Chapter 6
次の日の朝、少年は窓から差し込む柔らかな春の光と、耳元で響く愛らしいイルカの声で目を覚ましました。
「朝だよ!起きて、学校だよ!」
イルカがベッドの周りをパタパタと飛び回りながら、嬉しそうに急かしてきます。少年はまだ胸の奥にある憂鬱な気持ちを拭いきれないままでしたが、重い身体を起こして、仕方なくリビングへと向かいました。
食卓には、お母さんが作ってくれた、みずみずしい春の野菜などが彩り豊かに並んでいます。
「やったぁ!朝ごはんだ!!」
イルカは大はしゃぎです。それもそのはず、イルカがこの家に来てから、みんなで囲む初めての朝ごはんなのですから。
「今日から新学期ね。お母さんもこれからの生活がとっても楽しみだわ~」
お母さんが微笑みながらそう言うと、イルカもその言葉に同意するように、嬉しそうに何度も頷きました。
「いっただっきまーす!!」
イルカはさっそく食卓の自分の席に着き、器用に美味しいご飯を食べ始めました。ニコニコと満面の笑みを浮かべ、本当に幸せそうに一口ずつ味わっています。少年は緊張のせいでどうしても食欲が湧かず、ぽつぽつと静かに箸を動かすだけでしたが、そんな少年の分まで、イルカはバクバクと勢いよく食べて場を盛り上げてくれました。
二人が朝ごはんを食べ終えると、お母さんが用意してくれた新しい服に着替え、自分のランドセルを背負いました。そして大きく深呼吸をしてから、お母さんと一緒に玄関の外へと踏み出しました。
学校へ行く道すがら、周りを見渡すと、同じようにランドセルを背負った地域の児童たちが、それぞれ自分のアミキティアを嬉しそうに連れて登校していました。犬や猫、そして鳥など、多様な生き物たちが子供たちの歩幅に合わせて歩いています。
イルカは、不安で下を向きがちな少年の周りをぐるぐると優しく周りながら、何度も声をかけ続けていました。
「大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫。僕がずっと隣にいるからね。」
イルカのそのひたむきな励ましに、少年は何度も心の中で「ありがとう」と呟きながら歩みを進めました。
そして、いよいよ新生活の舞台となる立派な校舎、ピリカ小学校へと到着しました。
お母さんと共に緊張しながら職員室へ向かい、新しい担任の先生と丁寧な挨拶を交わします。そして、お母さんとはここで一度お別れです。「頑張ってね」と優しく背中を押され、少年はいよいよ新しい教室へと先生の後に続いて一歩を踏み出しました。
先に先生が教室へと入り、ざわついていた教室内で朝のホームルームを始めます。トントンと黒板を叩き、先生がクラス全体へ向けて告げました。
「今日からこのクラスに、新しいお友達が加わりました。」
その言葉を合図に、少年はクラスの中へと案内されました。しかし、一斉に注がれる何十人もの視線に圧倒され、少年はどうしても前を向くことができません。
教壇の横で小さく身を縮める少年のそばで、イルカも心配そうな顔をして、きゅっと少年のズボンの裾に寄り添いながら見上げていました。
担任の先生は、少年の名前を黒板に書きながらクラスの皆に教え、緊張する少年に優しく自己紹介を促してくれました。少年がなんとか声を絞り出して挨拶を終えると、先生は優しく席を指さします。
「君の席は、あそこ。山本さんの隣ね。」
先生に言われた通り、少年は指定された新しい席へと静かに座りました。
隣の席の山本さんや周りのアミキティアたちが、興味深そうにイルカを見つめています。
イルカは「よろしくね!」とばかりに目を輝かせて小さくヒレを振っていましたが、少年はそれとは全く対照的に、過去の記憶がフラッシュバックしてしまい、ただただ憂鬱な気持ちで机を見つめていました。
やがて、一時間目の授業が始まりました。最初の単元は、算数の「掛け算」です。
クラスのみんなの机の上に、カラフルで綺麗なプラスチックのおはじきが沢山配られました。先生が黒板の前に立ち、お題を出します。
「では、手元のおはじきを、それぞれ3つずつに分けてみて下さい。」
そう言われて、クラスメイトたちは慣れた手つきでテキパキとおはじきを動かし、3つで1つのグループになるよう、綺麗にまとめていきました。
ところが、ただでさえ緊張で頭が真っ白になっていた少年には、それがとても難しい作業に思えてしまいました。周りの子がどんどん作業を終えていく中、焦れば焦るほど手元のおはじきが上手くまとまりません。
周りのみんなは、あっという間におはじきを綺麗な3つのグループに分ける事ができていました。先生が続けて問いかけます。
「3つのグループに分けられましたね?では、そのおはじきの塊は、全部でいくつのグループができましたか?」
クラスメイトたちは、元気よく異口同音に答えました。
「4つ!」
「正解です。じゃあ、全部でおはじきは何個ありますか?みんなで一緒に数えてみましょう!」
先生の言葉に、クラスメイトたちはまた声を揃えて弾んだ声で答えました。
「12個!!」
「その通り!このように、同じ数のまとまりを計算する時、算数では『4かける3は12』と言います。」
先生が黒板に数式を書いていきます。しかし、少年は完全にそのスピードについて行くことができませんでした。新しい学校での、記念すべき最初の一歩目で、少年はまたしても大きな躓きを感じてしまったのです。
チャイムが鳴り、1時間目の授業が終わって、休み時間になりました。張り詰めていた緊張が解け、机に伏せそうになる少年の元へ、イルカがそっと近づいてきました。
「よしよし。大丈夫だよ。難しかったね。僕が後でいくらでも教えてあげるからね。」
そう言って、イルカは優しく少年の心を一生懸命に慰めてくれました。
ふと周りを見渡すと、クラスメイトたちは自分のアミキティアと一緒に楽しそうに遊んだり、校庭へ飛び出してボール遊びをしたりしています。しかし、転校生である少年の元には、誰も声をかけに来てはくれません。クラスメイトたちは見向きもせず、自分たちの輪で盛り上がっています。
(やっぱり、自分なんかじゃどこへ行ってもダメなのかな⋯⋯)
少年はますます自分に自信が無くなってきてしまい、静かに席で心を閉ざしてしまいました。イルカはなんとか少年を元気づけようと、
「ねえ、僕たちも遊びに行こうよ。早く行こう!」
と声をかけてくれますが、今の少年にはその一歩を踏み出すのが、やっぱりどうしても難しいことでした。
結局、誰とも言葉を交わすことができないまま、初めての学校の一日を、少年はただ淡々と、静かにやり過ごすようにして送り、終えるのでした。




