2-4 ナツキ
――そんなこんなで配管修理は無事に完了した。
最後の固定ボルトを締め終えたセイナは、工具を腰のホルダーへ戻しながら大きく息を吐き出し、作業用モニターに表示されている圧力値や流量を一通り確認した後、異常なしの表示を見てようやく肩の力を抜いた。
艦内時計は既に昼を回っている。
交換した配管そのものは決して複雑な構造ではなかったが、問題は作業場所だった。ノア中層部のさらに上。一般住民がまず立ち入ることのない保守区画。
何層にも重なった足場と巨大な配管が複雑に交差し、その隙間をケーブルラックや整備用レールが縫うように走っている空間は、まるで巨大な機械の内臓のようだ。
飛行能力を持つアストレアでなければ移動するだけでも一苦労だろう。もっとも今回に限って言えば、その作業は驚くほど順調だった。作業担当とその補助担当。二人になるだけでこんなにも違うものだったとは。
作業を終えた二人は、保守用の足場の一角へ腰を下ろし、それぞれ持参していた昼食を取り出す。
ラップで包まれたおにぎり。具はおかか。朝、出発前にセイナが握ったものだ。特別な材料を使っているわけでもない。むしろ極めて普通のおにぎりである。
「美味い、あまりにも美味い!」
ナツキが声高らかに告げる。
「そ、そう? 別に普通だと思うけど」
もう一口かじる。
「すごく美味しい。シェフを呼べ」
「隣りにいるわ」
セイナも一口食べる。
塩気とカツオの旨味が広がる。肉体労働であるため、少し濃いめの味付けにして正解だったようだ。我ながら確かに美味しい。空腹だからという理由もある。
だがそれ以上に、この場所が良かった。
普段より遥かに高い位置。見渡せば艦内の街並みが遠くまで続いている。増築を繰り返した建物群は積み木を無理やり押し固めたように密集し、その間を縫うように渡り廊下や階段が伸びている。
人々が暮らし、働き、笑い、怒りながら生活している巨大な箱庭。その全てを見下ろせる場所だった。
背後からは低く規則的な振動音が響いている。先ほど交換したばかりの配管だ。内部を大量の水が流れるたび、金属壁が微かに震え、まるで巨大な生物の鼓動のような脈動を足場へ伝えていた。
ナツキがその音へ耳を傾ける。
「今日直したのって何の部品なの?」
「生活用水用の配管よ」
セイナはおにぎりを持ったまま指差した。
「ほら、見えるでしょ」
ナツキも視線を向ける。
巨大な主管だった。人1人が内部で歩けそうなほど太い円筒が遠くまで伸び、その途中から無数の枝が生え、さらに細かく分岐していく様はまるで血管のようだった。
「この太いのが幹線。そこから中型配管、小型配管って分かれていって、最終的には各家庭の蛇口とかまで繋がってるの。飲み水も、お風呂も、洗濯も全部これ」
指先で配管を軽く叩くと、鈍い金属音が返ってきた。
「だからこれが壊れると結構大騒ぎになるわ」
ナツキはしばらく配管を見上げていたが、不意にぽつりと呟く。
「なんか生き物みたいだね」
「ノアが?」
眼下に広がる街を見下ろしながら言う。
「そう、血管みたいなのがあって、人がいて、ずっと動いてて」
確かにそうかもしれない。ノアは単なる船ではない。人々を乗せ、循環し、呼吸し、修復を繰り返しながら生き続ける巨大な生命体のようなものだ。
その時だった。
ゴゴゴッ――と足元を通じて鈍い振動が伝わってくる。船体そのものが揺れたような感覚だった。
ナツキが顔を上げる。
「地震?」
「海の上だからそれはない」
仮に地震だとしてもここまで大きく揺れることは無い。だから、セイナは即座に否定し、エーテルスーツ内蔵の時計を確認した。
十三時ちょうど。その数字を見て納得する。
「今日は開放日だったわね」
そう呟くやいなや、頭上から巨大な駆動音が響き始めた。巨大な金属同士が擦れ合い、ロック機構が解除され、数百メートル単位の構造物がゆっくりと動き出している音。
2人で上部を見上げる。
天井を埋め尽くしていた巨大構造物が左右へ移動していく。配管、補強骨格、通路、証明、外殻装甲。それらが巨大な花弁のように少しずつ開いていく。そして──光が差し込んだ。
「うわぁ……!」
ナツキが思わず声を漏らす。
眩しかった。人工照明など比較にもならない。
白く、暖かく、地下強い本物の太陽だった。圧倒的な光量を伴った陽光が巨大な空洞を貫き、中層から下層へ向けて滝のように降り注いでいく。
街が照らされ、窓ガラスが輝く。
潮風で洗濯物が風に揺れる。
今まで薄暗かった景色へ色彩が戻っていく。
セイナは思わず目を細めた。
「久しぶりね……」
最近は雨続きで、曇天も多かった。生活用水の確保という意味ではありがたいが、人間という生き物は肉体的にも精神的にも太陽へ依存している。だからこそ、この瞬間が好きだった。
眼下へ目を向けると、既に街の住民達が外へ出始めていた。
市場の店主、工場帰りの作業員、洗濯籠を抱えた主婦、子供達。
皆が太陽を見上げている。そして中層付近にいる二人のアストレアへ気付いた。
「セイナー!」
「仕事お疲れー!」
「また何か壊れたら頼むぞー!」
ご近所の住民達の聞き慣れた声ばかりだった。セイナも自然と笑みを浮かべながら手を振り返せば、歓声が返ってくる。
隣を小突く。
「ほらあんたも」
「?」
「ファンサービスも私達の仕事よ」
意味が分からないという顔をしながらも、ナツキは素直に手を振り始めた。ざわめきが広がる。見知らぬアストレアへの困惑だろう。しかし、そんなことは考えもしない子供達が大きく手を振る。大人達もつられて振る。
いつの間にか通りのあちこちから手が振られていた。
ナツキが目を丸くする。
「わぁ……!」
その声には純粋な感動が滲んでいた。
次の瞬間だった。
足場を蹴り、白髪が陽光を受けて舞い上がる。
紫色の光翼が展開する。
ふわりと、本当に羽毛のような軽やかさで中空へ浮かび上がる。
歓声がさらに大きくなった。人々へ応えるように旋回する。
白髪が風を切り、紫色の光翼が煌めく。
その姿はどこか幻想的だった。
まるで童話の妖精か。あるいは本当に空から舞い降りた星の乙女のように。
「……負けていられないわね」
先輩なのだ。ぼんやり見ているわけにはいかない。
フライト・レガリアへエーテルを流し込む。ターコイズブルーの光翼が展開する。
一歩踏み出す。
身体が浮きあがり、そのまま空へ。二つの光が陽光の中で交差する。
歓声が上がる。
巨大居住艦ノアの内部。久しぶりに開かれた空の下。
二人のアストレアは、祝福を受けるように日差しの中を舞っていた。




