2-3 ナツキ
ナツキの足元では紫色の光が淡く脈打ち、そのたびに整備室の床へ複雑な影が落ちる。
レガリアの起動そのものは誰でもできる。もちろん、その適性はあるが、使えないという人はいない。たしかここ数十年、適性のない者はいなかったはずだ。
女性用レガリアに求められる出力は、男性のエーテル特性では基本的に到達できない。
それは教本にも書かれている常識であり、各国のあまたの研究で証明されている事実でもある。だからこそセイナは理解できなかった。
何故、目の前でその常識が平然と破壊されているのか。
「男性ってエーテル出力が足りなくて飛べないはずでしたよね」
「うん」
飛行するナツキから視線を外さぬままセイナが言う。
「例外ってあるんですか?」
アズサは顎へ手を当てながら、フールシリーズと接続された診断端末へ歩み寄った。
モニターにはエーテル循環量、出力推移、精神同調率などの数値がリアルタイムで表示され続けている。
「聞いたことないねぇ……」
軽い口調とは裏腹に、アズサの視線は真剣そのものだった。流れる数値を追い、何度か画面を切り替え、別のログと照合する。
「おや」
小さく眉を上げる。
その反応を見てセイナも端末を覗き込んだ。表示されている出力値を見た瞬間、セイナは唖然とする。飛行可能判定を示す閾値を大きく上回っている。誤差や測定ミスなどという生易しい数値ではない。
女性アストレアとして見ても十分に高い出力だった。
「今はフライト・レガリアしか付けてませんけど、このエーテル量なら、フル装備でも普通に運用できますね」」
飛行用のフライト・レガリア、武装や作業用のメイン・レガリア、それらを補助するサブ・レガリア。アストレアはその三つのレガリアを纏う存在だ。
セイナは改めてモニターを確認する。何度見ても結果は変わらない。
「だねぇ」
その返事は軽い。
常識がひっくり返る瞬間というのは案外こういうものなのかもしれない。二人とも何か言うべきなのだろうが、何を言えば良いのか分からない。結果として数秒ほど沈黙が流れた。その間もナツキは楽しそうに飛び続けている。
まるで生まれた時からそうしていたかのように。身体を傾けるだけで旋回し、速度を落とし、再び加速する。教習所の新人が何日もかけて覚える動きを、彼は何の苦労もなく行っていた。
不意にアズサが手を叩いた。
「よし、考えても仕方ない。なんか分からんけど、とにかくレガリアを使える。この事実を受け入れよう」
「常識は木っ端微塵ですけどね……」
「粉々だねぇ」
だが目の前で起きている現象を否定できない以上、それしか結論は無かった。
「……まぁ、目の前で起こってますしね……」
セイナは深くため息を吐いた。するとアズサが何かを思いついたように顎へ手を当てる。
「あっ」
「?」
「ちょっと野暮用済ませてくる」
「野暮用?」
「うん」
その顔が少しだけニヤついている。
「セイちゃんはここで待ってて」
「何企んでるんですか」
「企んでない企んでない」
全く信用できない返答を残し、アズサは整備室を出ていった。自動ドアが閉まる音が響く。セイナはその背中を見送り、それから肩を竦めた。
「……まあいいか」
どうせ聞いても教えてくれない。セイナは再び天井付近を見上げる。
「ナツキー」
「はーい!」
「そろそろ降りてきなさい」
「了解であります!」
元気な返事と共に、ナツキの身体がくるりと反転した。紫色の光翼が僅かに収束し、今度はゆっくりと高度を落としていく。降下速度は安定していた。姿勢も崩れない。
左右へ振られる様子もなく、まるで見えないレールの上を滑っているかのような正確さで降りてくる。そして床の数十センチ手前で減速し、そのまま音もなく滑らかに着地した。膝を軽く曲げただけ。衝撃を完全に殺した見事な着地だった。
「うまい」
セイナは思わず感心する。
教習所に入ったばかりの新人なら、まず転ぶ。着地時に足がもつれて尻餅をつくのが普通だ。私もそうであったし、他の同期もそうであった。酷い者になると顔面から床へ突っ込む。重力の突然の変化に、いまだ人類は対応しきれていないのだから当然ともいえるだろう。
それなのにナツキは違った。着地のタイミングも姿勢制御も完璧だった。ナツキが得意げに胸を張る。
「ふふん、やっぱり飛べた。出来る気がしたんだよねー」
「まさか本当に飛べるとはね……」
セイナは額を押さえた。この数分で、自分の知っている常識がいくつ壊されたのか分からない。
「一応聞くけど性別は男なのよね?」
ナツキは真顔になった。
そして何故か前髪を整えながら不敵な笑みを浮かべる。
「このあまりにもキュートが過ぎるお顔故に疑いたくなる気持ちは分かるね」
「やかましいわ」
即座に額へ軽いチョップを叩き込んだ。
「あうっ」
情けない悲鳴が上がる。その様子を見て、セイナは少しだけ安心した。少なくとも中身は普通の少年らしい。
それでもやはり、透き通るような白髪、白磁のような肌、宝石を思わせる紫色の瞳、人形じみた整った顔立ち。改めて見ても、やはり美少女にしか見えない。
初対面で男だと見抜ける人間など、おそらく存在しないだろう。
「……本当に男なのよねぇ」
「だからそう言ってるじゃん。見たまえ、この嘘偽りのない両の眼を」
「はいはい」
セイナは再びため息を吐く。自動ドアが開く音と共に、軽い足音が整備室へ戻ってきた。
「ただいまー」
聞き慣れた気の抜ける声に振り返る。
戻ってきたアズサの手には、何やら白い毛玉のようなものが抱えられていた。正確には毛玉ではない。透明なビニール袋へ無造作に押し込まれた大量の人工毛髪。
机の上へ放り出されたそれを見て、セイナは眉をひそめた。
「ウィッグ……?」
「うん」
アズサは当然のように頷く。
袋から取り出された白い毛束は、ナツキの髪と微妙に色味が違っていた。
ナツキの髪は雪のような純白。対してこちらは、少し銀色が混じったような白だった。
「所長、これは……」
「ナツキちゃん、ちょっとおいでー」
説明する気は無いらしい。
呼ばれたナツキが首を傾げながら近付いてくる。彼の白髪は前髪こそ少し長いものの、後ろは肩口で跳ねるウルフカットのような形状になっていた。
アズサは職人じみた手付きで何種類かのウィッグを取り出し、ナツキの頭へ順番に当てていく。
「うーん」
少し離れて眺める。
「うーん」
角度を変える。
「うーん」
さらに眺める。何をしているのだろうか。。
「よし、これだね!」
満面の笑みで一つを選び出した。腰まで届く長い白髪だった。
「いや、だからこれは何なんですか」
「友達のコスプレイヤーからくすねて……借りてきた」
「そうじゃなくて」
質問の答えになっていない。しかしアズサは気にした様子もなく、ナツキの後頭部へウィッグを固定していく。慣れた手付きだった。前髪を整え、毛先を流し、全体のバランスを見る。最後に手櫛で軽く梳く。
「よし。ちょっとカットすれば完璧だね」
「おおー」
ナツキが感心したような声を上げる。
最初こそ少し戸惑っていたものの、その順応速度は相変わらず異常だった。数秒後にはまるで昔からその髪型だったかのように振る舞い始める。
その場でくるりと一回転。長い白髪がふわりと広がった。腰をくねらせ、たおやかなボディラインを形成、そして両手でピースサイン。妙に決まったポーズだった。
「あまりにも可愛すぎてしまうんじゃないかな!?」
「やかましいわ」
反射的に突っ込む。
しかし悔しいことに恐ろしく似合っていた。元々の顔立ちが反則的なのだ。そこへ腰まで届く白髪が加わった結果――どう見ても美少女だった。男だと知っている私ですら、一瞬だけ認識が揺らぐほどに。
「……あ」
そこでようやく気付く。
何故アズサが突然ウィッグを持ってきたのか。アズサの口元に浮かぶ笑みが深くなる。いつもの昼行灯じみた笑顔ではない。何か企んでいる時の顔だ。
「所長、もしかして……」
「そのとーり!」
勢いよく指を突き付ける。まるで舞台役者のような動作だった。
「ナツキちゃん!」
ナツキが姿勢を正す。
「はいっ!」
「キミにはウチに所属する二人目のアストレアになってもらいたい!」
一瞬、整備室の空気が止まった。
「アストレア?」
ナツキが首を傾げる。
「セイナちゃんと同じやつ?」
「そうそう」
アズサは満足そうに頷いた。
「セイナちゃんのお手伝いをして欲しいんだ」
セイナは思わず腕を組む。
現在、八雲ヶ原資源管理事務所に所属しているアストレアは自分一人しかいない。普通の事務所なら4人から5人。大手なら20人以上所属していても珍しくない。そう考えると確かに人手不足ではある。
「私は別に……」
小さく呟く。
一人だからといって困っているわけではない。大型任務では他所の事務所と合同で動く。仕事量だってどうにかなっている。だがアズサは首を横に振った。
「決してセイナちゃんに不満があるわけじゃないよ?」
見透かされているかのようなその言葉に少しだけ肩の力が抜ける。
アズサは珍しく真面目な顔になった。
「ただね、この前、危なかったでしょ?」
言葉に詰まる。
数日前のオクルス戦。武装もない状態で囲まれたあの状況を思い出す。
「私はセイナちゃんに怪我してほしくないのよ」
その声音は穏やかだった。本心なのだと分かる。普段ふざけてばかりいる人間だからこそ、余計に伝わってくる。
「セイナちゃんが得意なのはスナイパーライフルでの射撃」
アズサは壁へ立て掛けられた≪ケイロン≫を見る。
「なら普通は中近距離で守ってくれるアタッカーが必要でしょ?」
「それはそうですが……」
理屈は分かる。狙撃手と前衛。それは最も基本的な編成だ。
「でも中近距離戦は危険も伴います」
だからこそ言う。
「それを――」
「やるよー!」
軽い返事が飛んできた。
ナツキは何の躊躇いもなく手を挙げている。
「ちょっとアンタ!」
「え?」
「え? じゃないわよ!」
セイナは思わず声を荒げた。
「そんな簡単に決めることじゃないの!」
戦闘だ。いくらレガリアに安全装置が無数に装備されているとしても、命が懸かる。つい先日まで海を漂流していた記憶喪失の少年が気軽に飛び込むような世界ではない。しかしナツキは不思議そうな顔をした。
そして当然のように言う。
「近接でセイナちゃんをサポートすればいいんだよね」
まるで散歩へ行くくらいの気軽さだった。その能天気さに頭が痛くなる。
「そうそう、やれそう?」
アズサは何故か嬉しそうだった。
「任せてくださいよ、自信しかない」
ナツキは胸を張る。
「だからその根拠の無い自信は何なのよ! いきなり戦闘なんて怪我したらどうするの!」
しかしアズサが苦笑しながら割って入った。
「そりゃいきなり戦闘はさせないよ、まずは慣れてから」
それは確かにそうだ。
いくら飛べるとはいえ、いきなりリヴォラと戦わせるほど無責任ではない。アズサは何かを思い出したように指を鳴らした。
「あ、ちょうどいいや」
「?」
「近所から配管修理の依頼が来てるんだ」
そして二人を交互に見る。アズサは満面の笑みを浮かべた。
「まずはそこから二人で行ってきて」




