレリーは手持ち無沙汰に、天井に埋め込まれた人工照明の光をぼんやりとながめた。太陽光とは違い、人体に有害な光線を含まない光だ。それでも白河陸とその賛同者はインサイドを出ることを選んだ。

 自分はどちらだろう、と息をつく。アウトサイドが有害光線を阻むバリアを作ることができれば、そのときはアウトサイドを選ぶのかもしれない。バーチャル・アウトサイドは、インサイドと比べれば自由だ。けれどもインサイドのように、実際に人や物に触れることはできない。

 ふいに与えられた時間で比較をしはじめた自分に気付いて、ヴァレリーは苦笑した。我がことながら、ずいぶん余裕があるらしい。今の自分に心休まる場などないのだと言い聞かせて、背筋を伸ばした。

 偵察任務中にアウトサイドの戦闘機と戦い、亡命するときにはインサイドの守備隊と戦った。アウトサイドで幽閉されてから逃走して、再びインサイドに潜入するために戦った。両方の国を相手に派手にやらかしているのだから、フェシスやワルターが呆れるのも無理はない。

 ふいに風の流れが変わった。音もなく開いた扉の向こうから現れたのは、赤い髪に金色の瞳を持つ、ワルターとよく似た顔をした男だった。

 瞬時にハゲタカが銃を構える。一瞬反応が遅れたヴァレリーの目の前に、ROPがすぐに回りこんだ。


「ああ、ありがとう。メイくんがコーヒーを持ってきてくれたのね。……あら? どうしてメイくんが二人もいるのかしら」


 場違いな糸花の声が、廊下にまで響いた。

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