2-2 ナツキ
ナツキが八雲ヶ原資源管理事務所へやって来て三日目。
その日のセイナは朝から海上へ出ていた。
依頼内容はリヴォラ・オクルスの駆除および資源回収。特別危険な任務ではない。いつも通りの仕事だ。ただしほんの少しだけ、気持ちが高ぶっていた。
理由は単純。
ちゃんと武器を、メイン・レガリアを持って出撃できたからである。
先日のような回収任務ではなく、正式な討伐依頼だったため、エーテルスナイパーライフル《ケイロン》を持ち出すことが出来たのだ。
その結果は上々。
十五体撃破。回収資源も十分。
どんなもんだい、と鼻高々に帰投する。愛用の得物があればこんなものだ。
八雲ヶ原資源管理事務所のような小規模事務所にとっては、しばらく財布の紐を緩められる程度には良い成果だった。
帰投後、軽くシャワーで汗と潮風を洗い流したセイナは、いつもの作業着へ着替えて地下の整備エリアへ降りていた。
地下とはいえ天井は高い。レガリアを吊り上げるための走行クレーンが天井を横切り、壁面には工具棚や交換部品が整然と並んでいる。金属と潤滑油の匂いが僅かに漂い、換気ファンの低い駆動音が空間全体に響いていた。
その中央に、自身のレガリアが静かに吊り下げられている。
ゾディアックシリーズ《サジタリウス》。その名の通り、星座の名を関した12種類が存在する。
最大手レガリアメーカー《SPICA》が製造する量産機の一つ。
しかし、目の前の機体は既に量産機の面影をあまり残していなかった。本来の外装色は黒鉄色。だがセイナ機は鮮やかなターコイズブルーへ塗装されている。さらに各部へ幾何学出来な黄色のラインが施され、見る者の目を引く仕上がりとなっていた。
スポンサーが付いているわけでもなく、単純にセイナの趣味を反映したデザインである。
脚部のフライト・レガリア。無数の曲線によって構成され、どこか艶かしさを感じさせる。人体の膝関節と追従する部位で大腿部と下腿部に分かれている。
大腿部には各種センサーや推進力を出すバーニアが設けられ、下腿部には脹脛部分に姿勢制御用スラスターが複数備わっている。また直立すれば2メートルは超える程に長い。足首に当たる部分はなく、足首から下には大型のバーニアがある。
腰部左右から背面へ伸びる大型ユニットもフライト・レガリアだ。こちらには姿勢制御用スラスターと推進用バーニアが複数並べられている。
計四基のフライト・レガリアによって空中での完全静止すら可能としており、その飛行姿勢は四脚獣――あるいはケンタウロスを思わせる独特なシルエットを描く。これが《サジタリウス》の由来である。
「お疲れさま」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、セイナは装甲を柔らかな布で拭き始めた。
付着した塩分を落とし、細かな傷を確認し、関節部の摩耗を調べる。
整備そのものは嫌いではない。むしろ好きな部類だった。レガリアは命を預ける装備であり、戦場では誰よりも信頼できる相棒だ。
大手事務所のように専属メカニックはいない。だからこそ自分で触る。自分で理解する。自分で面倒を見る。そうしてきた時間が愛着を育てる。
そんな時だった。
誰かの視線を感じる。
振り返ると、整備エリアの入口付近にナツキが立っていた。
紫色の瞳がサジタリウスへ釘付けになっている。大きな瞳がさらにキラキラと輝いている。
「近くで見てもいいわよ」
声を掛けると、ナツキは目を輝かせながら小走りでやって来る。
「おおー……」
機体を見上げる。
腰部のフライトユニットを見る。
脚部のフライト・レガリアを見る。
最後にスナイパーライフル≪ケイロン≫を見る。
「かっくいいーーー」
ため息のようにこぼれた感想にセイナは少しだけ胸を張った。
「ふふん、そうでしょうそうでしょう」
相機を褒められて悪い気はしない。むしろかなり嬉しく、つい頬が緩んでしまう。
「今回はしっかり十五体倒してきたわ。やっぱり武器は大事ね」
整備台へ固定された《ケイロン》の銃身を軽く撫でる。
先日のように回収アームしか無ければ、オクルス三体相手でも死ぬほど苦労する。そもそも、武器ではないのだから当然である。
だがきちんとした武器が、それも使い慣れた≪ケイロン≫があれば話は別だ。十体だろうが二十体だろうが恐れる相手ではない。
ナツキが拍手する。ぱちぱちぱち、と妙に素直な拍手だった。
「いいなぁ、ボクも飛んでみたい」
「無理」
セイナは即答した。
「これは私専用にカスタマイズされてるからね。酔うからやめておきなさい」
そう言った時だった。ナツキの視線が整備室の隅へ向いた。
「あれは?」
指差した先には、一機のレガリアが置かれていた。
アルカナシリーズ《フール》。
教習や試験運用で使われる標準機だ。突出した性能もなければ特徴もない。だからこそ扱いやすく、多くの新人アストレアが最初に触れる機体でもある。
「ああ、フールね。あれなら使えなくはないけど……」
キャリブレーション用の機体であるため、推進力やエーテル循環、排熱などあらゆるスペックを弄ってある。癖は一切ないため扱うのは簡単だろう。
ただ、そこである事を思い出した。
「そもそもアンタ男でしょ。一応」
「一応とは」
「一応でしょ」
全然そう見えないけれど。というか、知っていても疑ってしまう容姿だけれど。
「男性でもレガリアは扱えるわよ。でも飛んだり戦ったりするほどの出力は出せない、そういうエーテル適正なの」
「ふーん」
ナツキはフールを見つめる。じっと観察するように。構造を理解しようとするように。そして、一瞬だけ、その瞳が妙に鋭く見えた。
首を傾げる。
「でも飛べる気がする」
「気がするって――」
言い終わる前だった。ナツキがフールへ歩み寄り、躊躇なく脚部ユニットへ手を伸ばした。
「ちょっ!?」
制止する間もない。
固定具が閉じ、接続完了。
次の瞬間、地下整備室へ低い駆動音が響いた。
エーテル循環開始され、各部のラインが淡く発光する。
ここまでは普通だ。男性アストレアでも起きる現象だ。
問題は、その次だった。
足首から光が溢れる。
紫色。
いや、夕暮れ時の空に似た濃い輝き。
フライト・レガリアの足首から現れたのは、十字架を何本も連結したような奇妙な翼だった。
鳥の翼ではない。虫の羽でもない。どちらかといえばコウモリに近いだろうか。だが、もっと異質で。もっと禍々しい形状をしている。
そしてナツキの身体が、重力を忘れたように床から離れた。
数センチ、数十センチ、一メートル、二メートル。
そのまま何事もなく上昇し、空中でぴたりと静止する。それは熟練のアストレアですら感嘆するほど自然なホバリングだった。
「出来た!」
まるで当然の結果を報告するように。セイナは数秒固まった。脳が理解を拒否していた。
「で、出来たじゃなくてっ!!」
慌てて内線にて、所長を呼び出す。
アズサが整備室へ姿を見せた時には、既に現実逃避をする段階は過ぎ去っていた。
地下整備エリアの高い天井付近。
レガリア整備用の走行クレーンが横断し、太い電力ケーブルや配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされた空間を、一人の少年が悠々と飛び回っている。
足首へ装着されたフールのフライト・レガリアから伸びる紫色の光翼を揺らしながら、ナツキはまるで水中を泳ぐ魚のように空間を滑っていた。
整備用クレーンのアームを掠めるように旋回し、吊り下げられた作業灯の間を縫うように抜け、天井付近を走る配管との距離を正確に保ちながら移動するその姿は、とても今日初めてレガリアを装着した人間には見えない。
むしろ長年空を飛び続けてきた熟練者の飛行を見ているような、不気味なほどの自然さがあった。
「飛んでるねぇ」
ぽつりと呟いたアズサの声には驚きよりも呆れが混じっていた。
セイナも隣に立ったまま、ゆっくりと頷く。
「飛んでますね……」
その声は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。




